ゴッホが教えてくれた“才能を捨てる”採点表
ゴッホについて書かれていた絵本を読んだ。
子ども向けの本なのに、
ゴッホの苦しみが淡々と描かれていた。
ひまわりの突き刺さるような色彩。
どこか物悲しげな自画像。
私は絵画について詳しいわけじゃない。
でも、その絵の端々に、
ゴッホという人の感情が染み込んでいるような気がした。
ふと思った。
なんで、人は後から「あの人はすごかった」と言うんだろう。
ゴッホは天才だった。
時代が早すぎた。
もっと評価されるべきだった。
今なら理解できる。
今なら応援する。
そうやって語られる。
でも、その言葉を。
どうして、
生きているうちに言える人は少なかったんだろう。
絵本の中で描かれていたゴッホは、
正直かなり変わった人だった。
仕事も続かない。
人付き合いもうまくない。
感情の起伏も激しい。
現代にいても、
「ちょっと大変な人」と思われたかもしれない。
もし私が当時生きていたら、
どうしていただろう。
もっとこうしたらいいのに。
ちゃんと働けばいいのに。
もう少し人付き合い頑張ればいいのに。
売れない絵なんて意味ないのに。
こんな風に、
普通に思ったかもしれない。
だって私は、
結果を知っている。
ゴッホが後世に残ることも。
教科書に載ることも。
世界中の人が作品を見ることも。
全部知っている。
でも当時の人たちは知らない。
目の前にいるのは、
売れない画家。
扱いづらい人。
よく分からない人。
ただそれだけ。
もう一つ面白いことを知った。
当時の絵画の世界では、
正確に描けること。
現実を忠実に再現できること。
写真みたいな絵。
そういうものが高く評価されていたらしい。
ゴッホがやってたのは別。
空を見たまま描く人たちの中で、
ゴッホだけが、
感じたまま描いていた。
ひまわりも。
夜空も。
自画像も。
現実の色じゃない。
感情の色。
当時の基準では
「下手」
「雑」
「変」
になることもあった。
ゴッホは技術がなかったわけじゃない。
むしろ基礎はちゃんとある。
その上で、
正解から外れた。
そして不思議なことに。
当時評価されていた絵は、
今はほとんど残っていない。
私はここに、
少し怖さを感じた。
なぜなら、
これって絵画の世界だけの話じゃないからだ。
学校でも。
会社でも。
SNSでも。
私たちは、
今の採点基準で測れるものだけを才能と呼んでいるから。
売上になる。
資格になる。
肩書になる。
説明しやすい。
再現しやすい。
数字になる。
そういうものは評価される。
会議で、
「これってどうなんですか?」
と言った人がいる。
でも根拠を説明できないから、
話は流れる。
数ヶ月後、
本当に問題が起きる。
学校で、
子どもが
「なんでダメなの?」
と聞く。
変なこと聞いてくる子だって、
大人はまともに相手にしない。
SNSでは、
丁寧に積み上げた文章より、
刺激の強い言葉が拡散され続ける。
私は時々思う。
才能が消えているというより、
採点表に載る前に、
存在しないものとして扱われているだけなのかもしれない。
私は昔、
歴史は才能を取りこぼしてきたのだと思っていた。
でも今は少し違う。
取りこぼしたんじゃない。
見逃されたわけでもない。
自分たちで捨てていた。
理解できないから。
説明できないから。
今は必要ないと思ったから。
そして、
後世の私たちは、
「ゴッホは天才だった」
と言う。
でもそれは、
才能を見抜いた言葉じゃない。
結果を見た感想だ。
本当に難しいのは、
まだ結果が出ていないものを見ること。
まだ誰も評価していないものを見ること。
まだ説明できないものを、
存在として扱うこと。
そしてたぶん、
今も同じことが起きている。
私たちは後から言う。
ゴッホは天才だった。
テスラはすごかった。
時代が早すぎた。
もっと評価されるべきだった。
でも本当に学ぶべきことは、
ゴッホが天才だったことじゃない。
当時の採点基準では、
天才ですら落第することがある。
その事実の方だと思う。
だから私は最近、
「才能があるか」
よりも、
「その才能を認識できる採点表を持っているか」
の方が大事なんじゃないかと思っている。
絵本を読み終えて、
私はしばらく動けなかった。
ゴッホを救うことはもうできない。
次のゴッホを捨てないかと言われると、
正直あまり自信がない。
「もっとこうしたらいいのに」
と、捨てているのかもしれない。
そのままでいいんだよ。
描いていいんだよ。
そう言う人は、
どうして少ないんだろう。
「そのままでいいんだよ」
と言う人は、
採点者じゃないから。
世の中の大半は、
評価する側の言葉でできている。
もっと頑張れ。
もっと分かりやすく。
もっと売れ。
もっと伝われ。
もっと普通に。
もっと効率よく。
もっと正しく。
全部、
採点表の話。
でも、
「そのままでいいんだよ」
は採点じゃない。
存在の話。
だから目立たない。
「そのままでいいんだよ」
と言うのは、
実はすごく勇気がいる。
だって、
結果が分からないから。
ゴッホが成功する保証なんてない。
売れる保証もない。
認められる保証もない。
それでも、
「描いていい」
と言う。
これは採点じゃなくて信頼だから。
採点は簡単。
結果を見ればいい。
信頼は難しい。
結果が出る前に差し出さなければいけないから。
だから歴史の中で語られるのは、
ゴッホよりテオなのかもしれない。
絵を描いたのはゴッホ。
でも、
「描いていい」
を言い続けたのはテオだった。
私たちはゴッホになりたい。
でも本当に足りていないのは、
テオの方なのかもしれない。
才能は、
証明されてから生まれるものじゃない。
歴史は何度も繰り返してきた。
もしかしたら今この瞬間も、
どこかで誰かが、
採点表の外で立っている。
その人は、
すでに目の前にいるのかもしれない。
まだ自分でも気づいていない。
もしかしたら、
あなたなのかもしれない。
