シンガポールとわたし -最悪の縁 1-
シンガポールで初めてちゃんと付き合った人。
シンガポールに移住してから、何人かの男性とお付き合い/関係を持った。
最初の半年はまーーー波乱万丈で。
記録に残すほどでもないしょーもない男ばかりである。私目線の意見ではあるが、本当にしょーもないと思う。
最初の2人はお酒の勢いで付き合う?ってなったけど、秒で音信不通になった。
そして、ちゃんと付き合った男の子は、猛アタックしてきたくせに両親に反対されたから、と言って私と別れた後他の女の子と付き合い、彼女とは結婚までした。
シンガポールで付き合った男性達が、今どこで何をしているのか私には見当もつかない。
あんなに小さい国だ。
街中で
あっ!
とすれ違ったり。
はたまた
あっ!
と共通の友人がいたり。
そんな偶然には遭遇することなく、私は日本に本帰国した。
さて。
記録に値する男性達のことを描いていこうと思う。
ひとつ断っておくが、今怒りや悲しみはない。だからこそできる振り返りなのかもしれない。
寧ろ今の私は、元彼達のおかげで成り立っている。彼らに傷つけられ、裏切られ。そのおかげで強くなり、同じ分だけ優しくなれた。
感謝の意味、
そして過去の自分への弔いの意味も込めて、
しっかり振り返っていこうと思う。
まずひとり目。
シンガポールに移住して1年半ほど経った頃に出会ってしまった。というより、ちゃんと出会ったのだ。
彼はファン(仮名)という、マレー系シンガポール人だった。マレー系の人種は、ほぼ全員がイスラム教徒だ。どれほど敬虔に信仰しているかはそれぞれ差があるにしても、私が出会ったマレー系の子達はみんなイスラム教徒だった。
シンガポールはイスラム国家であるお隣マレーシアと違い、割とリベラルである。
ファンはリベラルに見えて、敬虔なイスラム教徒だった。どれほど敬虔かというと、毎週金曜日には必ずモスクに行き、祈りを捧げていた。イスラム教徒にとって金曜は祈りを捧げる日らしい。
断食の月には必ず、毎日欠かすことなく断食をし、毎日祈りを捧げていた。
ファンとは職場で出会った。ちゃんと出会った、と先ほど言ったのは、理由がある。彼とは入社当初から同じ職場で働いていたが、部署が違っていた。お互い顔と名前は知っているし、内線でも話はしていた。そして彼が私の所属していたフロントデスクに異動してきたのだ。
そこで彼と改めてちゃんと出会った。
面と向かって挨拶をして、自己紹介をした。
ファンは誰に対しても笑顔で優しく、なかなか面白いジョークを飛ばすコミュ力モンスターだった。
いつも彼の周りには人が集まっていた。
中華系の同僚達と、racial jokesといって差別かジョークか紙一重の発言を交わしてはよく笑っていた。
例えばこうだ。ファンに向かって
豚食べる?ギャハハ
と言う。イスラム教徒にとって、豚を食すことは信仰に背く。
ファンはそんなことにも何ひとつ怒らず、みんなでゲラゲラ笑う、そんなフランクで面白い人だった。もちろん私はそんなジョーク飛ばしたことはない。ファンの人柄だからこそだった思う。
そしてファンは日本人として働く私に、とても親身になってくれた。ある日、あるお客様の対応で手こずったことがあった。ファンはすぐに助けてくれて、お客様に話をしてくれた。
私が悪ったわけでも、お客様が悪かったわけではない。そこをうまく対応してくれた。彼の対応力に私は魅了された。
段々と、距離が縮まるのを感じた。
でも特に私から何かするとかではなく、仲のいい同僚としてその時は接していた。
そして転機が訪れる。
入社して初めて、ガクッと体調を崩した。
ある日出社しても、なんか元気が出ないのだ。
周りの同僚からも顔色の悪さを指摘された。
出社して数時間、立っていられないほどの高熱に見舞われた。私はどうしても帰りたくなかった。なぜかというと、翌日からバリ島へのひとり旅で、休暇の前に病欠を取るのは会社の信頼を損ねる気がしたのだ。
するとファンが歩み寄ってきて、
ももこ、どうしたの?
と聞いてきた。
お分かりいただけるだろうか、世の女子達よ。
期待していないのに、もし彼が来たらどうしようと仮定の想像をフェーズ1でするのだ。で、このフェーズ1をさらに否定する、別の誰かである自分がいて。
結局私の脳は、期待してないけどもしそれが本当に起こったら
運命
とか
縁っていう、あたかもそれらしい言葉に書き換えてしまうのだ。
彼がまさにそう聞いてきた時、私は驚きつつも「想定内」の型にファンをはめてしまった。
ちょっと体調が悪くて、でも帰りたくない。明日から休暇に入るからズル休みしてると思われたくない。
私はファンを少し意識しながら、今にも倒れそうな体を自分なりにコントロールして答えた。
ファンは即答して
いや、帰りな。
と言った。
シンガポール人のきっぱりとしたこういった性格に私は在住期間の10年間、何度も助けられたことがある。
進めないなら、立ち止まる。
辛いなら、休む。
わからないなら、手を上げる。
彼らは、助けを求めることに躊躇しない。
その開き直りの精神と、ただの甘えの区別がまだまだついていなかった当時の私は頑なに首を横に振った。
ファンが言ったことを全部覚えているわけではない。
だが、彼はとにかく優しかった。
ここからが本番である。
ももこ。
タクシー呼んであげるから、今すぐ帰って明日からのバケーションに備えてほしい。
そうファンは私にお願いした。
ファンに私は聞いた。
どこに行くと思う?
ファンはわからないと言った。
じゃあ写真を送るね。
私は弱々しくそう告げた。
ファンは
うん、写真待ってる。
あれ。
これが私が待っていた反応である。
ももこの番号、知らない。
私がシンガポール人の男子に使っていた技はこれである。
今はもうとうに時代遅れかもしれない。
シンガポールの男子は、積極的に見えて億劫な一面もある。
押しては、引いて、の繰り返しだ。
私がファンに試したのだ。
写真を休暇中に送るね、でもあなたは私の番号知らないからどうやっても受信できないよね?という駆け引きを。
ファンはまんまと乗っかった。演技だったかもしれないけれど。
ももこの写真待ってる!
あれ?
でも
俺、ももこの電話番号知らない。教えて?
そう彼が言った時、私は番号を告げて退勤した。
それほど体が限界だったのだ。
彼が呼んでくれたタクシーに乗り、私はBedokへ帰った。
彼からもしかしたら来るかもしれない連絡を、
朦朧とする意識の中、私は待ったり待たなかったりした。
