『すべて失われる者たち』花澤薫さま著│読書感想文
ご縁があって、花澤薫さんの書籍『すべて失われる者たち』のサイン本(!)をいただいた。

つやつやと光沢のある表紙をペラリとめくる。花澤さんのサインが目に飛び込んできて、そんな予想をしていなかったのと、サイン本というものをこれまで所持したことのない私にとってとても衝撃的な出来事だった。
著者のサイン会などに足を運んでサインを書き入れてもらう人の気持ちが少しわかったような気がする。書き込まれたサインを見ていると、この本に自分以外の人の手が触れたのだという実感が鮮明に湧いて、本そのものが息をしているように感じられた。そんな経験ははじめてかもしれない。
(長々と書いてしまったが、まだ表紙をめくっただけである。)
本の帯にもあるとおり、32編の短編小説が収録されている。目次には、どんな話なのかしらと想像したくなるタイトルがずらりと並ぶ。手始めに1本目の『木は立ったまま眠っている』を読んで、そのあとは、目に止まったタイトルを順番に読んでいくことにした。
私の思う、短編小説及び短編集の好きなところは、その世界への出入りがシームレスに行えるという点である。好きなところから読めるし、少しの時間しか取れなくとも読むことができる。
短編・長編に限らず小説のいいところは、自分とは異なる人物の生き方を追体験できることかと思う。読むとわかるけれど、この『すべて失われる者たち』の各短編の語り手は、年齢、性別、価値観、境遇や過去、抱える憂いなど、どれもがばらばらで異なっている。にもかかわらず、どこか懐かしさを覚えたり、共感できるかもしれないと思わされたり、自分の中にある感情を言い当てられたようでドキッとしたりすることがある。
語り手の見ている景色や色、感じている匂いやそのときの雰囲気(どれもが、似通っていない固有の色味を帯びている)が読み手に伝わってくるようだ、と思う。そこには、夕方の住宅街を歩いていたらどこかの夕飯のにおいがふわりと香ってきた、というような、そういうさりげなさみたいなものが感じられる。豪奢な食事ではなくとも(※)、親しみがあってどれも例外なくおいしい。(※作品を貶す意図はありません。)
改めて、帯に書かれた『生きることのミステリー』が、じわじわと心の中に入り込んでくる。たしかに、人生そのものが不思議と不確実性にまみれた営みなのかもしれないと思わされる。そこにあるのは、誰にも言えない秘密であったり、忘れたい過去であったり、ふさわしい言葉の見つからない感情であったり、途方に暮れる喪失感であったり、それでも生きようと前を向く強さであったりする。
本作は、『いつかの時代のどこかの誰かが生きたかもしれない一瞬』を切り取って、こちらに優しく差し出してくれる短編集である。32編も読ませてもらっていいんですか…!と驚きと感謝の入り混じった顔をしてしまう。
メタ的な視点で話すと、読んでいて情景が頭の中で自然と立ち上がってきて、読み手としても心地良いし、書き手としても目指したいと思う文体(ひいては小説のあり方)のひとつである。
また、各話にそれぞれ音楽が流れているというのも、おしゃれさと教養が感じられていいなぁと思う。流行りの音楽ぐらいしか聞かない私であるけれど、2周目読むときは、登場する曲をかけながら楽しみたい。
たぶん、折りにふれて再び読みたくなって、深く刺さるエピソードもそのたびに変わるんだろうなと思う。今は『双子の姉』が心に強く残っている。
花澤薫さま、このたびは本当にありがとうございました。
書籍をいただいてから、お礼をお伝えするのに時間を要してしまい、申し訳ありません。
とても楽しく読ませていただきました。
