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心霊食堂 旅立ちは 思い出の味で 第36話

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第4章 記憶のしょうが焼き

6 信じられない光景

 八尋は両手で頭を抱え身体をくの字に折った。頭がずきずきと痛み、我慢できずに呻き声をもらす。

 何なんだこの光景は。
 僕は何を見ているのだ。それに、どうして母さんがここにいるのか。

 いくつものなぜが脳裏をよぎっていく。
 一樹が静かな眼差しでこちらを見下ろしている。
 何もかも見透かしたような、八尋がこうなっている理由も知っているというような目で。
「やっと、この時がきたようですね」
 一樹の言葉に八尋の母は首を傾げる。
「今、なんと?」
「いえ、すみません。こちらのことです」
「あの……」
 母はバッグを開け、茶封筒を取り出した。
 再び、別の光景が脳裏に飛び込み、八尋は悲鳴を上げた。


 何度もこの時のことを聞かれるが、八尋自身、その瞬間をまったく覚えていなかった。
 気がついたら、真っ暗な空から降りしきる雪を見ていた。
 長いこと、ぼんやりとした意識の中で空を見上げていたような気がするが、実際はそれほど時間は経っていなかったのかもしれない。
 時間の感覚も曖昧だった。
 次に呻き声のようなものが耳に入ってきた。それも、あちこちから。
 そこでようやく、自分が地面の上に仰向けで横たわっているのだということに気づく。

 何が起こった? 先ほどまでバスに乗っていたはず。

 すぐに状況を把握できなかった。
 徐々に感じ始めた寒さに歯をがたがたと鳴らした。
 身体が冷たく、手足が凍えるように痺れる。それでもまだ自分に何が起こっているのか理解できなかった。
 苦しみを訴えかける声。さらに、辺りから悲鳴と泣き声も聞こえてきた。
「助けて」
「痛いよ、痛い……」
 しんと降る雪の中、真っ暗な夜の闇に響く助けを求める声と痛みを訴える声。
 八尋も声にならない呻き声を上げた。
 起き上がるため、身体を動かそうとした瞬間、痛みが腰のあたりに走ったからだ。

 いったいどうしたんだ。

 首だけを動かし辺りを見渡した八尋は目を見開いた。すぐ横で、今まで乗っていたバスが横転していたからだ。
「バスが崖から落ちた!」
 誰かのその叫びに、八尋は視線を上に移す。
 崖の上には突き破られたガードレールがぶらぶらと揺れていた。
 八尋はもう一度バスを見る。
 窓ガラスが割れ、天井が大きくへこみ、座席が剥き出しになっていた。どうやら、割れた窓ガラスから、地面に投げ出されたのだ。

 どうしよう。どうしたらいい。
 とりあえず、身体は動くのか。

 八尋はもう一度、指、手、腕、足と一つ一つ確認するように身体を動かそうと試みる。痛みはあったが何とか動かすことはできた。
 今度は、腕を支えにして半身を起こした。
「これは……」
 かすれた声が八尋の唇からもれる。
 身体を起こした八尋の目に映った光景は、信じられないものであった。
 同じくバスから外に投げ出された乗客たちが、何人か、雪の上に横たわっている。
「た……」
 大変だ。救急車を、それとも警察か? 怪我人がいるからやっぱり救急車なのか? 混乱する頭の中、八尋は胸ポケットからスマホを取り出した。
 震える手で電話をかけようとするが、画面に亀裂が入り電源も切れていた。試しに電源ボタンを押してみたが、うんともすんともいわない。壊れたのだ。

 だが、他の乗客が救急車に助けを求めている声を聞き、ひとまず安心した八尋は回りを見渡しながら立ち上がった。
 他の人たちは無事だろうか。
「大丈夫ですか! みんな無事ですか!」
 大きな声を張り上げ、八尋は周りの乗客たちに声をかけた。
 あちこちから助けを求める声が聞こえてくる。

