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【内省】人の愚痴を聞くときの心得

私が最近思った、「人の愚痴を聞くときの心得」の話。

下記記事で、「怒りが生じたときは、その怒りを引き起こしている感情を探し出してから、人に話を聞いてもらう方がいい」という内容を書いている。

終わりには「人の愚痴を聞くときも同様に、相手の怒りの下にある感情について考えるようにしたい」と述べている。

この記事を書き終わった後のこと。


とある友人から連絡が来た。

普段とても温厚な友人にしては珍しく、激しい怒りを感じるできごとがあったようだ。
私はじっくりその話を聞いた。

最終的に友人がスッキリしてくれたかどうかはわからないが、一通りの話が終わると、会話は終了した。


今まで人の怒りの話を聞いたときと違う点がある。

ひとつは、アドバイスをしなかったこと。
私は、会話全般において相槌を打つのが苦手だ。

愚痴や悩みを聞くとき、「なんて言ったらいいんだろう。何か相手の心を軽くするようなことを言わないと」と焦ることが多かった。

だから求められてもいないアドバイスをして、余計なお世話になってしまったことがある。

だけど今回は、あまり相槌に焦ることがなかった。
相手の怒りの理由となっている感情について推測し、その感情だけをすくいとる言葉を考えれば十分だと感じた。

もしくは「大変だったね」という言葉だけでもいいと思う。

正直なところ、一瞬はアドバイスを言いそうになったが、なんとか抑えた。


ふたつめは、心の余裕。
今までの私は、「相手と一緒に怒らないといけない」と思っていた。
相手の怒りの言葉を見て、気持ちにグッと力が入るような感覚があった。

そうしないと、相手の気持ちに寄り添っていない、と思っていたのだ。

それが必要な場合もゼロではないと思う。
例えば友だちが何かの被害者で、共に加害者と戦おうと思ったときなどだ。

今回に関してはというと、いい意味で相手と自分との境界線があったのではないかと思う。

相手の怒りは相手のものだ。
一緒になって怒ったところで何も変わらないし、むしろ相手の怒りの火に油をそそぐだけかもしれない。

心の余裕をもって「うんうん」と話を受け入れる方が、相手の怒りが「ふしゅう~」と抜けていくような気がする。

それに、話を聞くだけで十分寄り添っていると言えるのではないだろうか。


人の愚痴を聞くときのイメージは、珪藻土のバスマットがいいと思う。

タオルのバスマットは、たくさん吸ってくれるけど、びしょびしょになる。乾くのにも時間がかかる。

一方、珪藻土のバスマットは、いったんは水を受け入れる。
でもすぐに蒸発させて、サラリとしている。

相手の気持ちを受け入れながらも、自分も重くなりすぎない。

それくらいの方が、「思ってたほどイライラするようなことではなかったかも」と思うきっかけにもなるかもしれない。

いつでも、サラリとしていたいものだ。

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