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日本ワイナリー巡り 牛久シャトー【茨城県牛久市】

今回は、茨城県の「牛久うしくシャトー」を巡ります。

「茨城県のワイナリー?」「牛久って?」
と思われる方がいらっしゃるかもしれません。

なぜ牛久に行くのか。
それには、まず昨年11月に勝沼でワイナリーツーリズムに参加したことから振り返ります。

この時に訪れたのが、シャトー・メルシャン勝沼ワイナリーに隣接する「宮光園みやこうえん」でした。

この「宮光園」は国産ワインづくりを始めたパイオニア達が築いた場所で、日本遺産「日本ワイン140年史」の代表的な構成文化財です。

そのパイオニア達が築いたもうひとつの遺産を訪れることにしたのです。
それが、今回訪れる「牛久シャトー」です。



牛久シャトーとは

茨城県牛久市は、山梨県甲州市と共に「日本ワイン140年史」のストーリーで2020年に日本遺産に登録されている。
両市では、明治時代に日本ワインをつくり始めた。

明治10年(1877年)、旧勝沼町で「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されるが、ワインの売上があがらずに明治19年(1886年)に解散。
その醸造器具等を引き継いで操業したのが「宮光園(=宮崎葡萄酒醸造所と観光ブドウ園の総称)」であった。

一方、浅草にある神谷バーや電気ブランで有名な「神谷傳兵衛かみや でんべえ」が、輸入ワインに蜂蜜などを加えて飲みやすくした甘味のあるワインを販売し、人気商品になった。
それをヒントにワインに蜂蜜を加えるなどして、宮光園のワインも売れるようになっていったとのこと。

更に、明治36年(1903年)に現在の牛久市に神谷傳兵衛が開設した本格的ワイン醸造場が「牛久シャトー」である。

神谷傳兵衛が開設した当時の名称は「シャトーカミヤ」。
その醸造場などの建造物は、現在、国の重要文化財に指定されている。


神谷傳兵衛記念館

休日の午後、日暮里駅から常磐線で1時間弱の牛久駅へ。
駅から徒歩10分で「牛久シャトー」に到着。

牛久シャトーの正門と本館

前日まで暖かかったのが、冷たい雨となってしまい、どんよりとした空が残念。

まず、「神谷傳兵衛記念館」へ向かう。

レンガ造りの神谷傳兵衛記念館

以前は醸造場として活用されていた建物で、国指定の重要文化財である。

写真に写り込まないようにしているが、寒い日にもかかわらず他にも見学者が複数グループいる。

1階には大きな樽が並ぶ
階段を登る
2階は展示室

解説付きの映像を見ると、明治から大正時代には多くのワインを生産しており、周辺のブドウ畑とワイナリー、更に牛久駅までトロッコでつながっていたよう。

思えば、甲州、塩尻など、古くからワイナリーのあるエリアには鉄道が敷かれている。

鉄道に乗って、明治の偉人達、勝海舟、大山巌なども牛久シャトーを訪れ、晩餐会を楽しんだとのこと。

他にも醸造器具や商品看板などが並ぶ。

かつての人気商品
蜂印ブドー酒の看板
スパークリングワインを作るためのピュピトル
醸造責任者の部屋
マップ中央の緑色の部分がかつてのブドウ畑
勝沼のパイオニア達の紹介もされていた

戦後、ブドウ畑が住宅地になり、ワインの生産量は激減したようだ。

現在は、ガラスで区切られた僅かな区画にステンレスタンクなどがあり、ワインを造っている様子。

歴史を感じる記念館である。
これを無料で運営するのは大変だろう。

ちなみに、宮光園は入園料(大人200円)をとっていてガイドの方もいた。

外に出ると、近くの桜の樹が6分咲きほどになっている。

本館をバックに桜を撮影
さらにアップ

本館はかつての事務室で、こちらも国指定の重要文化財。
(本館内は一般公開していない。)


