「あるがまま、なすがまま」──中曽根康弘考
結局、政治家として彼がやった事は、放置プレイだった。
私が知る限り、中曽根は3つの秘密を墓場まで持って行っている。この3つこそが、まさに近代日本の宿痾を浮き彫りにしている。
三島事件
防衛庁長官として三島由紀夫の自決を放置した。三島事件は単なる文学者の狂気ではない。「戦後憲法体制」という虚妄を血で告発した。三島はなぜあんな事が出来たのか。中曽根はその真意を最も近くで知りながら、決して語らなかった。なぜなら、戦後政治の虚構を維持することこそ彼の役割だったからだ。JAL123便墜落事件
世界最大の単独航空事故の裏に、自衛隊の関与を疑わせる情報は多い。墜落の直前、防衛庁は予算増額を議会に通そうとしていた。もし「自衛隊の事故」となれば存立基盤そのものが揺らぐ。中曽根はすべてを知り、しかし沈黙した。そしてアメリカが日本の弱みを握った。ジャニーズ・ペド事件
少年を「出世の手段」として消費する構造は、武士の衆道、カトリック教会のペド問題、現代エリート社会の歪みと一続きである。国家の基盤であるはずの「教育」「忠誠」を、欲望装置に変えてしまうこの病理を、中曽根は知りながら放置した。
霞ヶ関の「山」
1571年、織田信長が比叡山を焼き討ちしたのは、単なる暴挙ではない。白河法皇以来、朝廷ですら御せなかった「僧兵」という暴力装置を徹底的にスクラップすることで、時代を転換させた。
そして戦後日本において、霞ヶ関という「現代の比叡山」を前に登場したのが中曽根康弘である。彼は信長のように苛烈ではなかった。しかし彼も彼なりに「暴力装置=官僚」に挑み、その内実を知り抜きながら、結局、「あるがまま、なすがまま」に委ねた。
中曽根は近代日本を認識する為のヒントを残した
信長が叡山を焼き払ったとき、それは単なる軍事行動ではなく、日本近代化の為の計画の実行だった。同様に、中曽根の沈黙もまた、計画なのだ。
彼は三島事件、JAL123便、ジャニーズ事件という三つの闇を知りながら、決して口を開かなかった。それは単なる保身ではない。むしろ、彼の沈黙こそが「戦後日本の虚構」を飽和に至るまで放置プレイする、計画だった。
「あるがまま、なすがまま」。
中曽根が明治以降の日本の暗部をあえて放置プレイしたのは、国民に対し、「自分で考える」思考力があれば誰でも問題に気づく、飽和状態ヘ至らせるのが目的だったのではないか。結局、国民主権の憲法下では、国民が己で認識しなければダメなのである。政治家が主導するのでもダメだ。彼があの世に持って行った3つの秘密は、強烈なヒントだ。
