この裏切りは、君を守るため 第59話
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第6章 もう君を離さない
7 あの日の、出来事
運がよかったのか、悪かったのか。
いや、こうして生き延びられたのだから、よかったと思うべきなのかもしれない。
「ほう? ハルト中尉から銃をとりあげ、撃ったという勇敢な少年はこの子かね」
愉快そうに口元を緩め、コンツェットを見下ろすその男は、ヨシア大佐と名乗った。
コンツェットが連れられた場所は、エスツェリア軍特務部隊本部ヨシア大佐の執務室であった。
部屋の奥には重厚な作りのオーク材の机。
背後の壁にはエスツェリア軍の紋章である、羽を広げた鷹が刺繍されたタペストリーがかかげられていた。
ファンローゼをあの場から逃すため、死を覚悟した。
捨て身で軍の男に体当たりをして銃を奪い撃った。そして、反対に別の軍の男に撃たれた。
間違いなく死んだと思った。だが、自分はこうして生き延び、彼らの上官の前へと引きずり出された。
コンツェットは上目遣いで、目の前のヨシア大佐という男を見上げ、奥歯を噛みしめる。
軍人というイメージとはかけ離れた、背が高くやせ形で髪をオールバックになでつけた、四十代半ばのインテリ然とした雰囲気を漂わせる男だった。
「申し訳ございません」
ハルト中尉と呼ばれた男は、コンツェットに撃たれた右腕に手をあて、苦渋に顔を歪め苦い声を落とす。
致命傷ではなかったとはいえ、一般市民の、それもたかが子どもに銃を奪われ撃たれたとあっては軍人としての面目は丸つぶれだ。
これほどの屈辱はないだろう。
「なかなか勇ましい少年ではないか。愛する女性を守ろうとする男らしさ。度胸もある。銃を初めて扱ったにしては、腕もいいと思わないかい? ハルト中尉」
ハルト中尉はぴくりと眉を動かした。
それは返答に困る問いかけであった。
「たとえ、弾があたったのがまぐれであったとしても運がいい。運を味方にするのも実力のうち。そうだろう?」
ヨシア大佐はにこやかな笑みを崩さなかった。
「それに、容姿もなかなかではないか。どうだね君? エスツェリア軍に入らないか? 君のような勇敢な若者は大歓迎だ。たとえ君がエティカリア人だとしてもね」
冗談で言ったとしても、たちが悪すぎる。
友好的な振りをみせておきながら突如、エティカリア国に攻め入り、祖国を踏みにじった敵から勧誘されるなど思いもしなかった。
怒りがふつふつと、腹の底から沸きあがるのを押さえられなかった。
「殺せ」
コンツェットの口から押し殺した声がもれる。
「そうか。残念だよ」
ヨシア大佐は本心からがっかりしたような声を落とし、肩をすくめた。
その顔から笑みが消えた。
覚悟はしていた。
後悔はしていない。
もちろん、命乞いをするつもりもない。
ヨシア大佐はため息を一つつくと、己の部下に命じた。
「連れていきたまえ」
ハルト中尉ともう一人が両側からコンツェットの腕を掴む。
このまま外に連れ出され射殺されるのだろうか。だがその時、コンツェットを死の淵から救う声があがった。
「ねえお父様。この人は誰? エティカリア人? 何か悪いことをしたの?」
突然の可愛らしい少女の声に、その場にいた全員が振り返る。
大佐の娘が、扉の影からのぞき込むようにして、立っていた。
後から話を聞けば、大佐の娘エリスがこの場にやってきたのは本当に偶然だったという。 堅く父の執務室に立ち入ることを禁じられ、それを守ってきたエリスだが、この日は彼女の誕生日だったらしく、パーティーになかなか現れない父親をいてもたってもいられず、迎えにやってきたのだという。
「エリス、ここへ来てはいけないと言ったはずだよ。戻りなさい」
そして、これも奇跡だ。
エリスがコンツェットの顔を見て目を見開き、いや、と首を振った。
「この子をどうするの?」
子どもながらにも、コンツェットがこれからどうなるのか、その場の空気を一瞬で感じとったようだ。
「私、この人のことが気に入ったわ。私の側に置いてはだめ?」
「エリス」
父親の窘める声にも、エリスは言うことをきかなかった。
「お父様、お願い。この子が欲しいわ。だって、きれいな顔をしているもの。ね、いいでしょう? 私にちょうだい。お願い」
娘の我がままを咎めることをやめ、大佐は苦り切った表情をする。
どうやら、娘には特別甘いらしい。
そのおかげもあり、大佐の娘たってのお願いに、とりあえずの処刑は免れた。
翌日、コンツェットは再びヨシア大佐の元に呼ばれた。
「コンツェット君、もう一度聞こう。エスツェリア軍に入り私の下で働く気はないかね」
何度聞かれても答えは同じだ。
そこで、コンツェットは決死の覚悟で大佐の懐に飛び込み、持っていた銃を奪うと、安全装置を外し、その銃口を敵ではなく、自分のこめかみにあてた。
「待ちたまえ!」
ファンローゼ……すぐに君の後を追うと言った。でも、その約束は一生果たすことはできない。
いや。
コンツェットは顔を歪める。
ファンローゼは崖から落ち、ラーナリアの濁流に飲み込まれた。
間違いなく助からないだろう。
死ぬのなら一緒だ。
今すぐ僕もいく。
寂しい思いはさせない。
だが、コンツェットの命運は、まだ尽きてはいなかった。
「聞きたまえ。ファンローゼとか言ったね。彼女が見つかったと今朝方連絡が入った」
銃を握る手が緩んだ。だが、ファンローゼが発見されたと分かっても、生きていなければ意味がない。
「彼女は生きている」
「ファンローゼが、生きている?」
「彼女は奇跡的にも崖の途中の木枝に引っかかり、川に落ちることなく助かった。大きな怪我もないらしい。彼女を見つけたスヴェリアの老夫婦によって保護された」
力が抜けた。
コンツェットの手から銃が落ちる。
生きている……。
生きている。
生きていてくれた!
