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2025/10/25—文章の「型」とJahxncho

 なんか急に寒くなりましたね。おでんが猛烈に食べたくなる。タイから先週帰ってきたばかりなのにもう冬ですよ。あっという間に今年が終わるんだろうな。
 最近は3月末の締切に向けて習慣づくりに専念している。一日に全力をかけるんじゃなくて、ゆっくりと走るためのペースづくりをしているような感覚。短距離走の連続を毎日続けてていくのではなくて、3月末のゴールに向かう長距離をゆっくり走るためのペースづくり。そのために研究計画を練り直している。これまでとは違う生き方を身につける訓練でもある。しなやかかつ軽やかに走らないと厳しい。
 とりあえずちょっとだけ復活していた喫煙をキッパリやめた。その代わりに久しぶりに水泳をはじめた。ダイエットと体力づくりを兼ねて。効果はてきめんで、あれだけ浅かった眠りが深くなった。単なる運動ではなくて全身のストレッチでもあるからだろう。身体の感覚もなんだか研ぎ澄まされてきたようだ。筋トレもちょっとだけ再開しはじめた。いまはバタ足をうまくできるようになりたいとはりきっている。
 あと、ぬい活の効能がすごい。いろんなところに出かけるようになっただけじゃない。なんだか度胸がついた。「この子と一緒にいるから大丈夫」、本気でそう思っていろんなことにチャレンジできるようになった。周りの眼も気にしなくなった。いまじゃフツーにカバンにくまちゃ🐻をぶらさげて京王線に乗ってる。というか、そもそも自分のことを周囲はそんなに気にしていない。自分が気にしていたのは自意識だったのだ。はっきりとその事実がわかっただけでもよかった。次はどこに行こうかな。
 一歩踏み出した自己主張と過剰なまでの感謝も心がけている。まず、はっきりと自分の主張を相手に伝える。そこで踏み出さないことは相手にとって失礼だしのちのちトラブルを招いてしまう。もちろん相手が自分の主張を受け入れてくれるかどうかはわからない。でも、わからなくていい。あとは相手との対話を通して二人でコンセンサスを作っていけばいいのだ。二人の合意が出来上がったら相手に感謝を忘れない。タイでいうところのワイの精神。こんなコミュニケーション術すら身につけられていないことは恥ずかしい。だけど、いまからでも変わるしかない。外側と内側からはじめる自己統治。ゆっくりコツコツと変わっていけたらいいなあ。友達も増やしたい。


 なによりこうして書くことの効能がいちばん大事。前にも書いたけど、自分の変化だったり、決意だったり、未来や過去だったりの輪郭がはっきりとするから。いままで文章を書くことのハードルを上げすぎた結果、僕の心の輪郭がぼやーっとしつづけてきたような。
 もちろん論文という形式の文章はずーっと書き続けてきた。だけど、頭に浮かんだもやもやとか、ぴこーんと思いついたことをぱぱっと文章に書けばよかったなーっと振り返って率直にそう思った。
 とかとか簡単にいうけど、ぶっちゃけ過去の自分にそんな文章力があったとは思えない。真面目に論文に取り組みはじめたときに真っ先に感じたことも自分の文章を書く能力の低さだった。下手というか、「書けない!」もしくは「どう書けばいいのかわからない!」みたいな狼狽に近いものだったと思う。
 それはおそらく日本語の文章がもつ「法則」あるいは「型」を理解していなかったことに起因する、といまでは思う。だからアカデミック・ライティングに取り組む前に、そもそも日本語の文章をどう書けばいいのか、日本語とはなにかみたいなことをひたすら学んだ。その勉強はいまでもかけがえのない財産になっている。酒井聡樹『100ページの文章術』(共立出版、二〇一一年三月)はいまでも必ずデスクに置くようにしている。ただ読むのではなく身につけるべき一冊だと思う。

 日本語の文章を書くことの勉強を通して生まれた自分にとっての「綺麗な日本語の文章」に関する評価軸はいつしかフェティッシュに近いものとなり、いまでは文学作品やリリックを読むと内容もさることながら文章そのものの綺麗さや美しさにも自然と注意が向くようになってしまった。
 といっても「文章」の持つ綺麗さや美しさは、日本語の文章としての法則や型を忠実に守ることから生まれるのではない。むしろ、作家やアーティストが自らの信念に従ってその法則や型から脱線してどれだけ新たな規則を作り出しているかにかかっている。日本語の文章としての法則や型を破っているのに、その作品には新しい法則や型が生まれている。だとすれば、その新しい法則や型は作家の、あるいは作品の内容と同じくらい大切な哲学を雄弁に語っていると思う。
 フォルマリズムでも芸術の規則でも形式哲学でも呼び方はなんでもいいけれど、作品の内容とは異なる側面に内在する哲学や価値こそ大切にしたい。僕は「文章」を読み解くことでその哲学や価値に迫ってみたい。


 そんなこんなで話題がバカデカになってしまうのが悪い癖なんだと思う。ただJahxnchoにハマってる!やべえ!って話をしたかっただけなのに(被害者ヅラ)。Jahxncho(ジャハンチョ)、僕と同じくエリア042出身のラッパーらしい。スラムフッドスターの記事で見てからいいねはしていたけどようやく最近になってちゃんと聴きはじめてバッチリハマった。
 ブーンバップを最近聴き続けていたからそう感じるのだけど、ラップの崩し方がうまい。「型」から逸脱している。それでいてちゃんとラップのスタイルとしての一貫性が成立している。映像の過激さもあいまってラッパーとしてのカリスマ性もすごい。逸脱と一貫性。ここまでギャングスタとしてちゃんと筋が通ってる新しいスタイルのラップは初めて聴いたから驚いた。最近ではいちばんの衝撃、かも。

 権力が定めた既成の法則や型をすり抜けた先に新たな芸術や共同体とその法を打ち立てるなんて考えてみたらヒップホップそのものだ。ぼくは様々な芸術に内在するHIPHOP的なものに惹かれるんだと思う。そして、ぼくがもしHIPHOPに内在する文学的なものにも惹かれているのだとすれば、HIPHOP的なものと文学的なもの、二つはどこで交わっているのだろう。二つの的なものの交点は単なる「言葉」にはないような気がする。とにかく前に進めばなにかわかるかな。JahxnchoとSlime Groupもこのまま突き抜けていってほしい。

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