見出し画像

【ルミナール戦記】第4話 配給|note連載小説|長編戦記ダークファンタジー|ライトノベル|ラノベ|運命の物語|創作

第4話 配給(羊の皮)
――制服は、最も精巧な「嘘」である――


翌朝。
ルークが案内されたのは、埃っぽい倉庫ではなく
洗練された「仕立室」だった。

磨き上げられた床。
静かに流れるクラシックな音楽。
そして、壁一面に並ぶ最高級の羅紗(らしゃ)。

ここは戦場へ送る準備をする場所ではない。
舞踏会への控え室のようだ。
――いや。舞踏会の前室に“似せた”場所だ。

「……腕を上げて」

老齢の仕立職人が
メジャーをルークの身体に這わせる。

職人の手つきは機械のように正確だが
目は冷ややかだった。

美術品を鑑定する目が
贋作を見つけた時のような落胆を含んでいる。

「細いな。旧市街特有の栄養失調だ」
「……すみません」
「謝罪は不要。ただ、この制服は『帝国の威信』そのものだ。中身が貧相でも、外見だけは完璧に仕上げるのが私の仕事だ」

職人が背を向けた隙に
ルークは鏡越しにその手元を見た。

指先には無数の小さな刺し傷。
長年、硬い軍用生地と格闘してきた証だ。
その傷は、誇りのようで。呪いのようでもある。

そして職人が手に取った上着の内側
――左胸の裏に、奇妙なスリットがあるのをルークは見逃さなかった。

(……隠しポケット。表面からは縫い目さえ見えない)

ただの装飾品ではない。
暗器や重要機密を隠すための機能が
優雅さの裏に埋め込まれている。

見えない縫い目。見えない刃。見えない命令。
――その全部を、布が隠す。

職人が指を鳴らすと
助手が完成された制服を持ってきた。

濃紺の生地。
銀のボタン。
襟には士官候補生を示す金の刺繍。

「着てみろ」

更衣室のカーテンを引く。
袖を通す。
生地は驚くほど滑らかで
吸い付くように身体に馴染んだ。

鏡の前に立つ。
そこには、見知らぬ少年がいた。
背筋が伸び、品格さえ漂う、若きエリート候補生。

(これが、僕か?)

