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【アカリウムの夜】水槽の灯り|ショートショート

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水槽の灯り

閉館後の水族館に、ひとりだけ残っていた。

知り合いの飼育員さんに、こっそり鍵を借りたの。
ほんとうは、いけないことなのだと思う。

でも、どうしても見てみたかった。
だれもいない夜の、青い世界を。

通路の照明は落ちていて、足もとはほとんど見えない。
それなのに、水槽だけがぼんやりと光っている。

ゆらゆらと、まるで息をするみたいに。
イワシの群れが、銀の帯になって流れていく。

昼間はあんなに賑やかだったのに
いまはだれにも見られていない。

見られていなくても、ちゃんと泳いでいる。
そのことが、なぜだろう、すこしだけ胸にしみた。

いちばん奥の大きな水槽の前で、足を止めた。
深い藍色の底を、一匹のエイが泳いでいる。

ひらり、ひらりと。

まるで布をめくるみたいに。
ガラスに、そっと手を当ててみる。

ひんやりとしていて、でもどこかやさしい。
向こう側の水と、こちら側のわたし。

そのあいだには、たった一枚のガラスしかない。
それなのに、ぜったいに触れられない。

ふと、思い出した。
もう会えなくなった人のことを。

名前を呼んでも、返事はこない。
手を伸ばしても、届かない。

エイが、ゆっくりとこちらを向いた。

黒い目が、わたしを見ているような
見ていないような。

思わず、笑ってしまった。

魚は、なにも言わない。
ただ、ひっそりと光のなかを泳いでいるだけだ。

昼の水族館は、みんなのもの。
でも夜の水族館は、きっと違う。

だれにも言えなかった気持ちを
ぽろりと落としてもいい場所。

青い光が、それを静かに沈めていく。
帰りぎわ、もういちど振り返った。

水槽の灯りは、まだ消えていなかった。

だれもいなくなった夜の底で
ひっそりと光りつづけている。

きっと明日も、ここで泳ぐのだろう。
見られていても、いなくても。

わたしはその光を、少しだけ持ち帰ることにした。

雪綴ゆき

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