オエノンミュージアム

牛久シャトーは、神谷傳兵衛を創設者とするオエノングループが2018年まで運営してきた。

だが、オエノングループで牛久シャトーを運営していくことが難しくなり、レストランなどが一時閉店してしまった。

再開を願う牛久市民2万人以上の署名が集まり、市が第3セクターを立ち上げて、牛久シャトーの運営に関わるようになる。

しかし、その後のコロナ禍によって、更に赤字が膨らんでしまう。
債務超過により、先月には市長が代表となって事業再生に取り組むことになったそう。

シャトー内にある「オエノンミュージアム」へ向かう。

オエノンミュージアム

オエノンとは、ギリシャ神話の女神オエノに由来する。
オエノは、すべてをお酒に変えてしまう女神だそう。

オエノングループの基盤となるのは酒造会社であり、創設者である神谷傳兵衛が進めたワインなどの酒造りを展開しているグループ。

よって、ミュージアムでも電気ブラン、富久娘、博多の華といった商品の広告や、グループ会社の紹介がされている。

全国のオエノングループ

焼酎の鍛高譚が、牛久シャトーとつながっていたとは知らなかった。

このような大衆酒場にある酒類は、コロナ禍で売上が下がり、またアルコール離れによる影響も受けているであろうことは想像に難くない。

この後、ショップに行ってみると、グループ会社で製造されている電気ブランや鍛高譚などのお酒も販売されていた。

牛久シャトーの案内マップ
左側にオエノンミュージアム
右側にショップがある


牛久シャトーレストラン

夕食は、事前に予約してあった「牛久シャトーレストラン」へ。

建物はかつての貯蔵庫であり、こちらも国指定の重要文化財。

レストラン外観
レストラン受付の内観

ちょうど桜が咲く頃だろうと、1ヶ月前から予約をしていた。

当日は、団体のお客様の予約が入っているとのことで、個室料不要で個室を使用させてもらうことになっていた。

早速、個室に案内してもらう。

個室の窓からは本館が見える

桜ディナーAコースをいただく。
(4/12までの期間限定コース)

前菜、春の魚のコンフィ 桜の葉の香り

山形の白ワインのグラス(写真ナシ)
山形は2代目神谷傳兵衛の出身地

カボチャのポタージュとパン(写真ナシ)

魚料理、メバルのポワレ バルサミコ酢とバジルのソース

ロゼワインのグラス(左側)
甲州の古酒だと思われるが、悪くない

肉料理、牛久シャトー産赤ワインを使って煮込んだ牛ホホ肉

右側に桜風味のソルトあり

牛久シャトーのマスカット・ベーリーA

マスカット・ベーリーAの
フレッシュ&チャーミングな赤い果実の風味

いちごのデザートと珈琲

窓から夜桜を眺めつつ味わった。
キビキビとサーブしてくれ、この環境でお料理をいただけて満足。

ディナー途中の桜の様子
帰る頃には真っ暗
この本館の2階で偉人達との晩餐会が
行われたとのこと


牛久から、15両編成の常磐線で東京へ戻る。

シャトーカミヤができる前からあった鉄道だが、明治時代は何両編成だったのだろうか。

自宅に持ち帰ったお土産
電気ブランサワーとワイン入りかりんとう


事業再生のあり方とは

さて、牛久シャトーは、代表が市長に変わったばかりだと前述した。

人口8万人超の牛久市において、これからどのように事業再建に取り組むのか。

牛久駅に初めて降り、牛久シャトーに行ってみて、帰ってきてからも、この施設をどう生かしたらいいか様々な考えが頭を過る。

最初はあまり経費がかからない方法で運営していくとして、ただ、設備投資などするとしたら、ある程度の収益を得られるようにしなければならない。

例えば、道の駅のようにして地域の産品を直売したり、茨城県内のワイナリーのセラードア(複数ワイナリーのワインを1箇所で試飲・販売する場)にするとか。

「牛久大仏」と絡めて観光拠点にして、日本遺産の「牛久シャトー」とセットで周遊しやすくするとか。

桜の樹々やブドウ畑は市民に手入れをしてもらって、市民の交流拠点としても活用するとか。

牛久シャトーのすぐ近くに、牛久市役所がある。

牛久市役所

牛久市になる前からこのシャトーは存在していた。
このような地域の歴史の象徴は、大事にされるべきと思う。

とはいえ、日本各地で古い建物の管理費が重たくなり、解体されることが多くなってきていることも事実である。

一方で、関東大震災や東日本大震災を乗り越えてきた、レンガ造りの建物はそう多くない。

存在意義があって、市民に愛される施設に、何とかならないものか。

ここを残したい共に活動したいという関係者や市民の方々の意見をまとめて、活かし方や役割を決めるのが大切だろう。



🍇     🏰     🍇



今回のワイナリー巡りを含め、このところ予想外の寒さにやられてます。

牛久シャトー訪問日、現地の最高気温は4℃でした。

少し前、暑いくらいの日もあって、Tシャツを着ていた時もあったので、この真冬モードへの逆戻りがきついです。

あなたも気温が低くて、体調を崩されてないでしょうか。

肌寒くてお花見もしづらいですが、この週末はようやく暖かくなりそうです。

また、今回の訪問で地域の文化財や古い建物とどう関わっていくかについても、考えさせられました。

古くからの歴史や文化は、地域になくてはならないものです。

日本で初めて本格的なシャトーができた牛久市を、今後も見守っていきたいと思います。


 <日本ワイナリー巡りnote記録済 13都県+ワイン経験済 17道府県=30都道府県>

オレンジ:日本ワイナリー巡りnote記録済 13都県
ホワイト:ワイン経験済 17道府県
グレー:ワイン未経験 17県

東日本はだいぶん埋まってきましたね。

今月、経験済の県に再訪してから、来月は西日本のワイナリーを初巡りしたいと思っています。

今回もお読みいただきありがとうございました🍷

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