 何とかしなければ。
 何とか。でも、どうしたらいい。

 立ち尽くしたまま、何をしたらいいのか分からず、八尋はおろおろする。その時、八尋の耳に女の子の泣き声が飛び込んだ。
 どこから泣き声が聞こえてくるのかと、耳に神経を集中させる。

 すぐ近くだ。

 八尋は足を踏み出し、声のした方向へと歩き出す。
「今、行くから!」
 雪に足をとられながらも、八尋は必死に女の子の姿を探した。
 数十歩歩いた木の陰に、女の子が身体を丸めるようにして地面に横たわっていた。
「もう大丈夫だよ。安心して」
 少女の身体を起こして腕に抱える。
「ママ!」
 泣きながら女の子は母親の姿を探す。
 八尋ははっとなる。

 腕の中の少女は隣の席に座っていた子だった。この子も自分と同じく、バスの窓から外に投げ出されたのだ。
 自分と同じく、柔らかい雪の上に放り出されたこともあって、大きな怪我はをおうことはなかった。
「お母さんはどこだ」
 女の子を腕に抱きかかえた状態で母親の姿を探すと、数メートル先、バスの側でうつ伏せになって横たわっている母親とおぼしき姿を見つけた。
 女の子を抱えた状態で、八尋は母親の元に向かう。
「だ、大丈夫ですか!」

 肩に手をかけ大声で呼びかけたが母親は答えない。
 頭から血を流している。まさか、と思って鼻のあたりに手を持っていくと、息をしていて胸をなでおろす。
「ママー!」
「お母さん! お嬢さんは無事ですよ!」
 と、もう一度大声を出し呼びかけたが、やはり母親は目を覚まさない。
「しっかりしてください!」
 八尋は抱えていた女の子をいったん地面におろし、横たわっている母親を助け起こそうとする。そこで、ようやく母親は意識を取り戻した。
「美咲は……どこ……」
 かすれた声で娘の名前を呼ぶ。

「安心してください。娘さんはここですよ」
 娘の姿を確認した母親は再び、意識を失った。
「しっかりしてください!」
「ママ……ママ……」
 泣きながら弱々しい声を発する女の子美咲は、寒さに身体を震わせていた。
 八尋は雪と風から守るように、美咲を自分の胸に引き寄せ抱きしめる。
 このままではこの子が死んでしまう。
 幼い子にこの寒さには耐えられない。
 八尋はぎりっと歯を鳴らし、着ていたコートを脱ぐと、それで女の子の身体をくるんだ。

「大丈夫だよ。すぐに助けがくるから。大丈夫。ママも大丈夫だからね」
 八尋は自分にも言い聞かせるように、大丈夫を何度も繰り返した。
「本当?」
 目に涙を浮かべ、美咲が不安そうな声を発しながら八尋を見る。
「もちろん」
 寒さで強ばった顔に、八尋は無理矢理笑顔を刻んだ。
 うまく笑えているだろうか。美咲ちゃんを安心させられているだろうか。
 そこへ、八尋を呼ぶ声が聞こえた。
「君……」
 八尋はきょろきょろとする。
「ここだ。君……」

 バスの前方で運転手が血まみれになりながら、八尋に向かって弱々しく手を振っていた。さらに別方向からも助けを求める声。
「助けて……」
「助けてください」
 助けて。助けて。助けて。
 あちこちから聞こえる救いを求める声に、八尋は顔を歪めた。
 他の乗客を助けるには、腕の中にいる美咲を誰かに預けなければならない。けれど、みんなそんな余裕はなさそうだ。
「君……」
 そこへ再びバスの運転手に声をかけられる。
 八尋は運転手の側に駆け寄り膝をついた。

