「何も起きていない」観測記録|第三回|正しいはずなのに
カフェを出たあとも、足はちゃんと前に出ているのに、意識だけがまだテーブルのあたりに残っていた。
ドアを開けた感触も、
外の空気の冷たさも、
あとから思い出そうとしても、うまくつながらない。
代わりに、さっきの言葉だけが、頭の中で何度も立ち上がっていた。
友人の声は、もうそこにはないのに、頭の中では何度も再生される。
――考えすぎ。
――普通。
――当たり前。
――適応。
声の高さも、間の取り方も、はっきり思い出せる。
責めるでもなく、
突き放すでもなく、
「そういうものだよ」と言うときの、あの落ち着いた声。
私は、それに反論できなかった。
駅までの道を歩きながら、
信号を待ちながら、
階段を降りながら。
言い返せなかった理由を、何度も探す。
言葉の選び方が悪かったのか。
例えがズレていたのか。
順番を間違えたのか。
どれも、違う気がした。
たぶん、どんな言い方をしても、結果は同じだった。
あのやり取りは、意見のぶつかり合いじゃなかった。
前提が、違っていた。
気づいたら、家に着いていた。
鍵を開け、靴を脱ぎ、いつもの動作をこなしながら、頭の中では会話が続いている。
これは、いつものことだ。
考えるのをやめようと思っても、いつのまにか再生されている。
「ただ偉そうに振る舞っている感じ」
……そうなんだよ。
そこなんだよ。
なんで“そこ”が引っかからない?
「こっちは悪いことするつもりなんて一切なくて、
ちゃんと用があって、
ちゃんと約束して行ってる。」
なのに、あの「ちゃんとしてる感じ」は、どうしてあんなに安心材料になるんだろう。
そして、本当に言いたいのはそれだけじゃない。
「違和感だけで社会は回せないでしょ」
その言葉も、頭の中で何度も繰り返される。
正しい。
正しいから、引っかかる。
社会は違和感“だけ”では回らない。でも、違和感を無視して回している状態を、そのままにしていいのか。
私は、何かを壊したいわけじゃない。
ルールを否定したいわけでもない。
ただ、
その仕組みは、誰のために置かれているんだろう。
そう思っただけだった。
でも、その問いを口に出した瞬間、空気が少しだけ変わった。
あ、これ以上は出す場所じゃない。
その感覚には、覚えがあった。
「必要だから」
「仕方ないから」
「そういうものだから」
会話を終わらせるための言葉。
それが出た時点で、先には進めない。
私は、議論をしたかったわけじゃない。
ただ、ズレていると感じた感覚を、ズレていると言ってはいけない理由が知りたかった。
なぜ、相手に時間と神経を使わせる設計が、何も言われずに受け入れられるのか。
なぜ、不審者より、約束して来る人のほうが多いのに、前提が逆になるのか。
なぜ、高いコストを払ってまで、安心した感じを維持しようとするのか。
それは、考えなくていいことなんだろうか。
考えると、面倒な人になることなんだろうか。
答えは出ないまま、同じところを回り続ける。
私はもう、いくつかのことには気づいている。
権威を演出するために、コストを払っていること。
仕組みが安全を保証しているわけではないこと。
人の運用が、いちばん不安定なこと。
管理が、信頼の代わりに置かれていること。
分かっているから、反芻が止まらない。
「じゃあ、なんで疑問を持たないんだろう」
ここに、何度も戻ってくる。
入館証のエラーに焦り、
受付で待ち、
ゲートで止まり、
時間を削られながら。
それでも、
「まあ、そういうものだよね」
で終わる。
どうして?
慣れ?
諦め?
それとも、疑問を持たないほうが楽だから?
