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「大丈夫だよ」が効かない理由

あなたは今、自分のことを好きですか。

この質問に、素直に「はい」と言える人は少ない。

なかなか自信ってつかないな。
そう感じたことはありませんか。

昨今のご自愛ブームは、多くの場合、構造的に破綻している。

「自分を肯定しよう」
「ありのままでいい」

そう言われるたびに、どこか引っかかる。

ほとんどの「自分を好きになれない理由」はズレている。

自信がないからでも、努力が足りないからでもない。

問題はもっと手前にある。

——存在の安全です。


私も色んなことを試してきました。

自分を褒める。
ご褒美を与える。
頑張った自分を肯定する。

でも、長続きしなかった。

以前、自己肯定感や自己受容についての記事を書きました。

その中でご紹介した、自信の4階建て。


自信の4階建てとは

この記事の中では、
人間のOS的に、

“理由ゼロで自分を肯定する”

のは無理ゲーだということをお伝えしました。

そして、本来の自己肯定感とは、

努力や頑張りではなく、

自分の無意識に、

すでに“できる力”があると知っている状態。

この状態だからこそ、

自己受容が湧くという話です。

そして、
そこからもう一段深く見ると、別の視点が見えてきます。

問題は自己肯定感ではなく、存在の安全です。


存在の安全とは何か

言葉だけを見ると、
例えば、

・ライオンとかワニに襲われない
・飢饉にあって餓死しない

みたいな、
“生き延びられるかどうか”をイメージしがちです。

現代はどうか。

暖房もあるし、食べ物もある。
病気になっても医療がある。

一見すると、
存在の安全は担保されているように見えます。

ここまでは事実です。

でも、

それは“生存としての安全”に過ぎません。

「何もできなくても、ここにいていい」

これです。

要するに、“赤ちゃんポジション”。

赤ちゃんは、

・何もできない
・役に立たない
・生産性ゼロ
・むしろ手がかかる

それでも、存在がOKとされている。

これが、存在の安全=無条件許可。

人は一度、必ずこの状態を通っています。


なぜ失われたように感じるのか

成長するにつれて環境が変わります。

しつけ、教育、社会。

ここで繰り返されるのは、

・ちゃんとしなさい
・迷惑かけないで
・役に立ちなさい

存在に条件がつく。

これは成長に伴う「普通」の環境ですよね。

だからこそ、そのまま受け取る。

疑わない。

その結果、人はこう学習する。

「このままの自分ではダメ」

ここで、存在の安全は“なくなったように感じる”。

でも実際は違います。

なくなったわけではありません。

信じられなくなっただけです。


存在の安全はあるのに、信じていない

現実としては、

嫌われても死なないし、
失敗しても終わらないし、
一人でも生きていける。

——それは、もう何度も体験しているはずです。

忘れ物をしても、何とかなった。
遅刻しても、何も起きなかった。
失恋しても、また誰かを好きになった。

現実の安全は、すでに何度も証明されている。

それでも、

返信が少し遅れただけで不安になる。
評価が下がると落ち着かなくなる。
ちょっとした反応で、居場所が揺らぐ気がする。

このズレ。

頭では分かっているのに、身体はそう感じていない。

ここで起きているのは、

現実の安全と、認識のズレです。


現実は安全なのに、人は止まる

本当は、何も起きないかもしれない。

それでも、人は止まる。

LINEを送ろうとして、やめる。
会議で言いたいことがあったのに、飲み込む。
誰かの何気ない一言に、

「自分のことを言われている気がする」

と、そわそわする。

この一瞬の“引っかかり”。

ここに、全部出ています。

本当に安全だと信じているなら、
そこまで身体は反応しません。

でも実際は、

嫌われるかもしれない。
空気が変わるかもしれない。
居場所が揺らぐかもしれない。

そう感じた瞬間、

人は止まる。

ここでも同じことが起きています。

現実は安全なのに、

認識が危険になっている。


本当は大丈夫なのに、人は止まる

赤ちゃんにガラスの床をハイハイさせる実験があります。

まだ幼い時期は、何も気にせず進みます。

でも、ある時期から止まります。

下が見えるから。

手で触って、何度も確認する。
床があることは分かる。
今まで通ってきた経験もある。

それでも身体は動きません。

「落ちるかもしれない」と、無意識で思うから。

現実は落ちない。

でも止まる。

これを、大人もそのままやっています。


コンフォートゾーンという錯覚

多くの人は言います。

「挑戦している」
「失敗もしている」

でも実際は、
全部コンフォートゾーンの中です。

嫌われない範囲
壊れない範囲
戻れる範囲

この範囲のギリギリのラインを攻めているだけ。

・言いたいことを少しだけ言う。
・嫌われない範囲で意見を出す。
・安全な場所でだけ行動する。

それは挑戦に見えるけど、構造的には延長です。

存在が守られている前提の中での行動。

だから変わらない。

本当に変わるラインは、

「落ちるかもしれない」と思っているラインの外側にあります。


止まっている理由は能力ではない

人はここを、すごく上手に説明します。

「今はこういう状況だから」
「本にそう書いてあるから」
「まだ準備が足りない」
「もう少し実力をつけてから」

でも、やっていることは同じです。

LINEを送るのをやめる。
言いたいことを飲み込む。
一歩踏み出すのをやめる。

理由は一つ。

怖いから。

落ちるのが怖い
嫌われるのが怖い
失敗が怖い

能力の問題ではありません。

“存在が危うくなると思っている”から止まっている。

ただそれだけです。


なぜ自己効力感が機能しないのか

「自分を肯定しましょう」
「自分を愛しましょう」

でも、
存在の安全を信じていない状態で上に積んでも、
機能しません。

・うまくいっているときだけ自信がある。
・評価されているときだけ安心する。
・結果が出ているときだけ動ける。

これは全部、条件付きの安全です。

だから崩れる。

返信が来ないだけで不安になる。
評価が下がるだけで揺らぐ。
状況が変わると動けなくなる。

土台が無条件じゃないからです。


ガラスの床の前で起きていること

ガラスの床の前で止まっている状態は、
こういうことです。

・床があると知っている
・実際に通れると分かっている
・過去にも通れている

それでも、

身体が動かない。

理由は一つ。

「落ちるかもしれない」という認識が勝つから。

知識でも、経験でも、説明でも、

ここは上書きされない。

だから、

「大丈夫だよ」と言われても動けない。


自己啓発がズレる理由

自己啓発や様々なノウハウは、

「ちゃんと床はあるよ」
「あなたは大丈夫だよ」

これらを上手に伝えています。

全部正しい。

でも、

効くことはありません。

なぜか。

すでに“知っている”から。

ガラスの床の前で止まっている赤ちゃんに、
笑顔で「大丈夫だよ~」と言っているのと同じ。

赤ちゃんなら、説明できないから、
泣きだすだけです。

大人も同じです。

動けないのは当然なんです。

問題は、知識でも理解でもない。

“信頼できていない”こと。

ここを飛ばして、

「やればできる」
「行動しよう」

と言っても、無理に決まっています。


結論

存在の安全は、誰にでもあります。

でも、それを無意識で信頼できていない。

だから、人は動けなくなる。

人は、落ちるから止まるんじゃない。

「落ちるかもしれない」と感じた瞬間に、止まっている。

あなたが止まっているその瞬間、
本当は、何が怖いと感じているだろうか。

問題は行動ではない。

あなたが今、
どこまで“安全だと信じているか”。

そこに、すべてがある。


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