喉元のボタンを留める。
魔法だ。布一枚で、生まれも育ちも隠蔽されている。
声の出し方まで、歩幅まで、変わってしまいそうな
――皮一枚の変身。

だが、ルークは気付いていた。

この服は「鎧」ではない。
「羊の皮」だ。
狼の群れの中で生きるための、唯一の擬態。

――いや、もっと正確に言えば
屠殺場で「選別される」ための皮。

皮が美しいほど、肉が吟味される。
皮が立派なほど、逃げ場がなくなる。

「……悪くない」

カーテンを開けると、職人が僅かに頷いた。

「見た目だけは、立派な紳士だ。口を開かなければな」

「おい、遅いぞ」

不機嫌な声。
待機用のソファで、カシウスが足を組んでいた。

彼は既に制服に着替えている。
当然のように似合っていた。
着せられているのではない。彼が服を支配している。
布のほうが、彼に従っている。

「庶民は服を着るのにも手間取るのか」
「……隠しポケットの位置を確認していた」
「ほう?」

カシウスが片眉を上げる。
ルークの返答が予想外だったのだろう。

「フン。……行くぞ。寮監が待っている」


案内されたのは『青鷲(ブラウ・アドラー)寮』。

煉瓦造りの重厚な建物で
エントランスには歴代の将軍の肖像画が威圧するように並んでいる。

廊下は絨毯敷きで、足音が吸い込まれる。
音が消えると、思考の音だけが残る。
――それが、怖い。

「ここが……俺たちの部屋?」

先に着いていた大柄な少年
――ガルドがぽかんと口を開けていた。

部屋は広かった。
高い天井。
四つのベッドには清潔なリネン。

それぞれの勉強机はマホガニー製で
個人用の晶石灯まで備え付けられている。

旧市街の家族4人で暮らしていた家より広いかもしれない。

広いのに、逃げ道がない。
広いのに、視線が詰まってくる。

「すげえな……貴族様ってのは、毎日こんなホテルで寝てるのか?」

ガルドがベッドの弾力を確かめるように押している。

「ホテルではない。ここは学び舎だ」

カシウスが革製のトランクを整理しながら言った。

「環境が整っているのは、言い訳をさせないためだ。『寒くて勉強できませんでした』なんて泣き言は、ここでは通用しない」
「へえ、厳しいねえ」

ガルドは笑って、ルークに手を振った。

「俺はガルド。見ての通りの力持ち枠だ。よろしくな」
「ルークだ」
「ああ、噂の『特例』か! 仲良くやろうぜ」

部屋の隅、窓際の机には
既に小柄な少女が座っていた。

分厚い眼鏡。
ボサボサのショートヘア。

彼女は備品の晶石灯を完全に分解し
中の回路を剥き出しにしていた。
まるで解剖だ。
“光”を、臓器までばらす。

「……光源は晶石式。出力安定型。市販品の三倍のコスト」

ブツブツと呟いている。

「おい、初日から備品を壊すな」

カシウスが注意すると、少女は顔を上げずに言った。

「壊してない。構造を確認しただけ。……ねえ、知ってる?」

少女は剥き出しの回路を指先で弾いた。

「ここの配線を逆に繋げば、過負荷で爆ぜて『簡易閃光弾(スタングレネード)』になる。……ふふ、便利」

室内の空気が一瞬凍りついた。
笑うべきか。止めるべきか。距離を取るべきか。
誰も正解を知らない。

「……私はミナ。よろしく」

一拍、彼女は小さく付け足した。

「……ごめん。冗談。たぶん」

冗談にしては、目が笑っていなかった。
冗談でないと言われても、納得できる温度だった。
むしろ“冗談”のほうが、怖い。

「君は女子寮じゃないのか?」

ルークが努めて平静に聞くと
ミナは眼鏡の位置を直した。

「この『第4教育小隊』の部屋は、ここだけ隔離されてるの。だから男女混合。合理的でしょ?」

言われてみれば、この部屋は廊下の突き当たりで
他の部屋とは少し離れていた。

隔離。
その言葉が、豪華な部屋に冷たい影を落とす。
豪華さが、突然“監房”の色を帯びる。

「待遇は良いが、扱いは別枠ってことか」

ルークは自分の机に触れた。
指先に埃一つつかない。
完璧な檻だ。
清潔で、美しくて、逃げられない。

「夕食の時間だ。正装で食堂へ向かえ」

放送が入る。


食堂は、舞踏会場のように広かった。

シャンデリアが煌めき
長いテーブルには白布が掛けられている。
食器は銀製。グラスはクリスタル。

周囲の候補生たちは
優雅に談笑しながら席についている。

笑い声さえ、磨かれている。
雑音がない。だから、敵意がよく見える。

だが、ルークたちが部屋に入った瞬間
空気が変わった。

視線。
好奇心、侮蔑、そして値踏みする目。

「……あれが『特例』の連中か」
「スラムの犬が混じってるらしいぜ」
「制服が泣いてるな」

ひそひそ話は、絨毯では吸い取れない。
むしろ絨毯が、囁きを増幅している気さえする。

席に着くと、料理が運ばれてきた。

スープ。
魚料理。
肉料理。

見たこともない美しい盛り付けだ。
いい匂いがする。
ルークの腹が鳴った。
――鳴ってしまった。失敗だ、と脳が告げる前に。

彼は反射的にスプーンを掴み――手が止まった。

スプーンとフォークが、何種類も並んでいる。

(どれを使うんだ?)

外側から使う、と本で読んだ気もするが、自信がない。
自信がない瞬間が、いちばん危ない。
“隙”は、心から漏れる。

周囲を見る。

カシウスは流れるような所作でナプキンを広げ
迷いなくカトラリーを扱っていた。
食事というより、儀式だ。
儀式の形を借りた、序列の確認。

ガルドは適当に一番大きなフォークを握りしめている。
太い指が、逆に堂々として見える。
堂々としているだけで、救われることがある。

ミナは食器の材質をチェックしている。
銀。純度。刻印。
彼女にとっては、武器の素材検査なのだろう。

ルークが見よう見まねでナイフを動かすと
カチャリ、と皿に当たる音が響いた。

高い音。
静寂の中で、その音は銃声のように目立った。
――撃たれたのは、肉じゃない。自分だ。

近くの席の貴族生が、口元をハンカチで押さえてクスクスと笑う。

(……笑われたくなかった)

その思いが喉の奥で熱になり、すぐに冷える。
熱のままでは、負ける。
冷えたままでも、勝てない。
だから、折り畳む。心を。

(でも、弱さを見せたら終わる)

カシウスが、食事の手を止めずに言った。

「……音を立てるな」

小声だ。だが、冷たい警告が含まれている。
柔らかい布の中に、硬い刃がある。

「マナーの話じゃない。カトラリーひとつ満足に扱えない手つきは、隙だらけに見える」

カシウスはルークの手元を鋭く見据えた。

「戦場でも食事でも、隙を見せるな。部隊全員が舐められる」

「……悪かったな。教わってないんだ」

ルークは肉を口に運んだ。
柔らかい。
舌の上で溶けるような上等な肉だ。

だが、味はしなかった。
砂を噛んでいる気分だった。
砂を噛むほど、喉が渇く。
喉が渇くほど、声が出る。
――声が出れば、また笑われる。

(ここでは、食事さえも戦術行動なのか)

