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伊月一空の心霊奇話 ーそのいわく付きの品、浄化しますー 第15話

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第1章 約束の簪

14  今だけは恋人設定

「──き……紗紀?」
 名前を呼ばれ、肩を揺すられる。
「え?」
 我に返ると、隣で一空が心配そうな目でこちらを覗き込んでいた。
 肩に置かれた一空の手と、間近にある端整な顔に、紗紀は胸をドキリとさせる。

「泣いているのか?」
「泣く?」
 慌てて指先を頬のあたりに持って行く。
 自分でも気づかずに涙を流していた。
「あらやだ、どら焼きを食べて泣くなんて。この子ったら、よほどおいしかったのね」
 祖母が口元に手を当て、呆れたように笑った。

「あはは、そうかもね。おいしすぎてね」
 笑いながら言って、紗紀は涙を手の甲で拭った。
「大丈夫か、紗紀。呆けた顔をして。疲れたか?」
 肩に置かれていた一空の手が、今度は頭に触れ優しく撫でられる。
 またしても胸がトクンと波打った。

 なに? 今まで見せたこともない優しい態度。
 彼氏設定だから?

「うん、少し疲れたかも。でも、大丈夫」
 紗紀は写真から手を離した。

 それにしても、今の光景は何だったのだろう。
 夢? ううん、違う。

 まるで、脳裏に楓と真蔵、二人のやりとりが映像として流れていく感じであった。
 女性は曾祖母の楓。そして、男は楓が愛したけれど、結ばれなかった男性(ひと)だ。
 その時、壁の時計が鳴った。
 時刻を見ると午後六時。外はうっすらと夕闇が落ち始めている。山に囲まれたこの田舎では日が落ちれば、すぐに宵闇が迫り辺りは真っ暗となる。

「おや、もうこんな時間。夕飯にしましょうかねえ。たいしたものはないけれど、一空さんも食べていきなさい」
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」
「一空さんはお酒は好きかしら?」
「はい、とても」
 トキはくすくすと笑う。

「おい、ばあさんや、あれだあれ。あのとっておきのあれをだしなさい」
 無口だった祖父があれあれ、と言ってトキに指示をする。
「はいはい、分かっていますよ。あれですね。とっておきのお酒ですね」
 物怖じしない一空の態度に、祖父は気をよくしたようだ。
 好印象なイケメンは、誰の心も許してしまうのか。

「では用意しましょうね。そうそう一空さん、今日は泊まるところは決まっているのかしら?」
「いえ、これから探そうと思っているところです」
「だったら、うちに泊まっていきなさい。部屋だけはたくさんあまっているから」
「え?」

 一空がここに泊まると聞き、紗紀は慌てる。
 まさか、こんな展開になるとは。
「伊月くんと言ったな? そうしなさい。ばあさん、新しい敷布や毛布があっただろ? それを出しなさい。風呂は沸かしてあるのか。まだ袖を通していないわしの寝間着があったろう?」
 祖父もご機嫌だ。
 一空のことが気に入ったらしい。

「はいはい、分かっていますよ。だけど、おじいさんの寝間着を伊月さんが着たら、窮屈かもしれないわねえ」
 窮屈かもではなくて、間違いなく窮屈だから。
 それにしても、一空が泊まることに紗紀が反対する余地はなさそうだ。
「では、お言葉に甘えて」

 本当に泊まっていく気!

「宿、とっていたんじゃないの?」
「いや、まだだが」
 それが何だ? と言わんばかりの一空の態度に、紗紀はぽかんと口を開ける。

 少しは遠慮してよ。

「ご飯の用意するから、待っていてくださいね」
 トキはうふふ、と嬉しそうに笑いながら立ち上がり、台所へと向かう。が、すぐに振り返り、祖父に向かって手招きをする。
「おじいさん、こっちに来て手伝っておくれ」
「なんでわしが」
「いいから!」
 と、言いながらトキは紗紀と一空を交互に見る。

「ん? ああ……」
 トキの思惑を理解した祖父は、よっこいしょ、と言って立ち上がり、トキの後に続いて部屋から出て行った。
 部屋に二人きりで残され、会話もなく気まずい沈黙が落ちる。
 一空は湯飲みに手を伸ばしお茶を飲む。

 どこにでもある、ありふれた湯飲みに普通のお茶っ葉。けれど、一空が飲むと、さまになるのが不思議であった。
 座卓に正座で座り、背筋を伸ばした姿勢も美しい。
 伊月さんが私の田舎にいるなんて変な感じ、と思っていた紗紀は不意に重要なことに気づきはっとする。

「そういえばさっき、私のことを紗紀って名前で呼ばなかった? それも呼び捨て。呼んだわよね!」
「恋人なのだから、問題ないのでは?」
「こ、こ……恋人!」
「トキさんが言った」
「否定してよ。勘違いされたら困るじゃない」
「別にそこまでムキになることもないだろう。ここにいるだけの間なのだから」
「まあ、確かにそうだけど……」
 と、小声で呟き紗紀は湯飲みに残ったお茶を飲み干した。

ー 第16話に続く ー 

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