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食料品消費税ゼロという名の“洪水装置”――エヌマ七段階で読む高市解散と中道改革連合

第1段階:混沌(ティアマト)を“演出”する —— 解散と政界再編は、まず海を荒らす

混沌は自然に起きることもあるが、制度はたいてい混沌を必要なだけ“作る”
なぜなら、人間は混沌の中でしか「外部客観」にすがれないからだ。外部客観とは、みんなが同じ方向に動くための“旗”であり、“物差し”であり、“正義のサイン”だ。

今回、その混沌は二重に来ている。

  • ひとつは、高市首相が衆院解散・総選挙へ進むという政治日程の混沌。報道では、解散を視野に入れ、投開票を2026年2月8日とする可能性も含めて動いているとされる。

  • もうひとつは、野党側がそれに反応して、立憲民主党と公明党が「中道改革連合」(新党)を立ち上げ、選挙協力に踏み込むという政界再編の混沌だ。ロイターも新党結成合意を報じ、NRIの木内氏の整理では、小選挙区と比例での相互支援を含む“協働”が見込まれている。

ここで重要なのは、善悪ではない。混沌は次の段階を起動するための燃料だ。エヌマも同じだ。世界が荒れ、神々が騒ぎ、秩序の旗が必要になる。


第2段階:騒音(神々の喧騒)——「物価高」「生活が苦しい」が合唱になる

混沌が演出されると、必ず“喧騒”が増える。
そして喧騒は、内容がバラバラであるほど良い。なぜなら、バラバラな不満を束ねるために、強い外部客観が必要になるからだ。

いまの喧騒は、要するにこうだ。

  • 物価高、生活苦、手取り、賃上げ、円安、金利、将来不安。

  • その全部を、選挙という短時間の“戦場”で処理する必要がある。

ここで制度が欲しがるのは、「説明が短い」「テレビで言える」「一瞬で善に見える」外部客観だ。
その条件を満たすのが、**「食料品の消費税ゼロ」**である。理由は単純だ。口に出した瞬間に“善”になる。反対しづらい。喧騒を一枚の札に束ねられる。


第3段階:王の選抜(マルドゥク指名)—— 全党が同じ札を掲げる“異常”

エヌマでは、混沌に勝つために“代表”が必要になり、マルドゥクが指名される。
現代政治でそれに当たるのは、人物というより**政策札(ワンフレーズ)**だ。

今回の指名札は「食料品ゼロ」だ。自民側では、自民と維新の共通公約として、食料品の消費税率を時限的にゼロにする案を検討と報じられている。
さらに、立憲と公明の新党(中道改革連合)も、食料品ゼロを目玉政策に据える方向だと報じられている。
玉木氏が「与野党の大きな塊が同じなら解散をやめて議論を」と述べた、という報道もある。

ここで起きている異常は、「各党が似た」ことではない。**“同時に揃った”**ことだ。
政治は本来、利害の衝突を見える化する装置のはずだ。それが、同じ札を同時に掲げる。これは、エヌマで言えば、神々が一斉に同じ呪文を唱えはじめる局面だ。

で、ここから“臭い”の話になる。

  • 日本の政治で「税」を動かすとき、特に消費税をいじるとき、通常は“絶対に超えられない壁”がある。

  • なのに今回、与野党の主要プレイヤーが一斉に同じ札を掲げる。

  • しかも与党側は「市場への影響を精査してから」といった、いかにも“財政・市場の番人”に配慮した言い回しが同時に付いてくる。

断定はしない。だが、制度論としてはこうなる。
「通ってはいけない札」が突然“通る札”になったなら、どこかの関所が半開きになったと考えるのが自然だ。
関所の名を言う必要はない。嗅いで分かるだろ。


第4段階:戦争(ティアマト討伐)—— 選挙は“討伐イベント”、勝利条件は「札の奪取」

エヌマの戦争は、正義の戦争ではない。秩序を作るための戦争だ。
選挙も同じで、勝敗は政策の真偽ではなく、「外部客観の札を奪った側」が勝つ。

高市解散が“混沌の演出”なら、中道改革連合の結成と公明・立憲の選挙協働は“対抗演出”だ。
この二つが噛み合うと何が起きるか。

  • 国民は「右か左か」ではなく、「生活が助かるかどうか」の札で投票する

  • すると全陣営は、生活札(食料品ゼロ)を取りに行く

  • 結果、選挙は“討伐イベント化”する

  • 討伐の対象は、具体的な制度設計ではなく、「物価高」という怪物である

討伐イベントは、視聴率が取れる。短い。分かりやすい。
しかし、討伐イベントの後に必ず来るものがある。次だ。


第5段階:創造(世界の再編)—— 「食料品ゼロ」で、世界は“作り替え”られる(ただし現場だけが死ぬ)

