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心霊食堂 旅立ちは 思い出の味で 第3話

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第1章 小料理屋『想』

2 新たな客

 手持ちのお金で食べられるものは何だろう。白飯と味噌汁はどうだろうか。それならぎりぎり足りそうだ。よし、それに決めようと思った八尋の目に〝豚汁350円〟という文字が飛び込んだ。

 豚汁か。

 寒い日には身体も温まりそうだし、具もたくさん入っていて、きっと腹も満たされるに違いない。
 それに、ぴったり手持ちのお金で足りる。
 よし、これに決めたと、八尋はお品書きから顔を上げる。
「すみません。豚汁をお願いします」
「豚汁ですね」
 注文はそれだけか、と訝しまれることもなく、店主は穏やかな微笑みを浮かべ調理に取りかかり始めた。

 やっぱり、癒やし系イケメンだ。
 八尋は冷たくなった手をこすり合わせ、息を吹きかけた。
 さりげなく店内を見渡す。カウンター8席、テーブル2卓8席と小上がりの席1卓。
 広くはないが、それでも、ゆったりと座席の間隔をとっていることもあり、圧迫感はなかった。

 木を基調とした温もりを感じさせる内装は、暖かさの中にアットホームな落ち着きがある。照明も暗すぎず、明るすぎない暖色系で、くつろげる雰囲気を味わわせた。
 カウンターの向こうから、とんとん、と軽快な音が聞こえてくる。まな板の上でネギを切る店主の手は、男のものとは思えないきれいでしなやかであった。
「どうぞ」
 小口切りのネギを仕上げに散らし、八尋の前に注文した豚汁が提供された。
 大きめの器から、あつあつの白い湯気が立ちのぼる。湯気の底には具だくさんの野菜と肉がごろごろで、見るからに食べ応えを感じた。
「うまそう」
 と、声をもらし、八尋は箸を取り、いただきますと手を合わせた。

 お椀を手に持つと、凍えた指先にじわじわと熱が渡り感覚が戻り始める。
 味噌独特の香りが鼻をかすめる。ふと、台所で朝食の支度をする母親の後ろ姿と包丁の音。漂う味噌汁の香りという、子どもの頃の思い出が脳裏をよぎった。
 器の縁に口を持っていく。空っぽの胃袋が、早く早くと訴えかけている。ふう、と息を吹きかけると、白い湯気が器の向こうへと逃げていく。
 一口、汁をすすった。
「あつっ!」

 熱いけれど、ああ、生き返る――。

 八尋は天井を見上げ、ほう、と至福の息をもらした。
 今まさに幸せの一時を噛みしめる。
 冷え切った身体が温まり、全身に血が巡っていく。
 失いかけていた気力が腹の底から湧き上がり満ちあふれ、心まで満たされる。
 次に具を食べようと箸をかまえる。
 迷うことなく最初は豚肉だ。
 旨味と脂が出る薄切りの豚バラ肉は、汁に馴染んでおいしさが引き立っている。

 野菜は里芋、大根、ごぼうといった定番のものに、彩りを添えるために、いちょう切りにしたにんじん。一口大にちぎったこんにゃくは、断面から味が染み込んで、こんにゃく特有の生臭さは感じられない。添えられた小口切りに切ったネギは、香りのアクセントとなっている。
「甘くておいしい」
 八尋の独り言が、店主の耳にも聞こえたようだ。
「麦味噌を使用しているからでしょう」
「麦味噌?」
「ええ。麦の芳ばしい香りと甘味は、コクのある豚汁にとても合うんです」
 店主は目元を和らげて八尋に説明をする。
 豚汁の温かさと同じで、人の心を和ませ、警戒心を抱かせない穏やかさだ。

 麦味噌の甘味が店主のほんわかとした雰囲気と重なった。
「そうなんですか。確かに、食材の甘みが増す感じがしますね」
 と、普段なら絶対に口にすることのない料理の感想が、自然と八尋の口から出た。
 胃が小躍りしているのが自分でも分かる。
「本当にうまい」
 箸が止まらなかった。
 冷めたらうまさも半減してしまうという思いもあり、具たっぷりの豚汁は瞬く間に八尋の胃の中に消えていく。
 両手で器を持ち、最後の一滴まで残さないとばかりに汁を飲み干す。
「ごちそうさまでした」

