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届いてほしいこと

筐ニンゲンです。

今回は、僕がずっと想っていること、X(旧Twitter)でも度々触れてきたことを改めて一つのカタチにして問題提起しようと思います。




一.「想う」とはなにか


いわゆる「コナミ騒動」からもうすぐ十年。

その間、メタルギアシリーズは長らく動きを止めていたが、2023年5月
ようやくシリーズが再始動した。
PlayStation®Showcaseにて突如、過去作リマスター第一弾「MGSマスコレvol.1」と「MGS3」のリメイクとして「MGSΔデルタSEスネークイーター」が発表されたのだ。

だが、その時点での反応はあまりかんばしくなかったような覚えがある。
メタルギアを巡る“想い”は、すでにあちこちで食い違っていたからだ。
小島監督という存在に惹かれた人もいれば、あの世界やキャラクターに魅せられた人もいる。
もちろんその両方ともに惹かれ、応援に力を入れる人もいる。

さまざまな立場が交錯する中、ファンを名乗りながらも実質は自身に都合のいい小島監督の幻想だけを追いかけ、当の本人の意志すら無視して一方的に願望を押し付け続ける最も厄介な層もいた。
彼らは、“新メタルギアチーム”に容赦なく牙を剥いた。

━これは最近確認できたことだが、現開発陣には若いクリエイターが多い。

KONAMI PRESS START より

これからの未来を担う存在であるにもかかわらず、彼らはその努力や挑戦を最初から否定された。

“自称ファン”は言う。
たとえどんな想いがあろうとも、コナミはメタルギアに触れるな、と
だが、それは本当に「作品を想う」行為なのだろうか?
それは「作品を想う」というより、“作品を盾にした暴力”ではないか?


二.「創作」に対する変わらない想い


小島監督の創作姿勢については、冒頭で触れたようにこれまでもX(旧Twitter)で言及してきた。
僕の基盤にあったのはMGS4の特典映像内のこの言葉だ。

「色んな遺伝子とかを皆さんに受け継いでもらって、次の世代のクリエーターがメタルを継続していってくれたらいいなという、まあ、そういう内なる想いというか、そういうのがあります」

小島秀夫の遺伝子 より

これは単なる美辞麗句びじれいくではないだろう。
小島監督は「本気で作品の足掛かりは作る。自分の作りたいものだから。
しかし、続編の制作は自分を理解している人が作ってくれればそれでいい。自分はまた別の新たな"面白い"を創作したい」という意思を持っていた。

それは、新しいスタジオを立ち上げた今も全く変わっていない。

かつて小島は「映画を観ながら死にたい」と公言していたが、ここ数年でその考えは変わった。「今は、何かを作りながら死にたいと思ってるんです」
(中略)
ずっと焦っています。まだまだやりたいこと、やらなきゃいけないことがたくさんある。

GQ Japan より

小島監督はパンデミック中に大病を患い、死と向き合ったことで危機感が芽生え、それまで以上に創作意欲が増しているそうだ。

あと何年、創作と向き合えるか。
そう考えたとき、小島監督は“のこす”ことを選んだ。
自分の意志や思想MEMEを、誰かに託すことを。

自分のアイデアを全部詰め込んだUSBメモリを僕の秘書に渡しました。遺言みたいなものです

Edge誌(VGC経由)より

人には必ず“終わり”があるんだ──そう感じてしまったコメントだった。
けれど僕は、それ以上に衝撃を受けたコメントがある。

2020年に体調を崩してしまいました。パンデミックの最中ということもあり、ずっと体調を崩して孤立していました。手術も受けました。もう無理だと思いました。本当にどん底で、もうゲーム作りには戻れないと思いました。遺言も書きました。そして、その時に人は死ぬんだと実感したんです。でも、去年60歳になりました。10年後には70歳になります。一生引退はしたくないですね。とはいえ、ユーザーさんがそこまで望んでいるなら、少し優先順位を変えた方がいいかなと思いました。新しいことをやりたいという気持ちは変わりませんが、アクションスパイゲームを作ることにしました。

HideoTube(ヒデチュー)特別版 より

死と向き合い、なおも「作りながら死にたい」と願う小島監督が、ファンの声によって創作の優先順位を変更せざるを得なかった
その事実に、僕は深いショックを受けた。

たしかに、ファンの声は力になる。
けれど、それが創作の自由や意思を圧迫しているのだとしたら──それはもはや応援とは呼べない。

では、僕たちは何をすべきか?


