しゃにむにとうちゃんのお好み焼き
中学1年の夏頃、学校から帰ると父がキッチンで何やら格闘していた。
そこら中に調味料の小瓶やボウルが散らかっている。
料理なんてほとんどしない父が、平日の夕方にキッチンでドタンバタンしている。
明らかに異常事態だ。
リビングにいた母は、半ば呆れたような表情で
「お父さん、お好み焼き屋さんやらはるんやて」
と言っている。
え?仕事はどうしたん??
おとん、洋服売ってたやん?
お好み焼き?
たしかに大阪生まれ大阪育ちの父親はお好み焼きと阪神が大の好物だ。
父が休みの木曜日は、毎週家でお好み焼きをすると決まっていた。
だからって急にお好み焼き屋さんになる、ってどうゆうことや?わからへん。
英語の授業で読まされるシェイクスピアの原文と、同じかそれ以上に意味が分からなかった。
母の表情からは、どうやら我が家がよろしくない状況であることだけは理解出来た。
◇◇◇
父の父、つまりおじいちゃんが経営する洋服屋で、父は兄とその奥さんとの4人で働いていた。
おじいちゃんは商売の才能があったらしく、若いころに魚屋で結構な財を築いた後に、時代の流れを読んで洋服屋をはじめたらしい。
父は三人兄弟の末っ子で、おじいちゃんに一番可愛がられて育てられたそうだ。
酒に酔うと嬉しそうに父はよく言っていた。
「おれが子供の頃は、何でも欲しいって言うたらおじいちゃんが買ってくれたんやで」
私はそのスネ夫トークを聞きながら、おじいちゃんの優しい顔に思いを馳せたものだ。
大学を出て某有名アパレル企業の営業として社会人になった父は、その会社で母と出会い、結婚した。そして会社を辞めておじいちゃんの店に入ったらしい。
その辺の細かい経緯はよくわからないけど、とりあえず父の兄嫁は、おじいちゃんから贔屓にされる父の存在が疎ましかったようだ。
◇◇
転機は突然訪れる。
私が小学校6年の時、おじいちゃんが亡くなったのだ。
初めての身近な人の死だった。
棺桶に入る穏やかなおじいちゃんの顔を見て、優しかったおじいちゃんとお正月に会えなくなった、と思うと寂しくて堪らなかった。
そんな大切な人の死が、裏でゴタゴタを引き起こしているなんて、子供だった私には全く想像もできなかった。
折しも、バブルが崩壊した直後だったこともあり、当時店の経営はかなり厳しかったらしい。
おじいちゃんの後を継いだ父の兄は、実質奥さんの尻に敷かれていた。なので、店の経営判断はうちと折が悪い兄嫁が握っていたらしい。
血のつながりなんて本当にもろいものだと思う。
おじいちゃんが亡くなって一年もしないうちに、父は実の兄から解雇された。
私立の中高一貫校に入学した私は、おそらく相当の学費がかかっていたはずで、さらにはテニススクールに、塾に、と特に制限なく教育にお金をかけてもらっていた。そんな状況で、突然の無職だ。
例えば五年後に職を失ったとき、果たして自分はどんな選択を取ることができるだろうか。
ちょっと考えてみてもわからない。
だが、父が下した決断は、
お好み焼き屋さんにおれはなる!
だった。
んなあほな。経験もないのに、好きなだけの素人ができるわけない。
それでも父は、受け継いだ爪の先ほどのおじいちゃんの商才をフル稼働させ、ピザ風お好み焼きとか、中華風お好み焼きとか、いろんなフレーバーのお好み焼きを開発しようとしていた。
いや、止めろよおかん。
まあ、一度決めたことは曲げない頑固な父が、母の言葉でどうこうなったとは思えない。実際、それから一か月くらいは毎日のように父の試作品を食べさせられた。
普通、日々試行錯誤するうちに、徐々に上達していくものだと思っていた。
ところが、父はいっこうに上達しなかった。
決してふわっとしていない生地に、初めましての組み合わせのソース達。
中学生の私にもわかった。
こりゃ売れないわ、と。
さすがに一か月やってみて、父も気づいたのだろう。
ある日学校から帰宅して、玄関を開けるとソースの匂いではなく、あまあい匂いがした。
何かと思ったら、呆れた顔の母が言う。
「お父さん、今度はシュークリーム屋さんやらはるんやて」
マリアナ海溝ばりに深い母のため息を聞きながら、膨らまずにしょぼんとしたシュークリームを眺めて、途方に暮れる父をそれからしばらく見ることになる。
◇◇◇
それから父は、結局いろんな仕事を転々とした。
もちろん、お好み焼き屋さんもシュークリーム屋さんも実現はしなかった。
工事現場、パン屋、食料品店の在庫運搬、布団屋さんの在庫運搬。
どんな仕事にもしゃにむに頑張っていた。
50歳前後での再就職は相当難しかったと思う。
実際、肉体労働や早朝勤務か夜勤のきつい仕事しか選択肢はなかったようだ。
決して余裕のある生活ではなかったけど、酒も女もギャンブルも何もやらず、ただただ真面目に一生懸命働く父の背中を見て、自分は両親の期待に応えなければならないと勉強を頑張った。
そんな両親のおかげで、大学にも進学できた。
なるべく経済的負担を減らそうと、必死に勉強して授業料は免除となったし、大学院からは実家を出て奨学金で生活した。
それでも、あの時の父や母のがんばりがなかったら、今こうして望む仕事に就くこともできなかっただろうし、妻と子供二人の家族を持つことも叶わなかっただろう。
責任ある父親の立場になって、父の大きさが身に沁みる。
どれだけのプレッシャーの中、平静を装って、笑顔で家族を支えてきたのだろう。
電話する度に、父は新聞やテレビで得た私の仕事に役立ちそうな情報を教えてくれる。
もちろん知ってる情報だったりするのだけど、嬉しそうに語る父の声を聞いていると、何も言わずにうんうんと頷くことが今自分にできる親孝行なんじゃないかと思う。
おとうさん、ありがとう。
あなたのように、私も家族を支えるよ。
しゃにむにとうちゃんにおれはなる!
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただきありがとうございます😊嬉しくて一生懐きます ฅ•ω•ฅニャー