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実録出張回想録Vol.49ナイジェリア🇳🇬

余りにも遠い隣国ナイジェリア

ナイジェリア連邦共和国、原油をはじめ豊富な天然資源に恵まれ人口・経済規模ともにアフリカで最大の国です。

◾️乗っては降り乗って降りの繰り返し
マリ・バマコからナイジェリア・ラゴスまではニジェールをはさみ直線距離では1,000kmチョイチョイ、
空路ではこの当時直行便が無く(今も無いかも?)、また陸路では治安が不安定な地域を通過する可能性があり無理。
なので、空路でアチコチの国を経由し乗り継ぎ乗換えを繰り返しながら行くしかありません。
最短ルートで8時間くらいですが曜日によって便数も少ない為、結局10時間余りを掛けて、ナイジェリアのラゴス空港に向かいます。

◾️弱肉強食のフリーシート
とにかく、乗っては降り〜待ち〜乗っては降り〜待ち〜の繰り返し。。
おまけに一部の飛行機は席の予約が出来ないフリーシートなので「座る為には早い者勝ち!」、要するに席数が乗客人数に満たない事もありますので、飛行機が到着する否や待合室からダッシュしないと最悪座れないことになります。
実際、座れなくて通路に座っている乗客が数名いました。
嘘のような話しが、アフリカでは度々あります。

おまけに、
機内の席が列ごと無かったり、
リクライニングが壊れていたり、
機体内外共に古く、こんなコンディションで飛ぶのが本当に不思議なくらいの飛行機ばかりでした。


機内に足を踏み入れた瞬間、何とも形容しがたい独特の空気が漂っていました。さらに、目的のわからない除菌スプレーが噴射され、乗客たちの体臭と混じり合ったその匂いは、思わず頭がくらくらするほど。長い一日の始まりを告げるには、あまりにも強烈な「洗礼」でした。

飛行機が離陸して間もなく、キャビンアテンダントが一度だけ機内食を配りにやって来ました。
その光景はまるで、効率だけを優先して家畜に餌を配るような慌ただしさ。乗客たちは受け取るやいなや、トレーごと無言でビニール袋に詰め込みます。
どうやら、後で持ち帰ってお土産にするか、あるいはどこかで売るつもりなのかもしれません。その手際の良さには、まるで一種の習慣のような“プロフェッショナル感”すら漂っていました。


キャビンアテンダントから「なぜ日本人がこのような飛行機に乗っているのか?」と顔をしかめ不思議がられました。
この航路は出稼ぎの労働者が多く、乗客はアフリカ諸国の人々以外は皆無に等しいようです。
そう言えばマリで灼熱地獄の中、後輩エンジニアの実技トレーニングを見守りながら、木陰でジャンと冷たい白ワインで喉を潤している時に、「ナイジェリアには飛行機を乗り継いで行く」と伝えると、「その航路は難民船だよ!」「時間が掛かっても一度イギリスを経由しナイジェリアに入る航路を選択すべきだ」と言われたことを思い出しました。

灼熱地獄の中、
マリ取引先社長のジャン・アジャールと
木陰で冷えた白ワインで乾杯!

◾️親切心が仇となる
フライト中、隣の席では後輩エンジニアが何やら奮闘中。どうやら、隣席のトーゴ人が入国カードの記入に困っていたのを見かねて、代わりに書いてあげたようです。するとそれが機内に“伝染”したのか、「プリーズ、代書してくれ!」と頼みごとの波が一気に押し寄せ、通路には小さな行列が。。
その視線はやがて私にも向けられ、「次はあなたの番」とでも言いたげな熱い眼差しが突き刺さります。
困った私は、寝たふりで応戦。目を閉じていると、隣席の人物がガチャガチャと音を立てながら、食後のプラスチック製の機内食トレー一式を手際よくビニール袋に詰め込んでいました。まるでそれが、彼らにとって当たり前の儀式であるかのように——。

さすが弱肉強食の「難民船!」


◾️マリ→ナイジェリアまでの空路
【出発】
バマコ/ナイジェリア

【乗換え】
アビジャン/コートジボワール

【乗り継ぎ】
ワガドゥグー/ブルキナファソ

【乗換え】
ロメ/トーゴ

【乗り継ぎ】
ガジェファウン/ベナン

【到着】
ラゴス/ナイジェリア


◾️明日は新首都アブジャへ
バマコを飛び立ったのは朝のこと。長いフライトを経て、ラゴスに到着したのは夜9時近くでした。
空港では、商社Sの日本人駐在員と現地スタッフが出迎えてくれ、治安が不安視されるラゴス市内のホテルへ直行。そこで軽めの夕食をとりましたが、正直、疲れは限界に近づいていました。
本来なら、移動中の機内はアフリカ出張における数少ない“オアシス”であり、束の間の休息を与えてくれる貴重な時間のはず。しかし今回に限っては、まるでその真逆。騒がしく、落ち着かず、心身ともに休まる暇がありませんでした。
まさに、移動だけでエネルギーを吸い取られるような、長くて濃い一日でした。

明日は、ODA(政府開発援助)にて、供与された当社製品の納入指導の為に、首都アブジャへ国内線で飛び、そこから北東部へ車で移動します。


◾️丹下健三が創った都市
1991年に旧首都ラゴスから遷都されたアブジャの設計は日本の丹下健三事務所によって行われました「アフリカ初の計画都市」です。
丹下健三事務所は、新首都アブジャの都市計画を担い、その計画は背後の地域の発展と民族間のバランスを考慮したものでした。
ナイジェリア北東部は、テロ・誘拐・犯罪の危険性が高い地域ですが、新首都アブジャの街並みを見るのがとても楽しみです。


次回、「待てども暮らせども来ない飛行機」
につづく、

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