小島監督が望んでいるのは、“いつまでも自分が一つのものを作り続けること”ではない。 “自分の作りたいものを作る”という自由と、“誰かが受け継いでくれること”だ。

ならば━
その意思を蔑ろにせず、カタチになった小島監督の「創作」を受け取り、継いでいくこと。
それが僕たちにできることの一つだと、そう信じている。


三.「継承」を断ち切る者たちへ


メタルギアというシリーズは、このように、常に“継承”をテーマにしてきた。
GENE、MEME、SENSE━遺伝子、思想、感覚。
それは単に物語の中で語られるものではなく、シリーズ全体を通して描かれ続けた中核だった。

だが今、その継承を否定するような声がある。
「小島監督じゃないなら意味がない」 「コナミは何もわかっていない」

━では、ここでもう一度問う。
それは本当に“作品を想う声”なのか?
それは、継承の意思を踏みにじり、作品が廃れても構わないという“諦め”ではないのか?
小島監督自身が「誰かに受け継いでほしい」と語っていたのなら、その意志を踏みにじってまで叫ぶ“まま”には、いったい何が残るのだろう。


四.誰のため、何のための行いか


『METAL GEAR SOLID Δデルタ』が選んだ道は、大胆な再構築ではなく、忠実な再現だ。

近年のリメイク作品に見られるような物語の改変や再構成ではなく、「メタルギアを知らない世代が増えてきた」という危機感に端を発した、“後世に遺す”ための使命感に基づいたプロジェクトである。
実際、発表時から今日こんにちに至るまで「作品の核を守りたい」「リスペクトを大事にしたい」という発言がとても多い。
そこに見えるのは、継承する者としての誠実な姿勢だ。
ただ、この姿勢を手放しで喜ぶことはできない。

個人的に感じているのは、今の“新メタルギアチーム”の姿勢はまるでファンを恐れているようにさえ感じられる。
そう感じてしまうのは、僕がファンとして挑戦を全力で応援したいからかもしれない。
“完全再現”とは聞こえはいいが、“何も変えないこと”が唯一の正解とされているような━
そんなプレッシャーの中で生まれた判断だったのではないかと感じざるを得なかった。

その空気感を生んだ最大の要因こそ、“自称ファン”たちの存在だ。
彼らは口々に「コナミが悪い」「MGSは小島監督のものだ」と言う。
確かに、あの十年前のコナミの対応は不透明で、結果的に多くのファンを失望させた。
僕もその一人だった。

でも、だからといって、怒りをぶつけ続け、今の世代交代を果たしたことがうかがえる現場を萎縮させることは正当な“批判”ではない。“暴力”だ。

彼らが叩いているのは、かつての経営陣ではない。
━ようやく再出発した“若いチーム”の挑戦だ。

ここまで読んだあなたに問いたい。
その現実に背を向け、継承を妨げることを誰が望んだだろうか?


五.想いを遺すということ


僕は、今この場でスタンスを明確にしておきたい。

僕は、自分の考えが全て正しいとは思っていないし、誰かに押し付けるつもりもない。
冒頭でも言ったが、これはあくまでも、一つの問題提起だ。

僕はメタルギアという作品のファンだ。
あの世界観が好きで、キャラクターが好きで、そこに込められたテーマや物語が好きだ。

また、小島監督はクリエイターとして最も尊敬している存在だ。
その創作への向き合い方や哲学から、何度も刺激を受けてきた。
けれど、僕は「小島監督のファン」とまでは言えない。
というのも、僕が惹かれてきたのは“作品”であり、必ずしもその作者自身ではなかったからだ。
デスストランディングを体験したことで、はっきりとその感覚を自覚した。
自分の中では、メタルギアと小島監督は、確かに重なっていたけれど━
完全には同一ではなかったのだ。

それでも━
敬意を持ってずっと見てきた。
メタルギアという作品も、小島監督という創作者も。
だからこそ僕は今の二つを取り巻く現状がとても哀しい。

想いとは、持ち続けることではなく、手放して、ゆだねて、それでもどこかにのこり続けるもの。

メタルギアも、そうあってほしい。
小島監督のこれからの創作も、そうであってほしい。

そしてそれを“ファンの一人”達が理解して、縛るのではなく──
その“意志”を受け取り、必要ならば少しだけ背中を押せるような、そんな距離感で両者の未来の妨げにならないようになってほしい。


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