「努力だけでは、人生は、変わらない」――令和時代の“運”について考える
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人生と運の関係性について考察する
昔の日本社会では、努力を重視するような風潮があったのだが、令和の日本社会は、運を重視する日本社会なのは、間違いない。そして、この変化の元になったのは、インターネットが普及した事により、日本人全体が知りたい情報を知る事ができるようになったので、努力至上主義が自然と崩れていった。例えば、昔は、両親の身長が低くてもたくさんご飯を食べれば子供の身長が高くなると多くの日本人が信じていたが、令和の日本人は、子供の最終身長がほぼ遺伝で決まるのを知っている。つまり、自分の身長が平均的か平均以上か平均以下かは、運だと言う事になる。他にもどのような親の元に生まれるか、どのような能力を持って生まれてくるか、どのような人に出会うか、どのような時代に生まれてくるかが人生を大きく左右する。
運については、前向きにも後ろ向きにも考えられる
現代の日本人は、人生は、運だとほぼ気付いている。だけど、個人的に運との向き合い方は、制限されていないと思っている。それは、人生がほぼ運で決まるなら運が良ければ自分の人生が好転するかもしれないと前向きに考えるか、どうやっても自分の努力や行動によって、人生を完全に変えられないんだと後ろ向きに考えるかの選択的思考は、自分自身が選択できるので運については、前向きに考えた方が生きやすいだろう。
最終的には、人生をどう使い切るか
基本的に人生は、全て自分の思うようには、いかないので最終的には、人生をどう使い切るかが人生に対する向き合い方でどのような形であれ毎日を必死で生きてどのような形で人生が終わっても自分は、自分なりに人生を使い切ったと思えたのであれば例え歴史に残るような偉業を達成していなくてもその人生は、立派な人生だと言えると思う。僕自身、人生を思いっきり人生を使い切れるように頑張りたいと思う。以上の事から人生は、運次第で運と向き合う事が大事で最終的に自分の人生を使い切る事が重要だと言う事だ。