「大丈夫ですか! 誰かが119番したのですぐに救助が来るはずです。助けが来ます。それまでどうかしっかりしてください。今助けますから!」
 八尋は抱えている女の子をいったん地面に置こうとするが、運転手は否と首を振る。
「私は大丈夫だ。それよりもその子は私が見ていてあげよう」
「でも」
 運転手もあまりよい状態とはいえなかった。よく見ると、頭から血を流しひどい怪我をしている。
「その代わり、もし動けるなら他の乗客のことをお願いしたい。だから、その子を私に」
 八尋はぎゅっと美咲の身体を抱きしめる。腕の中で泣きながら寒さに震える美咲。
 暗闇の中、あちこちから助けを求める声。
 顔色を青ざめさせ頭から血を流すバスの運転手。

 どうしたらいい。

 何を優先したらいいのか分からなくて、泣きそうになった。
「君にこんなことを頼んで申し訳ない。だが、私は動けない。だからお願いだ。私の代わりに乗客を……頼む」
 運転手の切実な願いに、八尋は決意して頷く。
「分かりました。この子をお願いします」
 手を伸ばしてきた運転手に美咲を預ける。
 運転手は着ているブレザーの中に八尋のコートごと美咲を胸に抱えた。
 彼が美咲を胸に抱えていてくれるなら、この寒さも少しは耐えてくれるだろう。
「君、名前は? 私は平沢亨……」
「僕は広田八尋です」
「広田くん、私の代わりにみなを頼む」
「分かりました。必ず平沢さんも助けますから。待っていてください!」
「ありがとう……大変な思いをさせてすまないね。八尋くん……」
 八尋の目から涙があふれた。その涙を服の袖で拭う。
「僕はまだ動けるから、だから任せてください!」
「ありがとう……八尋くん……」
 運転手は青ざめた顔に弱々しい笑みを浮かべた。唇が紫色に変色している。

 心のどこかで、平沢さんはもうだめかもしれないと感じた。
 八尋は空を見上げる。雪は容赦なく降りしきる。
 平沢さんを助けるためにも、急いで他の人を、一人でも多くの人たちを助けなければ。
 八尋は手を握りしめ、後方を振り返り走り出した。
「絶対に誰も死なせないぞ!」
 口を開き叫んだ瞬間、吹き付ける雪が入り込む。さらにいっそう吹く雪を、まるで泳ぐように手でかき分け、八尋は力を振り絞り、乗客たちの救助にあたった。



 女は目の端に滲んだ涙を拭い泣きながら、いや、笑いながら続けた。
「本当にあの子ったら、自分も怪我をしているのに他人の救助に走り回っていたんですよ。まったく、ばかな子でしょう? でも、あの子らしいといえばあの子らしいわ。子どもの頃からそういう子だったのよ。困っている人を見かけたら手助けをしてしまう子なの」
 ばかな子、と言いながらも、それが本心からの言葉ではないことは伝わってきた。おそらく複雑な思いを抱いていたに違いない。
 事故現場で自分の怪我もかえりみず、その場にいた怪我人救出のために一人奔走した青年のことは報道ニュースでも取り上げられていた。
 誰もがその勇敢な青年のことを褒め称えたし、いまや知らない者などいないといっても過言ではない。けれど、母親からしてみれば、救助に走り回った息子を誇らしいと思いながらも、一方では、あの時無理をしなければ……という複雑な思いがあったはず。

「どんなに感謝の言葉を、みなさんからいただいても、あの子は……」
 母親は小刻みに肩を震わせ嗚咽をもらす。
「八尋くんは立派だと思います。あの状況で他人を助けようとするなど、なかなかできることではありません。優しく勇気ある青年です」
 母親はほんの少し、嬉しそうに笑った。
「そう言っていただけたら、あの子も報われるでしょう」
 母親と一樹の会話を聞いていた八尋は、その場から動けなかった。
 僕が報われるって、それじゃあ、母さん、僕は……。
 八尋は自分の手のひらに視線を落とす。



 ここにいる僕は?

ー 第37話に続くー

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