この裏切りは、君を守るため 第5話
◆第1話はこちら
第1章 忍び寄る影
4 嵐の夜
嵐がくるのだろうか。
その日は風の強い夜であった。
まるで不吉なことが起きる前兆のような気がして、ファンローゼは始終母の側から離れようとしなかった。
子どもみたいね、と母、サラは笑ったが、母の側を離れるのが不安だった。
父は用事があるため、今夜は帰ってくるかどうか分からない。
自室に戻り、ベッドにもぐりこんでも眠れず、一人でいると不安がよりいっそう増し、胸が嫌な感じでざわついた。
結局、母の部屋にいき一緒に眠った。
吹きつける風で窓が激しく音をたてるたび、ファンローゼは小さな悲鳴をあげ母にしがみついた。
そのたびに母は大丈夫よ、と優しく背をなでてくれたが、それは母自身、自分に言い聞かせているようにも思えて、怖くてたまらなかった。
窓の外では木々が強風によって揺れた。
時折、風に流されて物が倒され転がっていく音が聞こえてくる。
だから最初は、その音に気づけなかった。
激しく吹く風が一瞬おさまったその時、扉を叩く音に気づいた。さらに、人の声。
「お母様、外で人の声が聞こえたわ」
ファンローゼは怯えて母にしがみつく。
「まさか……こんな嵐の日に、それも夜遅く。気のせいではないの」
と、言いかけたところへ、確かに何者かが扉を叩き叫んでいるのが聞こえてきた。
「見てくるわ。あなたはここにいなさい」
「私もいく」
立ち上がる母の腕にしがみつき、ファンローゼも玄関に向かった。
「どちらさまですか?」
扉越し、サラがおそるおそる相手に問いかける。
「僕です。コンツェットです」
扉の向こうで答えるコンツェットの声に、ファンローゼは急いで錠を外し扉を開けた。瞬間、雨と風が流れ込み、ファンローゼは腕を眼前にかかげてふせぐ。
うっすらと目を開けると、目の前に雨でずぶ濡れになったコンツェットが立ち尽くしていた。
「まあ! コンツェット……いったいどうしたというの」
サラは驚きの声をあげた。
「とにかく、中に入って」
ファンローゼはすぐにコンツェットの手を掴んで家の中にいれた。
どのくらい雨風にさらされていたのか、握ったコンツェットの手はすっかり冷えていた。
そのままコンツェットをリビングに連れていこうとするが、コンツェットは頭を振る。
「一人で来たの? ご家族の方は?」
しかし、次のコンツェットの言葉に、ファンローゼもサラも驚愕する。
「父と母は、殺されました」
抑揚のない声だった。
感情の欠けたその声に、ファンローゼはコンツェットが何を言ったのかすぐに理解できなかった。
殺された?
コンツェットのお母様とお父様が?
「そんな……」
ファンローゼは信じられないと首を振り、口元に手をあてた。
「日が暮れてから、突然黒い軍服を着たエスツェリア軍が現れて僕たちを連れていこうとした。でも……」
激しく抵抗した両親は、エスツェリア軍に撃たれ殺された。
彼らは何の躊躇いもなく父と母を撃ち殺した。
彼らはエスツェリア軍に逆らう者、あるいは、批判する者を捕らえ容赦なく皆殺しにした。
「だけど、なぜ急に……」
母の疑問に、コンツェットは分からないと首を振る。
「他にも知った者が何人もエスツェリア軍に捕らえられていった……」
そう言って、コンツェットは次々とエスツェリア軍に捕らえられた者の名前を口にしていく。
その誰もがファンローゼの知っている人であった。
なぜなら、それらの名前は以前、父が主催していた読書会に参加していたメンバーであったから。
「サラおばさん、奴らはエスツェリアを批判するクルトおじさんを狙っている」
「お父様を……」
つまり、エスツェリアを批判する父とかかわったという理由で、彼らは捕らえられたということか。
それで、コンツェットの家族も狙われた。
だが、過去に父とかかわっていたというその情報をエスツェリア軍はどこで知ったのか。
ふと、ファンローゼの脳裏に、いつも部屋の片隅で本を読んでいたレイシーの姿が浮かんだ。
彼は今どこでどうしているのだろうか。
無事でいるのか。
「とにかく、早く逃げたほうがいい。奴らは間違いなくここに来る」
それを伝えにコンツェットはこの嵐の中、危険をかえりみず急いで駆けつけてきたのだ。「悠長なことはしていられない。早く逃げるんだ!」
必死に訴えかけるコンツェットを、ファンローゼはどこかぼんやりと見つめていた。
コンツェットの両親が殺された。
エスツェリア軍は自分たち家族も狙っている。
信じられない。