私だって、社会を回す側として適応はできる。
言われた通りに動いて、文句を言わずにやり過ごすこともできる。
でも、それを繰り返すたびに、何かが少しずつ擦り減っていく。
私はたぶん、「正しさ」よりも、「自分で選んでいる感覚」を手放したくないんだと思う。
理解したうえで従うのか。
考えないまま飲み込むのか。
どちらを選ぶかは自由だけど、選んだという感覚だけは、残しておきたい。
考えずに飲み込むのだけはどうしてもできない。
だから、反芻する。
しつこく。
何度も。
同じ場所を。
これは、答えを探しているわけじゃない。
気づいてしまった自分が、どこに立っているのかを、確認し続けている。
多分この癖は、一生治らない。
治す理由も、見つからない。
友人の世界では、「安全」は最優先事項で、そのための管理は疑う対象ですらない。
管理は、信頼の代わりに置かれるものじゃない。
最初から、信頼と切り離されたもの。
私の中では、信頼と管理が同じ場所に存在してる。
だから、引っかかる。
引っかかってしまう。
あのゲートの前を思い出す。
QRコードをかざす。
ピッ、という音。
エラー表示。
赤く光るランプ。
本当に拒否されたわけじゃない。
でも、体が一瞬、止まった。
あ、通れない。
その感覚。
誰かに責められたわけでもない。
私は、あの瞬間だけ、“会う約束をしている相手”ではなくなった。
“エラーとして処理される対象”になった。
ほんの一瞬。
でも、あの一瞬が、消えない。
友人は言っていた。
「疑われてるわけじゃない。管理だよ」
分かってる。
管理だってことは、分かってる。
それが個人への否定じゃないことも。
それでも、胸の奥が少しだけ冷えた。
冷えた、というより、位置を下げられた感じ。
上下じゃなくて、内と外。
中に入る前の、“外側”。
私は、その外側に立たされる感覚が、どうも得意じゃない。
得意じゃない、という言い方も、少し違う。
慣れている。
何度も経験している。
でも、慣れたからといって、何も感じなくなるわけじゃない。
友人は、何も感じないと言っていた。
本当に?
本当に、何も?
それとも、感じないほうを選んでいるだけ?
たぶん、本当に感じていない。
感じないほうが、楽だから。
感じないほうが、生きやすい。
それは、私にも分かる。
感じなければ、考えなくて済む。
考えなければ、疲れない。
「感じない」という適応。
私は、それができない。
できない、というより、そうならない。
気づいてしまう。
あの仰々しさ。
ゲート。
受付。
制限。
全部、正しい。
全部、安全のため。
でも、全部が積み重なると、ひとつの気配になる。
安心したい、という焦り。
不安をごまかすための仕組み。
それが、言葉じゃなく、形になって立っている。
友人の言葉が、もう一度よみがえる。
「違和感だけで社会は回せない」
その通りだ。
違和感だけで、会社は動かない。
制度は作れない。
責任も取れない。
それでも、違和感が最初に切り捨てられる状態が、ずっと続くのは、少し怖い。
考えたところで、答えは出ない。
社会は、個人の感覚にいちいち立ち止まってはくれない。
それも、分かってる。
それでも、私は考えてしまう。
あの気持ち悪さを、「考えすぎ」で処理したくない。
なかったことにしていい感覚じゃない。
ちゃんと一度、立ち止まって、見つめる価値のあるものだ。
友人は、黙っていた。
あの沈黙。
あの沈黙が、今も続いている。
私は、適応している。
文句も言わず、手続きもこなして、ちゃんと仕事をしている。
社会的には、何の問題もない。
でも、適応できることと、納得できることは、同じじゃない。
私は、その差を無視したくないだけなんだと思う。
無視すれば、きっと楽になる。
感じないふりをすれば、何も引っかからない。
でも、それをやり続けたら、私はたぶん、自分の感覚を失ってしまう。
それのほうが、怖い。
社会のリスクより、自分の感覚が鈍っていくことのほうが。
あの一瞬。
ゲートの前で、体が止まった、あの感覚。
そこに、私がいる。
今日も、私は適応する。
入館証を出し、指示に従い、社会の中を問題なく通過する。
でも同時に、私は反芻している。
あの会話を。
あの沈黙を。
あの、名前のつかない感覚を。
答えは、出ていない。
出なくていい気もしている。
反芻し続けること自体が、今の私だから。
この記録は、続きます。
