「いいな」と「嘘くさい」が同時に来る理由
SNSを見ていると、
海外に住んでいたり、
好きな時間に働いていたり、
「会社に縛られずに生きてます」と発信している人がいる。
それを見て、「いいな」と思う。
でも同時に、
「なんか嘘くさい」
とも感じる。
私はずっと、この感覚が分からなかった。
ひがみなのか。
性格が悪いのか。
素直じゃないだけなのか。
でも違った。
あれは、“ズレ”を感じていた。
こういう発信がすべて嘘かというと、そうでもない。
本当に海外に住んでいる人もいる。
自由に働いている人もいる。
ただ、
“現実の一部だけが切り取られている”
それだけだった。
ハワイのカフェでPCを開いている写真。
「朝はヨガ、好きな場所で仕事」
そういう投稿を見る。
でも実際には、
不安もある。
集客できない日もある。
全然うまくいかない期間もある。
でも、そういう部分はほとんど映らない。
だから人は、
「事実なのに、現実っぽくない」
という違和感を持つ。
でも、
私はああいう発信に惹かれていた時期もあった。
「なんか違う」
と思っているのに、
見てしまう。
少しだけ心が揺れる。
人は、
“理想”に引っ張られる。
今の現実に違和感がある時ほど。
「このままでいいのかな」
と思っている時ほど。
だから、
完成形が先に提示される。
自由な働き方。
好きな場所。
好きな人たち。
理想のライフスタイル。
そして人は、
その世界観に、
少しずつ自分を重ね始める。
昔の私は、
こういう流れを見るたびに、
「人を動かすためのマーケティングなんだな」
とも見ていた。
もちろん、それもあると思う。
でも今は、
少し違う見方をしている。
人は、
言葉に動かされているんじゃない。
“前提”に引っ張られている。
たとえば、
「会社員は時間を奪われる」
という言葉。
それを聞いても、
何も感じない人もいる。
でも、
その言葉に強く反応する人もいる。
同じ言葉なのに、
反応が違う。
人は、
情報そのものではなく、
“自分の中にある違和感”
に反応している。
こういったコミュニティの環境に入ると、
最初は、動ける。
毎日メッセージが届く。
行動している人がいる。
「自分も変われるかもしれない」と思う。
でも、少しずつ止まる。
やり方は教わる。
そもそも、
本やYouTubeにも、
情報自体は沢山ある。
やればいいのも分かっている。
なのに、動けなくなる。
すると今度は、
「なんで自分は続かないんだろう」
が始まる。
“構造”ではなく、
“自分”を責め始める。
そしてまた、
別の方法を探す。
「今度こそ変われるかもしれない」
そうやって、
同じ場所を回り続ける。
私も、
実際そういう経験がある。
本当に動ける。
だから、
「環境ってすごいな」
とも思った。
でも同時に、
ずっと違和感があった。
「これ、本当に自分で動いてるのかな?」
動いている。
でも、
どこか“動かされている感覚”がある。
やり方も分かる。
伸びる型も分かる。
この順番で発信したら反応が出るのも分かる。
実際、やっていた。
「溺愛される女性がやっている7つのこと」
そういう、
伸びるテンプレ。
でも、
やっている時、
ずっと変な感覚があった。
“やっているのに、やっていない”
言葉を出しているのに、
自分の言葉じゃない。
どこかで、
「これ意味ある?」
が消えない。
工場の流れ作業みたいだった。
決められた工程を、
無心で繰り返している感じ。
もちろん、
それで結果が出る人もいる。
当時の私は、
それが不思議だった。
同じことをやっているのに、
うまくいく人と、
途中で止まる人がいる。
今なら分かる。
やり方じゃなかった。
“ズレ”だった。
うまくいく人は、
疑っていない。
非効率でも。
ロジック的に微妙でも。
誰も推奨していなくても。
本人の中で、
「これでいける」
が一致している。
だから、
迷わない。
ブレない。
続く。
逆に、
どれだけ“正しい方法”でも、
どこかで、
「本当にこれでいいのか?」
が入ると、
止まる。
私はずっと、
それを「継続力がない」と思っていた。
でも今は、
少し違う見方をしている。
もしかしたら私は、
止まっていたんじゃなくて、
“止まれていた”
のかもしれない。
私はこれを、
“基底の蓋”
と呼んでいる。
自分を壊さないために、
無意識で入るチェック機能みたいなもの。
「それ、本当に自分に合ってる?」
「そのまま進んで大丈夫?」
「ズレたまま動いてない?」
当時は、
ただ“素直に動けない自分”
だと思っていた。
でも今は、
違和感って、
間違いではない気がしている。
むしろ、
“ズレを教えてくれている感覚”
だったのかもしれない。
だから私は最近、
「継続は努力」
というより、
“摩擦の少なさ”
なんじゃないかと思っている。
人は、
一致している時、
自然と続く。
逆に、
ズレている時は、
いずれ止まる。
それを、
意志の弱さだけで説明すると、
苦しくなる。
私は、
“ズレたまま動かすこと”
ができないって気づけた。
自分自身も。
そして、
誰かを動かそうとする時も。
私はどうしても押し切れなかった。
最近は、
“動けない自分”
を、
前より信じられるようになった。
※「判断を外に預ける状態」については、
別の角度からも記事を書いています。
