醜くてもいい 怒り、足掻こう ~「インターステラー」を添えて~

本記事は映画「インターステラー」のネタバレを含むので(以下略










昨日、およそ宿泊するのに快適とは言い難いネットカフェにて、時間にして2時間ほどの睡眠の中、ある夢を見た。

その夢の中のおおまかなあらすじは下記である。

・姉が誘拐される
・姉が暴行を受けた映像を送られる
・筆者はひどく激昂し、警察に電話をかけつつ、なんとか現場を特定せんと考えを巡らせる
・警察がでるも、本日は非番が多い、といった返事をもらい、目が覚める

夢から目が覚めた後、潜在的に自分の中の醜さが姉が悲惨な目にあうことを望んでいるのではないか、自分に酔いたいがための義憤ではないか等を感じたが
それ以上に夢から覚めた後でも、現実の自分の心臓部が熱く猛っているのを感じた。永らく感じえなかった、というか今まで感じたことのないほどであった。生を、命を燃やしているのを実感しうるほどであった。

ここで「インターステラー」のある一節を思い出した。

Rage, rage against the dying of the light.
(消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)

映画「インターステラー」

インターステラーでは下記出来事が起こる

・教授の宇宙ステーション建設・人類移住計画には未解決の方程式の解が前提としてあり、そのことを隠して実質人類繁栄計画を実行していたことが判明する
・マン博士が自分が生き残る(社会的にも)ために、惑星調査結果を偽り、移住・繁栄計画実行部隊を欺き、自分だけ地球に帰ろうとする

一見醜いと思えるこれらの行動だが、これらの行動がなければ主人公はブラックホールにのまれ、上位存在と接触し、未解決の方程式の解を娘に重力波でもって伝えることはかなわなかった。彼らの、己の現状、己の生の無意味さに対する怒り、足掻きこそ、本作がハッピーエンドを迎えるに必要な因子であり、またクリストファー・ノーラン監督が本作を通じて伝えたかったメッセージではないだろうか。

命を燃やすことにこそある種の憧憬を抱きつつ、反して感情的になる人や己に対して軽蔑してきた筆者ではあるが、感情を介さずして命を燃やすことは、そして怒りの感情以上に命を燃やしうる感情は、果たしてあるだろうか。

また先日noteで不条理劇について書いたが、ある種あれも筆者が登場人物に抱いた軽蔑の感情、に留まらず、脚本(イヨネスコ)に怒りだし、命を燃やした結果、とも言える。(というかイヨネスコの不条理劇が暴き出す、人生の無意味さ、不条理にあがなう人間の愛らしさに感化された結果本記事ができた説)諦観・冷笑で形作られた厚い面の皮でもって感情的な人間を軽蔑するに留めず、彼らが打破しようとしている現状、感情を生み出す源泉に目を向けるフェーズにようやく至りつつあるのかもしれない。今日からは少しだけ諦観・冷笑で形作られた厚い面の皮を剥がして、限りある人生を、本気で生きようと思えた。


己の現状、己の窮状、己の生の無意味さに対して
醜くてもいい 怒り、足掻こう


いいなと思ったら応援しよう!