マナー。
教養。
立ち振る舞い。

それら全てが「見えない壁」としてルークの前に立ちはだかる。
そして壁は、殴っても壊れない。
壊れないものは、厄介だ。

「美味しいねえ!」

ガルドだけが、無邪気にパンをお代わりしている。
その図太さが、少しだけ救いだった。
救いは、小さくていい。
小さいほど、手の中で温まる。


食後の自由時間。
ルークは逃げるように中庭に出た。

夜風が冷たい。

制服の防寒性は完璧だったが
肌の感覚まで麻痺しそうだった。

布が暖めて、心を冷やす。
そんな順序があるのか、と笑いそうになる。

「……似合わないな、やっぱり」

噴水の縁に座り、水面に映る自分を見る。
水面の自分は、良い姿勢をしている。
良い姿勢のまま、溺れていく顔だ。

「そう思うなら、脱げばいい」

背後から声。
カシウスだった。

彼は月明かりの下に立つと、絵画のように様になった。
――彼にとっては、この庭も、背景の一部なのだ。

「お前がここにいるのは、間違いだ」

カシウスはルークの隣ではなく
三歩離れた場所に立った。

距離。
それは物理的なものではなく、断絶だ。
三歩の中に、階級と血統と教育が詰まっている。

「……何が言いたい」
「秩序があるから、お前は“消されずに”ここにいる」

カシウスの声は落ち着いていた。
だからこそ冷たい。
冷たいものほど、よく切れる。

「秩序がなければ、俺たちは最初から同じ卓につかない。――それが、組織だ」
「獣が服を着ても、人間にはなれない」

ルークは水面から目を離さず答えた。

「羊の皮を被せられて、羊になれって?」
「……野蛮な言い方だな」
「合理的と言ってくれ」

ルークは立ち上がり、カシウスを見た。

十五歳の、まだ少年の顔。
だが、その目だけは光を吸い込むように暗く
老成していた。
老成は、誇りではない。
生き残りの副作用だ。

「上品にナイフを使っている間に死ぬなら、俺は手づかみで食って生き延びる」

声が震えないように、舌で奥歯を押さえる。
震えが出たら、負ける。
負けたら、終わる。

「お前らがマナーを競っている間に、俺は生き残る方法を考える」

カシウスの眉が僅かに動いた。
侮蔑ではない。理解不能な異物を見る目だ。

「……誰にそんなことを教わった」
「教わってない」

ルークは、制服の埃を払った。

払っても、最初から埃など無い。
だから余計に腹が立つ。
綺麗なものほど、汚れの場所が見えるから。

「ヴェルナー中佐――“特例”を選別する無表情な男が
何を考えているかは知らない」

言葉にして初めて、胸の奥に小さな針が刺さる。
言った瞬間、名前が鎖になる。
鎖は、切れない。

「でも、俺は分かってる。ここは学び舎じゃない。檻だ。……なら、檻の中で生き残る」

カシウスはしばらく黙っていた。

月明かりの下で、その沈黙が
貴族の教養よりも重かった。

言葉が重いのではない。
言わないことが、重い。

「……羊の皮は、羊になるためじゃない」

彼は静かに言った。

「屠殺場で“選別される”ためだ。そこで、お前は真っ先に見られる。――皮の下の肉をな」

「だから、隙は見せない」

ルークは言い切った。
強がりだと認める余地すら残さないために。
余地があると、そこに刃が入る。

「戻るぞ。明日は初訓練だ。ベッドの寝心地を確かめないとな」 


部屋に戻り、消灯。

ふかふかの枕。
柔らかい毛布。
天国のような寝心地だ。

だが、ルークは熟睡できなかった。

快適すぎる。
この快適さは、牙を抜くための罠に思えた。
噛む必要のない生活は、噛めなくなる生活でもある。

(騙されるな)
(ここは戦場だ)
(銀の食器も、絹のシーツも、すべては戦場の一部だ)

暗闇の中で、ルークは天井を見上げた。

天井の豪奢な装飾の影が
巨大な蜘蛛の巣のように見えた。

美しい巣だ。
捕まえるための、美しさ。

十五歳の春。
ルーク・ヴァンスは、この美しい檻の中で
兵士としての第一歩を踏み出した。

踏み出したのは一歩だけ。
だが、その一歩が
――戻れない場所へ繋がっている気がした。

いいなと思ったら応援しよう!

雪綴ゆき 記事をお読みくださり、ありがとうございます🌸 皆さまからのチップは、今後の情報発信を続けていくうえで大きな励みとなっています。いただいたご支援は、私の活力の源であるみーくんの餌代として、大切に使わせていただきます。これからも素敵な記事をお届けできるよう、精一杯努めてまいります。