この裏切りは、君を守るため 第61話
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第6章 もう君を離さない
9 エリスの怒り
「どういうこと!」
エリスはヒステリックに叫び、窓際に置いてある花瓶を掴み、床に投げつけた。
派手な音をたてて花瓶が割れ、粉々に砕けたガラスの破片が床に散らばる。
エリスのもう片方の手には、一通の手紙が握りしめられていた。
「どうなさったのですか? エリスお嬢様」
彼女の身辺を警護する軍の男が、エリスの逆上ぶりに狼狽する。
エリスは握りしめた手紙を床に叩きつけた。
男はおそるおそる手紙を拾い、無礼とは承知しながらも手紙に目を通す。
男の表情が変わった。
そこに書かれていた内容は、エリスの婚約者であるコンツェットが彼女を裏切り、ファンローゼという娘と一緒にいるという内容であった。
誰がこんな手紙をエリスお嬢様に送りつけたのだと差出人を確認し、さらに男は表情を強ばらせる。
差出人は〝キャリー〟だった。
キャリーは軍諜報部の極秘任務で動く人物。
一部の者しかその正体を知らず、キャリーに目をつけられた者はもはや、地獄の底に堕ちるしかないとまでいわれ、恐れられているほどだ。
そのキャリーが、コンツェットの不義を容赦なくエリスに密告した。おそらく、このことはヨシア大佐の耳にも入るだろう。
「なぜこんな手紙が」
「知らないわよ!」
「きっと、たちの悪い嫌がらせです」
エリスをなだめようとそんな言葉を口にするが、それは気休めだ。
キャリーの名前を騙ってまで、こんなことをする者など軍内部にいるはずがない。
「お嬢様……」
エリスのおさまらない怒りに、男はかける言葉も見あたらずという様子であった。いや、それ以上に、この場でキャリーの名前が出てきたことに恐れ慄いていた。
「コンツェットが私を裏切った。絶対に許さないわ。おまけに軍に追われている女をかばうなんて。その女はコンツェットの幼なじみで、二人は愛し合っているだなんて!」
エリスは側に控える男に指を突きつけた。
「必ずコンツェットを私の元に連れ戻して! 殺しちゃだめよ。多少傷つけても、必ず生かして私の元に連れてきなさい! 私を裏切ったことを、後悔させてやるわ」
エリスの双眸が憎悪に揺れる。
「それから、ファンローゼという女もよ。私からコンツェットを奪ったことを思い知らせてやるわ」
それから三日が過ぎた。
コンツェットはいつもと変わらず軍本部に出かけているが、ファンローゼを匿っていることはまだばれていない。
〝キャリー〟の一件もどうなったのか、コンツェットは何も言わない。
外出することもなく、ファンローゼはアパートで息をひそめるように過ごしていた。
頃合いをみて、二人でこの国から抜け出そうとコンツェットは言った。
窓から差し込む光が橙色に染まり始めた頃、扉を叩く音に気づきファンローゼは椅子から立ち上がり扉へと歩み寄る。
コンツェットが帰ってきたと思ったからだ。
しかし、扉を開けようとして思いとどまる。
再びノックの音。
それはいつもと変わらない。だが、コンツェットは自分が帰ってきたことを小声でファンローゼに知らせてくれた。けれど、扉の向こうの人物は無言のまま。
ファンローゼは息を飲む。
嫌な予感がする。
扉一枚隔てた向こうで動く人の気配。
一人ではない、数人。
もし、自分以外の者が訪ねてきても、それがたとえ誰であっても、コンツェットから絶対に鍵は開けてはならないと言われていた。
誰?
次の瞬間、扉が蹴破られた。押し入ってきた数人のエスツェリア軍によって押さえ込まれる。
助けを呼ぼうと口を開くも、男の手によってふさがれる。
鼻の奥を刺激するつんとした刺激臭。
やがて、視界がかすみ、ファンローゼは意識を手放した。
頭がぼうっとする。
目を開けると、見慣れない光景が目に映った。
どこかの部屋であった。
いったい誰の部屋?
自分の身に何が起きたのか思い出そうとしたが、思考がうまく働かなかった。
身体を動かそうにも、気怠さが全身に絡みつき、思うように動けない。
「お目覚めかしら」
ファンローゼは声が聞こえた方に視線を傾けた。
「あなたは」
誰? と言いかけて口をつぐむ。
ようやく焦点の結び始めたファンローゼの目が、目の前に立つ女性の姿を確認し、見開かれた。
見覚えのある顔であった。
緩やかに流れる見事なブロンドの髪。陶器のように滑らかで白い肌。
大佐のパーティで見かけた女性。コンツェットの婚約者、エスツェリア軍大佐の娘エリスであった。
「ここは……」
さらにファンローゼは表情を強ばらせる。
身体が動かなかったのは、椅子に後ろ手で縛られているせいであることに気づく。そこでようやく思い出す。
アパートにやって来た、エスツェリア軍の男たちに突然連れ去られたことを。
「あなた、先日のパーティーで歌をうたった子ね。よく覚えてるわ」
歩み寄ってきたエリスの手にあごをきつく掴まれ、上向かせられた。
「よくも、私のコンツェットを横取りしたわね。この泥棒っ!」
振り上げられたエリスの手が、思いっきりファンローゼの頬へ打ち下ろされた。
じんと、頬に痺れるような痛みが走る。
視線をあげようとして目眩を引き起こし、吐き気に襲われた。
連れ去られる時に何かの薬品を嗅がされ、まだ意識が朦朧とする。
「彼はね、私と婚約したの。私のものなの! 彼は私を愛してると言った。それなのに、おまえが横取りした!」
両腕を組むエリスは、側にいる軍の男にあごで示した。
男は無表情な顔で手にしていた小さなケースから注射器を取り出す。針の先に透明色の薬品の入った小瓶を突き刺す。注射器の中にその薬品が吸い込まれていく。
「……何をするの」
「ちょっとしたお薬よ。そんなに怯えなくても、別に命までとったりしないわ。ほんの少し気持ちよくさせてあげるだけ」
エリスは口角を吊り上げ、目を細めファンローゼを見下ろした。
「お願い……やめて……」
男の手がファンローゼの腕を掴むと、持っていた注射器の針の先端を腕にあてた。
「や、めて……」
「安心なさい。廃人にならない程度の量だから。でも、それ以上暴れるなら、もう一本打たなければいけなくなるわ。そうなったら、正気でいられるかどうか保証できないけど」
エリスは唇を歪めくすくすと笑う。
助けて、とファンローゼの目がエリスに訴えかける。
「本当に好きにしていいんですか? エリスお嬢様」
「かまわないわ。滅茶苦茶にしてしまいなさい。私から大切なコンツェットを奪った罪をこの女にじっくりと教えてあげるといいわ」
エリスは悠然と、ソファーに腰をおろし足を組んだ。
「ここでおまえが男たちに遊ばれるところを見ていてあげる。ふん! いい気味」
注射器の針が皮膚に沈む。ちくりとした痛みが走った。
もう、だめ……と目をきつく閉じたその時。
「おふざけになるのも大概になさったらどうですか、エリスお嬢様」
その声にファンローゼは目を開いた。
そして、驚愕する。
「何よ、私に指図するつもり? ていうか、あんた誰!」
いつの間に部屋に現れたのか、一人の男が扉に背をあずけ腕を組んで立っていた。
その男の姿に、エスツェリア軍は強ばった顔で背筋を伸ばし硬直する。
ファンローゼに注射を打とうとした男も、現れたその男が自分よりも階級が上だと知り、ファンローゼから離れ、直立で敬礼をする。
