顕微鏡のおっさん(ショートショート)
おれは25歳の大学院生。
同い年の友人がほとんど就職する中、大学院に進学し、遺伝子の研究を続けている。
博士号の学位をとるため、そろそろ論文を出したいところだ。
そのためにも、なんとかおもしろい研究成果を出したい、と正直あせっている。
今日も深夜までラボに1人残り、顕微鏡をのぞいていた。
すると、視界の端に何かが動いているのが見える。
顕微鏡で見ているのは単なる培養細胞だ。
ひとりでに動くようなものではない。
疲れているのかな、と目をこすり、再び顕微鏡をのぞきこむ。
間違いない。やっぱり何かが動いている。
対角レンズの倍率を上げて、さらに拡大すると、はっきり見えた。
ちっさいオッサンだ。
ギョッとしてまわりを見渡す。
誰もいない。
ひとつ大きく深呼吸して、もう一度のぞきこむ。
間違いない。ちっさいオッサンだ。
というか、これはうちの父親だ。
なにやってんねん、おやじ。
おやじとレンズ越しに目が合うと、こちらに向かってピースサインをしてきた。
培養液中の小さな粒子がおやじにぶつかって、おやじが小刻みに震えて見える。
まさか、自分の父親でブラウン運動を体感するとは。ずっと頷いているように見えるのが不気味だ。
深夜のラボで、親父が頷きながら笑顔でピース。
なんだ、この状況?
あかん、なんか笑えてきた。
ふふ。ふふふふふ。
あれ?おやじもこころなしか笑ってる?
と思ったら、今度は吐くポーズをとりはじめた。
ん?どうしたおやじ?
少し心配したが、何度も同じ動作を繰り返す。
もしかして、これはジェスチャーゲームか?
だとするとさっきのピースサインと吐くで、
ピース……はく?
ピースげろ?
ん?
ピースじゃなくて、2か?
に……げろ??
え?なになになになになに
こわいこわいこわいこわい
慌ててうしろを振り返るけど、やっぱり誰もいない。
急に孤独がこわくなってきて、細胞を37℃のインキュベーターに戻すと、そそくさとおれは家に帰った。
🔬🔬🔬
自転車を一生懸命こいで、家に帰るとほぼ朝になっていた。
家族の皆は寝てるかな?と、そーっと玄関のドアをあける。
おや、リビングの電気がついている。
中を覗くと、ソファにおやじがでーんと座っていた。
「おやじ……なにやってんの?」
「おお。さとしか。おかえり。実はとうさん、『念』をマスターしたんだよ。届かなかったか?」
頭がくらくらする。
さっきの顕微鏡も、目の前のおやじも全部夢だろうか?
現実感がなさすぎて、意味がわからない。
「念って?もしかして、さっき見えたおやじの姿は念だったってこと?」
「お、届いたか?おれからのメッセージ」
あー、やっぱりさっきのちっさいおやじは念だったのか。
「見えたよ。見えたけど、なんだよ、にげろって?イキナリでちょービビったよ。
というか、もっと他にやり方あっただろ?」
「ん?なんだ?にげろって?おれそんなメッセージ送ってないぞ」
「え?だって、ピースしたあと吐くジェスチャーやってたじゃん」
「あー、あれは二日酔いでしんどいってことだよ。
昨日ミミちゃんと盛り上がっちゃってさぁ。あのこ飲ませるのうまいから……べらべら」
「……知らんがな。てか、きもいよおやじ」
あきれながら、水を飲みにキッチンにはいると、いつの間にか起きてきた かあちゃんが怒りの表情でおやじを見ていた。
小刻みに震えてるのは……ブラウン運動かな?
気体や液体の分子は、たえず熱運動をしています。 そして気体中や液体中にある微粒子も、これらいくつかの分子に衝突され続けています。 その結果、微粒子は不規則に動かされることになります。 このような微粒子の運動を「ブラウン運動」といいます。
これを書いている人
えむのマイトン

製薬企業で研究員をする傍ら、noteでエッセイやショートショートを書いています。
疲れたあなたの心をそっと元気にする、サプリのような物書きを目指しています。
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