お願いだから、嘘だと言って。
「もはや決断するしかなさそうだな」
ふいに背後からの声にファンローゼたちは振り返った。
裏口から入ってきたのだろう、そこに父クルトが神妙な面持ちで立っていた。
「あなた、いつの間にお戻りに」
「ああ……あちこちでエスツェリア軍に捕らえられた者がいると聞いて急いで戻ってきた。コンツェット君……君の両親のことは何と申しあげたらいいのか……」
「いいえ、それよりも今はこの状況から逃れることを考えましょう」
コンツェットは気丈な態度で答える。
「お父様」
ファンローゼとサラの声が重なった。
「この家を捨て、故郷を離れよう。そうするしか、我々に生きる道はなさそうだ」
サラはゆっくりと頷き、ファンローゼを抱き寄せた。
「私たちどうなるの? ここを離れてどこに行くの?」
「違う国に行って暮らすのよ」
「違う国? 遠いの? またここに戻ってこられるの?」
ファンローゼの問いかけに、父と母は曖昧な笑みを浮かべるだけ。
それが答えであった。
「コンツェット君。君も一緒に」
父の声にコンツェットは頷いた。
住み慣れたこの家を離れる。
けれど、いつか再びこの家に戻ってきて、また以前のように家族で暮らせるものだとこの時のファンローゼは信じて疑わなかった。しかし、家を出ようとしたその時であった。
玄関先に集まったいくつもの車と、家の中を照らす無数のライト。
「こんなに早くエスツェリア軍の奴らが来るとは」
ファンローゼは無言で父の背中を見つめた。
その背に固い決心を感じ取る。と同時に、嫌な予感が胸を過ぎる。
「サラ、裏手に私が乗ってきた車がある。この子たちを連れて行きなさい」
「あなたはどうなさるおつもりですか?」
「私は奴らをここで引き止める。その間におまえたちは遠くへ逃げなさい」
「いやです! あなたを置いて逃げるなどできません」
「サラ」
クルトの手がサラの両肩に置かれた。
「よく聞きなさい。フォルドゥイーク駅発スヴェリア国へ向かう列車は今日の21時ちょうどで最後となる。これは仲間から仕入れた情報だ。それ以降、スヴェリアへ向かう列車はいつ出るか定かではない。私の言っている意味が分かるね。サラ」
言い含めるようにクルトは妻の名を口に刻む。
その列車を逃せばこの国から逃れる機会がなくなるということだ。
サラは涙をこぼしながら、けれど、力強く頷いた。と同時に、サラの瞳に強い決意の色が浮かび上がる。
クルトは妻の肩を引き寄せきつく抱きしめた。
「子どもたちを頼んだよ。サラ」
はい、と頷きサラはファンローゼの腕をひいた。
「さあ、コンツェット君も一緒に」
「クルトおじさんは」
「心配しなくてもいい。私もすぐに追いかける」
静かな口調で答えるクルトの言葉に、揺らぎのない強い決意をコンツェットは感じとり頷く。
「コンツェット君、頼んだよ」
「はい! この命に代えても必ずファンローゼを守ってみせます」
頼もしいコンツェットの言葉にクルトは安心したように微笑んだ。
「さあ、行こう」
コンツェットはファンローゼの手を握りしめる。
「だって、お父様は!」
躊躇するファンローゼの手を引き、コンツェットはサラとともに小走りで裏口へと走る。
後から追いかけるなど無理に決まっている。
父は自ら犠牲となり、自分たちをエスツェリア軍から逃すつもりなのだ。
裏口をでると、父が言っていた通り、そこに一台の車が止めてあった。
「さあ、乗って!」
運転席に座ったサラは二人にも乗るよううながす。その時、屋敷の中から一発の銃声が聞こえた。
「お父様!」
屋敷へ引き返そうとするファンローゼの手を、コンツェットは掴んで引き止める。
「離して! お父様が」
「だめだ!」
「コンツェット! お願い」
「たとえ君に嫌われたとしても、この手を離すわけにはいかない!」
背の高さも自分とコンツェットとではさほど変わらない。
それでもコンツェットは男だった。
どんなに腕を振り回しても、彼の手を振り解くことはできない。
「ファンローゼ。コンツェットの言う通りよ。あなたを行かせるわけにはいかない。二人ともしっかり掴まって。飛ばすわよ」
ファンローゼは悲痛な顔を浮かべた。
辛いのは自分だけではない。
お母様だって、それにコンツェットだって、お父様やお母様を殺された。なのに、私はこうしてただ泣いているだけ。
「ファンローゼ、ごめん」
不意に頭を抱え込まれるようにコンツェットの胸に引き寄せられた。
ファンローゼは思わずコンツェットの胸に顔を埋め嗚咽した。