「うわわわ────────っ!」
コンツェットは声をあげて泣きながら、その場に崩れた。
「まだ安心するには早い、コンツェット君」
意味深な大佐の言葉に、コンツェットは顔をあげた。
「彼女のこの先の運命を握るのは、君の決断しだいだ」
したりと大佐は頷く。
「彼女はエスツェリア国に逆らう作家クルト・ウェンデルの娘」
反エスツェリアをとなえる者たちにとって、クルト・ウェンデルの存在は大きい。その彼の娘であるファンローゼも。
「我々に逆らうエティカリア人抑圧のため、クルト・ウェンデルの娘である彼女も本来捕らえたいところだが、君がエスツェリア軍に入隊することを決意してくれるなら、我々は今後いっさい、彼女に関与しないことを約束しよう」
口を開きかけたコンツェットを、大佐は手で制する。
「君の決断ひとつで、大切な彼女が救われる。スヴェリアの国で心穏やかに暮らせるのだ。どうかね? 悪い話ではないだろう?」
コンツェットは鋭い目で、目の前の大佐を見上げた。
「本当か?」
「ああ」
「今後いっさい、彼女に危害を加えないと?」
「嘘は言わないよ。彼女は河に落ちて死んだ。死んだ者は追いようがない」
コンツェットは握った手を強く震わせた。
迷うことはなかった。
いや、迷う必要などなかった。
ファンローゼが生きていてくれるならそれでいい。
この先エスツェリア軍に追われることに怯えず暮らしていけるのなら、たとえ、自分が祖国を裏切ったとしても、後悔などしない。
僕は死なない。
強くなる。
君を守るために。
ファンローゼ、守るよ。
君のことは絶対に僕が守るよ。
大佐の執務室を出てすぐに、エリスが近づいてきた。
「コンツェット、今日からあなたは私のものよ。私のいうことをよく聞くの。私を裏切ったら許さないからね。いいわね」
そう言って、エリスはにこりと笑った。
そうして、ヨシア大佐の条件を飲み敵国の軍に入隊した。一年間の厳しい訓練を受け、大佐が率いる特務部隊へ特別に配属された。
大佐の機嫌をそこねないよう、命じられればエスツェリア軍に逆らうエティカリア人を捕らえ必要とあらば殺した。殺した人間など数え切れない。もはや、数える意味もない。
『何て奴だ。平気な顔して自分の祖国の人間を殺しまくるんだぜ』
『自分かわいさにな。とんでもない奴だ』
『おまけに、大佐のお嬢様に色目を使って、自分の地位を確保しているじゃないか』
『胸くそ悪い奴だぜ』
祖国の者からも恨まれ、さらに、エスツェリア軍からも嫌悪された。
だが、誰に何を言われようとどうでもいい。ただ、ファンローゼが無事でいてくれたらそれでよかった。
やがて、めざましい功績をあげていき、大佐の右腕といわれるまでに昇りつめるとは周りの誰もが思いもしなかっただろう。あからさまに陰口を言っていた者たちも、上官となったコンツェットに対しての非難は減っていった。もちろん、陰で何を言っているかは定かではないが。そして、エティカリア人でありながら、敵国の将校の娘と婚約することになった。
──ファンローゼ、僕は忌々しい敵軍に身を投じることになるけれど、僕の心は一生、君だけのものだから。
