AIは私を笑顔にしなかった。551(の豚まん)を買う人は、笑っていた。
有給を取った。目的はひとつ、テクノロジーを浴びることだった。
日本で発売されたばかりのAIグラス「Ray-Ban Meta」の体験会がある。
予約のQRコードを握りしめて。
私の期待の比率は、メタ90、レイバン10だった。
レイバンというブランドには、あまり関心がなかった。私が会いに行きたかったのは、視界の先にある未来のほうだ。
結論から言うと、その比率は、夕方には逆転していた。
(製品そのものをどう評価したか——軽さ、音声AIの遅さ、目線で撮れる体験、買わなかった理由——は、別の記事にレビューとして書いた。この記事は、その帰り道の話だ。)
期待していたほうが、私をがっかりさせた
顔にのせた瞬間は、よかった。
軽い。
電子デバイスを背負っている感じがまるでしない。
かけ心地は文句なかった。
問題は、私がいちばん期待していた部分だった。音声AIだ。
「ヘイ、メタ」と呼びかけて、いくつか試した。
返ってくるまで、2〜3秒。
文字にすると短く見えるかもしれない。でも、目の前の相手に話しかけて2〜3秒沈黙されることを想像してほしい。
会話としては、致命的に遅い。
私はテクノロジーを浴びに来たのに、その核心で、いちばん熱を冷まされた。
おかしなものだ。期待していた90が、いちばん私を裏切った。
鏡に映った自分がかけていたのは、「メタ」というより「レイバンのサングラス」だった。
手の中にあるのは2026年のはずなのに、どこか一世代前の感触がする。
私はこれを、買わなかった。グッと我慢して、店の外に出た。
拭き上げる手と、「カッコイイでしょ?」
ただ、その時間が嫌な記憶になっていないのは、接客のおかげだ。
担当してくれたのは、ベテランの男性だった。清潔感があって、声のトーンが絶妙に心地いい。
説明の合間に、メガネを細かに、丁寧に拭き上げる。
その所作だけで、この人がこの仕事を大事にしているのが伝わってきた。
私はかなり予習をして行ったから、説明の中身に新しい発見は少なかった。
それでも心地よかった。一度だけ「お、そう来たか」と思ったのは、撮った直後の写真をその場でスマホに映して見せてくれたときだ。
数字より、目の前の一枚のほうが納得がいく。遅くて萎えたAIの隣で、人間のひと手間が、製品の価値をちゃんと橋渡ししてくれた。
もう一人、別の店員がいた。
私の担当ではなかったのに、合間にふっと充電ケースを指して、こう言った。
「これ、カッコイイでしょ?」
売り込みの口調ではなかった。自分が本当にそう感じている、という素直な声だった。
しかも、ちょうど私がそのケースにときめいていた瞬間に重なった。
販売トークではなく、感情の共有だった。私のときめきと、彼の「好き」が、一瞬だけ同じ温度になった。
気づけば、40分以上も話し込んでいた。私が切り上げるまで続いた。
失望しに来たはずの場所で、私の機嫌は、むしろ良くなっていた。理由は、たぶん人間だ。
それから、人の顔ばかり見て歩いた
機嫌のいいまま売り場を出て、夕方の梅田の地下街を歩いた。
そのまま帰る気になれなくて、ちょっとした実験を始めた。すれ違う人の顔を、ただ観察する。
基準はひとつ、楽しそうか、それ以外か。
完全に私の主観だ。晴れた日で、人出は決して少なくない。
歩きながら、「楽しそう」と判定した瞬間を、心の中でメモしていった。
後から並べてみると、はっきりした傾向があった。
休憩中らしき女性が、誰かと話している。
店内で友達と二人で話している。551の蓬莱を買う、まさにその瞬間。
ケーキらしき袋を提げて歩いている。
笑っていたのは、この人たちだ。
並べてみて、ぞくっとした。全部、人とのつながりか、これから訪れる小さな幸福の予感なのだ。
会話は、つながり。551もケーキも、自分か誰かのための、これから開く楽しみ。
笑顔は、今まさに誰かと繋がっている瞬間か、この先の喜びを手にした瞬間に、こぼれていた。
対照的だったのが、信号待ちでスマホを見ている人たちだ。笑顔が、まるでない。
むしろ少し険しい。
ところが、だ。
同じスマホでも「会話している」人には、笑顔が少なからずいて、目立った。
電話の向こう、画面の向こうに、誰かがいる人たち。
つまり、こういうことだと思う。
笑顔を生んでいるのは、デバイスではない。その先に人がいるかどうか、だ。
(ひとつ、ことわっておきたいこともある。外国人観光客の多くは、私の目には楽しそうに見えなかった。でもこれは慣れない土地での疲れかもしれないし、楽しさが表情に出る形が文化で違うだけかもしれない。信号待ちが無表情なのも、スマホのせいか、待ち時間そのもののせいか、切り分けきれていない。私自身が上機嫌だったぶん、笑顔を拾いやすかったバイアスもあるだろう。これは「私基準」の、定性的なスケッチにすぎない。)
同じことを、二度言われた気がした
家路で、ふと思った。今日、私は二度、同じことを教えられたのではないか。
体験会で、AIに話しかけた。返事は2〜3秒遅れてやってきて、私の熱は冷めた。
地下街で、スマホを見つめる人たちは無表情だった。
一方で、店員と話し込んだ私は機嫌が良くなり、誰かと話している人、誰かのために何かを買う人は、笑っていた。
AIとの会話が、まだ私を笑顔にしなかったのは、性能の問題というより、つながりの手応えが薄いからなのだと思う。
2〜3秒の沈黙は、その手応えの薄さが、時間の形になって表れたものだった。技術は、いずれ速くなる。
だから、私のワクワクの方向そのものは、間違っていないと思っている。早すぎただけだ。
念のため書いておきたい。これは「だからメタはダメだ」という話ではない。
むしろ逆だ。
今日感じた物足りなさは、裏返せば「伸びしろがまだこれだけ残っている」ということでもある。
次のアップデートで、あるいは次の世代で、この2〜3秒が一気に消える日は、たぶんそう遠くない。
メタという会社は、Llamaのような強力なAIを無償で世界に開いてくれた。
私自身、その恩恵を受けている一人だ。
だから正直なところ、私はこの製品に失望したのではなく、次に期待している。
今日は買わなかったけれど、それは「もう要らない」ではなく「次にもう一度、本気で見に来る」という意味だ。
そのときは、笑って買えるといい。
ただ、速くなったその先に、本当に笑顔が待っているのか。そこは、まだわからない。
あなたが今日、最後に笑ったのは
私は「仕組みで最適化する」のが好きな人間だ。
旅程も、ポイントも、ガジェットも、ぜんぶ最適化の対象にしてきた。
それなのに今日、テクノロジーを浴びに行ったはずの一日の終わりに、私がいちばん長く見ていたのは、人間の顔だった。
帰りの電車で、ひとつ後悔していることがある。あの551の列に、私も並べばよかった。
豚まんの袋を提げて改札を抜けるとき、たぶん私も、あの人たちと同じ顔をしていたはずだから。
最適化を考える前に、ただ並べばよかった。
だから、これは結論ではなく、あなたへの問いとして置いておきたい。
あなたが今日、最後に笑ったのは、いつでしたか。それは、画面の中でしたか。
それとも、誰かと一緒のときでしたか。
もし思い出すのに少し時間がかかったなら——明日の帰り道、寄り道して、何か小さなものを買って帰るのはどうだろう。誰かの顔を、思い浮かべながら。
私はたぶん、そうする。