マルドゥクは勝った後、世界を作り替える。現代の“創造”とは、制度の改修だ。
なぜか?「飯の種の手続きが増えるから、官と財は容認しやすい」。

食料品ゼロは、税の撤去ではない。むしろ分類の増殖だ。現場はこうなる。

  • 食料品(ゼロ)と、対象外(ゼロでない)の境界線が重要になる

  • 軽減税率で既に地獄だった「外食/持ち帰り」「ケータリング」「酒類」「セット販売」「ポイント還元」など、境界線の地雷が増える

  • レジ改修、会計改修、請求書区分、監査対応が増える

  • 失敗すると税務リスクになるので、現場は保守的になり、余計に工数が増える

この“創造”で、どの産業が割を食うか。追い込まれる産業はだいたいこうだ。

  • 外食:食料品がゼロになっても、外食側が同条件で下がらなければ、相対的に割高に見え、需要が内食へ寄る。薄利の飲食ほど死ぬ。

  • 中食(惣菜・弁当):内食と外食の中間にいる業態は、線引きと価格競争に巻き込まれやすい。

  • 食品卸・物流:顧客側(小売・飲食)の利益が圧迫されるほど、卸と物流は“値下げ圧力の受け皿”になる。

  • 小規模小売:システム改修・区分経理・税務対応を吸収できない。大手は吸収してシェアを取る。

  • 一次生産者:取引条件が悪化しやすい。特に零細は、制度対応コストを価格に転嫁できない。

つまり、食料品ゼロは「家計を助ける札」に見えるが、同時に産業の勝ち負けを再編する札でもある。
勝つのは、制度対応力のある側。負けるのは、現場で手が回らない側。エヌマ的に言えば、「神々の都合で、人間界の労働が再配置される」。


第6段階:人間の創造(奴隷化)—— “三義務”が、ここで噛み合う

エヌマでは、世界を作った後に「人間を作り、労働させる」。
現代の同型は露骨だ。

  • 勤労の義務

  • 納税の義務

  • 教育の義務

これらが“道徳”として語られ、実務ではこう翻訳される。

  • 労働は安いほど良い(賃金を抑える)

  • 税は高いほど良い(財源確保・規律・制度延命)

  • 教育は従順が良い(制度語を疑わず運用する)

食料品ゼロは、一見ここに逆らう“減税”に見える。だが実際は、分類・監査・システム改修という労働を増やし、制度語を増殖させる
つまり、「税を減らす顔をしながら、労働と統治を増やす」。これは最も制度的に美味しい。

この段階で、MMTの話が接続する。
MMTが流行りにくくなったのは、理論がどうこうではなく、制度側が“外部客観”として採用しなかったからだ。採用されない外部客観は、国民の前に札として出てこない。
逆に、採用された札(食料品ゼロ)は、全党が一斉に握りしめる。


第7段階:神殿の建設(秩序の自己増殖)—— 「食料品ゼロ」は“正義の神殿”になり、次の増税・例外・監査を呼ぶ

最後に来るのは、自己増殖だ。マルドゥクは神殿を建て、名を増やし、秩序を固定化する。
現代の神殿は「例外規定」「経過措置」「補助金」「給付」「対象者判定」「不正対策」「監査」「システム標準化」だ。

食料品ゼロが一度走れば、必ずこうなる。

  • 「外食はどうする」

  • 「惣菜はどうする」

  • 「学校給食は」

  • 「医療・介護食は」

  • 「酒類・セット商品は」

  • 「越境ECは」

  • 「不正は」

  • 「価格転嫁が不十分だ」

  • 「次は日用品も」

  • 「財源は」

  • 「結局、別の税・別の負担で埋める」

ここで制度は“副作用スパイラル・ビジネス”に突入する。
副作用が増えるほど、対症療法が必要になり、そのたびに制度語と監査と予算が増える。
そして国民は「助けてもらっている感」で札を支持し、制度は正当性を回復する。エヌマの完成だ。


結論:これは減税論争ではない。「混沌→札→討伐→制度増殖」という宗教儀式だ

正解は消費税全廃だが、全廃はあり得ない。それはこのループを切るからだ。切るとは、つまり「神殿を壊す」ことだ。だから主流政党は言えない。

一方で「食料品ゼロ」は、神殿を小さくするどころか、部屋を増築する。だから“通りやすい”。

そして、全党が一斉に同じ札を掲げる現象は、政治的創意ではなく、制度的必然として読むのが筋だ。
誰がOKを出したかは知らない。だが、関所が半開きになった臭いだけは、構造として残る。

そして国民と政府との間に、またひとつ「恨み」が置かれる。


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