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コルセットは消えた。でも、形を変えて生き続けている。

最近、ある“デブ専”男性の発信が流れてきた。

 

「もっと食べていい」

「サラダチキンより、唐あげを食べて」

 

コメント欄には、救われている女性たちが沢山いた。

 

きっと今まで、

「痩せろ」

「女なんだから」

「その体型やばい」

そんな空気に、ずっと傷ついてきた人たちなんだと思う。

 

だから最初、私は「いいこと言ってるな」と思った。

世の中って、本当に“痩せていること”を求める圧が強いから。

 

だから、そのデブ専男性の発信を見た時、

“痩せ至上主義へのカウンター”

として、少し気持ちよさもあった。

 

でも、見ているうちに、なんとも言えない違和感も出てきた。

 

もし世界の基準が逆だったら。

 

みんな真顔で言い始める。

 

「やっぱふくよかな身体がいいよね」

「小食って、余裕がない感じ」

 

そして、

“食を我慢しないのが、本当の自己肯定感♡”

とか言いながら、

個人の胃袋をガン無視して、
美容文脈で売り始めそうで怖い。


“脂肪定着クリーム”なんてのも流行るのかもしれない。


市場って、時代の"不安"に合わせて、 優しく正義を売るのが上手い。


そんな空気になったら、

今度は痩せ型の人が苦しくなる。

 

つまり問題って、

「どの身体が正しいか」

じゃなくて、

“身体を理想化して、人間の価値と結びつける構造”

そのものなんじゃないかと思った。

 

美しさって、時代によって普通に変わる。

 

昔は、お歯黒や引眉が美しかった時代もある。

ふくよかな女性が、美人として描かれていた時代もある。

 

昔、ココ・シャネルは、女性をコルセットから解放した。

 

締め付けられた身体。

苦しくても、「女性らしさ」のために我慢すること。

 

当時の“正しい女性像”を、少し揺らした人だったんだと思う。


でも多分、
メイクまでは手が回らなかった。

 

次は誰が、
毛穴と戦う女性たちを解放してくれるんだろう。

 

女性総理大臣より先に、
そっちが現れる方が難しいのかもしれない。

 

当時は、それが“普通”だった。

 

今の私たちは、それを見て思う。

 

「そこまでしてコルセット着なきゃいけないの?」

 

でも最近、思う。

 

私たちは、本当にコルセットを脱いだんだろうか。

 

痩せろ。

若くいろ。

毛穴を消せ。

清潔感を出せ。

“ちゃんとしていろ”。

 

コルセットは消えた。

でも今度は別の形で、

身体や見た目を締め付け続けている気がする。

 

しかも厄介なのが、

昔みたいに、

「女性らしくあるために耐えなさい」

みたいな分かりやすい圧じゃないことだ。

 

“自分磨き”

“垢抜け”

“女性としての嗜み”

 

もっと優しい顔をして入ってくる。

 

だから気づきにくい。


しかも今は、

「ありのままの自分を愛そう」

みたいな言葉まで増えた。

 

でも時々、それすら、

“努力して整えた自分”

を前提にしているように見えることがある。

 

ある程度、

“ちゃんとしている”

その上での、

「ありのままでも大丈夫」。

 

本当に何も整えていない状態まで、社会は自由にしてくれない。

 

私自身、メイクが嫌いなわけじゃない。

可愛い服も好きだ。

新しい服を着るとテンションも上がる。

 

でも最近、ふと思う。

 

私は、本当にメイクが好きなんだろうか、と。

 

もう一生しなくていいと言われても、正直そこまで困らない気もする。

 

韓国で眉アートをしたのも、

“美への強いこだわり”

というより、

“メイク時間短縮”

が理由だった。

 

最近なんて、歯磨きして、顔洗ったら、もう家を出たい。

 

でも女性がノーメイクで外へ出ると、

「疲れてる?」

「ちゃんとした方がいいよ」

「最低限はしないと」

みたいな空気が普通に飛んでくる。

 

私は、“女を捨てたい”というより、

外へ出るだけで求められる「整える工程」に、少し疲れているんだと思う。

 

しかもそこに、生理まである。

 

浮腫む。

肌荒れする。

眠い。

だるい。

食欲も変わる。

 

なのに社会は、

“常に綺麗で”

“常に整っていて”

“常に機嫌よく”

みたいな空気を、普通に求めてくる。

 

昔、おばさま方が言っていた言葉を思い出す。

 

「戻れるなら20代30代より、元気な50代がいい」

 

昔は、「えー?なんで?」と思っていた。

 

でも最近、少し分かる気がする。

 

メイクしないで外へ出た日、すごく楽だった。

 

準備に時間を吸われない。

整えることを考えなくていい。


私は別に、何もしていないわけじゃない。

 

身体を動かし、
夜寝る前に食べすぎないようにもする。

 

でも、それでも思う。

 

「あー…太ったかな」って。

 

たぶん今って、“普通に身体と付き合っている”だけでは、

「ちゃんとしてる」

にはならない。

 

もっと細く。

もっと若く。

もっと管理して。

もっと美しく。

 

終わりがない。

 

この前、久しぶりに、お風呂上がりの自分を鏡で見た。

 

一回り大きくなったお腹のお肉をつまんで、

「あー…痩せなきゃ」

って、自然に思った。

 

でもその瞬間、ふと思った。

 

それって、本当にそうなんだろうか、と。

 

私はいつから、

「少し太る=戻さなきゃ」

を、こんなに自然に思うようになったんだろう。

 

本当は食べたかった。

本当は心地よかった。

本当はその身体の方が自然だった。

 

なのに、“正しい美しさ”を優先することで、

自分の感覚の方を、後回しにしていたのかもしれない。


私は誰に好かれようとして、

ここまで整えてるんだろう。

  

なんでこんなに、美に関しては、女性ばかり努力と痛みを引き受け続けるんだろう。

 

孔雀って、鮮やかな羽を持っているのは、メスじゃなくオスだ。

 

でも孔雀は、

「今日は紫を足そう」

とかやっているわけじゃない。

 

あれが、そのまま自然の姿だ。


あと何年かしたら、

「孔雀本来の魅力を引き出します」

とか言いながら、 よかれと思って孔雀にペイントしてあげるサービスを 飼い主が買うのかもしれない。

でも多分、 孔雀からしたら、

「いや、そのままで飛ばせてくれ」

だろうな。

 

人間は、人生を楽しむ時間より、

“整える時間”

へ、
ものすごいエネルギーを使っている。


今もまだ、コルセットを着る時間は残されている。

 

昔の人が、頭に船を乗せる努力をしていたみたいに。

 

今の私たちも、

未来から見たら、

かなり不思議なことをしているのかもしれない。

 

「毎朝1時間も準備にかけてたの?」

「なんでそこまでして整えなきゃいけないの?」

「化粧なんて趣味でやるものよ」

 

未来の人から見たら、

今の私たちも、普通にコルセットを着ているのかもしれない。


…とか言いながら。

 

魅力的に見られたい気持ちが、捨てきれない。

 

いや、正確には、

“魅力的でいなきゃ”

なのかもしれない。

 

完全に“女”を降りたいわけでもない。

 

でも、ずっとそのゲームを続けるのも、ちょっと疲れた。

 

それでも結局私は、いつまでも若々しく、くびれのあるスタイルのいい女性でいたいんだと思う。

 

いや、正確には、

“社会がそう定義している女性”

でいたいのかもしれない。

 

もう、どこまでが自分で、

どこからが刷り込まれた感覚なのか、

正直よく分からない。



 


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