「いらないもん」を言い続ける大人たち
人って不思議だなと思う。
本当は欲しかったものに対して、
わざわざ
「別に欲しくなかったし」
と言うことがある。
恋愛の修羅場で人が言う。
「もういい」
「そんな人いらない」
「私から捨てた」
仕事でも言う。
「昇進なんて興味なかった」
「その会社は合わなかった」
「やりたくなかったし」
発信でも言う。
「数字なんて追ってない」
「バズりたいわけじゃない」
「みんなに届けたいだけ」
どれも間違いとは言わない。
本当にそうなのかもしれない。
でも私は時々、
少しだけ引っかかる。
なぜ、
そんなに説明したくなるんだろう。
私は子どもの頃、
ちょっと思い通りにいかないことがあると、
よくふてくされていた。
そんな時に母が、
「まいちゃん、このお菓子食べる?」
と聞いてきた。
私はお菓子が大好きだった。
私は言った。
「いらないもん。」
「食べたくないもん。」
今思うと、
あれはなかなか高度な防衛反応だった。
本当は欲しかった。
でもそう言えない。
その状態は苦しい。
だから、
欲しいものを消す。
正確には、
欲しかった自分を消す。
大人になると、
少しだけ上手になる。
欲しかった恋人。
欲しかった評価。
欲しかった仕事。
欲しかった未来。
それらが手に入らなかった時、
私たちは悲しむ前に、
説明を始めることがある。
「あんな人だったし」
「合わなかったし」
「最初から違ったし」
それは事実かもしれない。
でも、
その事実と、
欲しかったことは別の話。
恋愛系の発信を見ていて思うことがある。
「私は追わない人間です」
「浮気した奴なんて、浮気相手にあげます」
「執着は手放しました」
「泣いてすがる人とは違う」
そういう言葉。
カッコいい。
自立しているようにも見える。
でも時々、
別の音が混ざる。
捨てられるくらいなら、
自分から捨てたい。
傷つくくらいなら、
最初からいらなかったことにしたい。
負けたと思うくらいなら、
ゲームを降りたことにしたい。
もちろん、
全部がそうだとは思わない。
本当に冷めた人もいる。
本当に手放した人もいる。
でも人は、
そんなに単純じゃない。
悲しさ。
怒り。
悔しさ。
解放感。
愛情。
プライド。
だいたい全部混ざっている。
願望があるから、
人は傷つく。
それは別に恥ずかしいことじゃない。
恥ずかしいのは、
願望を隠しながら、
「別に欲しくなかった」
を何年も続けることかもしれない。
誰も取り上げていない。
誰も責めていない。
誰も、
「あなたはダメ」
なんて言っていない。
でも本人だけが、
ずっと食べていない。
それは強さというより、
ただの意地に近い。
「私は追わない」
「私は平気」
「私は欲しくない」
本当にそうなら、
声を張らなくていい。
人は、
いらないものについて演説しない。
欲しかった。
大切だった。
傷ついた。
だから欲しいと言った。
だから悲しいと言った。
その方が、
「いらないもん」
を続けるより、
よほど大人に見える。
「いらないもん」
を言い続けるより、
「欲しかった」
を1回認める方が早い。
世の中では、
追わない人
執着しない人
平気な人
が、なぜか大人扱いされる。
でも私は、
素直に認めた方が、
よほど格好いい気がしている。
許すのも自由。
離れるのも自由。
追うのも自由。
追わないのも自由。
願望があるから、
人は傷つく。
大切だった。
欲しかった。
失いたくなかった。
側にいて欲しかった。
そう思っていた自分が、
そこにいるんだと思う。