 満腹にはならなかったが心は満たされた。
 元気もでた。今ならどんなことでも頑張れそうな気がする。
 よし、気合いを入れて仕事探しを頑張ろう。
 人間、やればできる。と、意気込みを抱き、立ち上がろうとしたその時、店の引き戸が開かれた。思わずそちらに視線をやる。
 開いた扉から、外の寒気が一気に店内に流れ込み、ぶるっと身体を震わせた。

 一人の中年男が戸口で立ち尽くしている。
 濃紺のスラックスとジャケット。白いシャツに青いネクタイ。そして、ジャケットと同じ色の帽子。タクシーかバスの運転手の制服のようだ。
「いらっしゃいませ。よかったらカウンターへどうぞ」
 店主に導かれ、男はゆったりとした足取りでカウンターに歩み席につく。
 男の歩く姿に八尋は違和感を覚えた。
 歩くというよりは滑るような。まるで、動く歩道の上に乗っている不自然な動きだったからだ。

 何となく店を出るタイミングを失い、八尋は浮かせた腰を再び椅子におろした。同時に温かい茶のおかわりが差し出される。
 どうも、と頭を下げて礼をし、八尋は茶をすすりながら、さりげないふうをよそおって、新たに店に入ってきた男の様子を窺った。
 男はカウンターに座っても、お品書きを手にとって見るわけでもなく、首を垂れたままいつまでも注文をする様子はなかった。
 影というか、印象の薄い男だ。
 こういっては失礼だが、まるで死人みたいだと思った。

「何にいたしましょう?」
 問いかけても、やはり男は無言で、顔すら上げようとしない。店主の声が聞こえていないわけではないだろうに。
 店主はおもむろにリモコンを手にとり、壁掛けテレビの電源を入れた。
 画面にはニュース番組が映し出される。それは、三日前に起きた、高速バス転落事故の模様であった。
 新潟県内の関越自動車道下り線沿いの斜面で表層雪崩が発生し、走行中のバスが雪崩の直撃を受け道路から崖下へと押し出され転落したという事故であった。どの番組でもそのニュースが取り上げられ、今話題になっている。

 コメンテーターによると、現場付近は雪崩の危険が無いと判断され、雪避けが設置されていなかったのと、記録的な豪雪で雪崩につながったと解説されていた。
「豚汁です。温まりますよ」
 うつむく男の前に、店主は八尋に供したものと同じ豚汁を差し出した。
 男は器を挟みこむように両手で持ち、紫色に変色した唇を器の縁に寄せ汁をすすった。
「ああ、温かい。寒くてとても身体が冷えていたんです」
 消え入りそうな声ではあったが、ようやく男は言葉を発した。
「そうですね。あの日は本当に、激しい雪の降る寒い夜でした」
 あの日? 激しい雪?
 いったい二人はいつの日のことを話をしているのか。

 雪といえば外はどうなっただろう。まだ降っているのか。それともやんだのか。八尋は窓に視線を移して複雑な表情を浮かべる。
 いつの間にか、外は吹雪いていた。
「はい……凍えるほど寒い日でした」
 と、言い男は器の中の豚汁に視線を落とす。
「希望のものがあれば、何でもお作りいたします。どうぞおしゃってください」
 男はいえ、と緩く首を振り、豚汁の器を置き再び肩を丸めうなだれる。
「私のせいで、みんなに申し訳ないことをしてしまいました。痛くて寒くて、辛かっただろうに。なのに、私だけ温かい食事をとるなど、許されません」

 泣いている?

 カウンターテーブルに、ぽたぽたと涙が落ちるのを八尋は見る。
 店主はいいえ、と緩やかに首を振った。
「あなたは最後まで自分の責務を果たしました。だから、おいしいものを食べて身体を暖め、次の段階に進みましょう。一人で行くのが難しいのなら、私がお手伝いをしてさしあげますよ」
 胸の辺りがざわざわと落ち着かない感じがした。
 八尋の頭の中で疑問符が飛び交う。
 店主と男の会話が何となく普通とは思えなかったからだ。
 次の段階に進みましょうとか、一人で行くのが難しいとは、いったいどういう意味なのか。
 何やら深い事情がありそうな気がした。

ー 第4話に続くー

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