【1話読切】万年一回戦負けの僕らが、長野五輪の聖火ランナーになった理由。父たちが仕組んだ「愛すべき不正」『ピンボケの幸福論6』
あれは一九九〇年代後半。
世の中はバブルが弾け、「失われた十年」なんて暗い言葉が流行り始めていた。
けれど、小学六年生の僕にはそんなことは関係ない。
僕の悩みはもっと深刻だった。
所属していたサッカーチームが、絵に描いたような弱小だったことだ。
練習試合は連戦連敗。
対戦相手の親御さんが、帰り際に「次は……頑張ってくださいね」と、気まずそうに声をかけてくるのが日常。
大会に出れば「一回戦敗退」が定位置。
地域では「あそこなら勝てる」というボーナスステージのような扱いを受けていた。
それでも、僕はサッカーが死ぬほど好きだった。
クラブに入った初日、嬉しくてユニフォームを着て、すね当てとソックスまで履いたまま布団に入った。
試合の前日は、枕元にスパイクを置いて寝た。
そんな僕の姿を見て、父は何を思ったのだろうか。
「こいつに、一度くらい“勝つ喜び”を味わせてやりたい」
その親心が、やがてとんでもない方向へ突っ走り始めるなんて、僕は知る由もなかった。
■ 深夜四時半のヘッドライト
弱小チームのくせに、練習だけは軍隊並みだった。
週に四回、朝四時半起き。
まだ星が出ている真っ暗なグラウンドへ向かう。
僕は隣町に住んでいたため、自転車を漕いで行った。
照明設備なんてない。
じゃあどうするか。
親たちが自分たちの車をグラウンドの周りに並べ、ヘッドライトを一斉につけて照明代わりにするのだ。
もちろん監督は誰よりも先にグラウンドに立っていた。
排気ガスの匂いと、朝霧。
ライトに照らされた白い息。
「リフティング百回できなきゃ、グラウンド百周な!」
鬼のような叱咤も、今思えば、バブルの残り香に振り回された監督と父たちの、切実な愛情表現だった。
父たちは、昼間は工場や事務所で働く「普通のサラリーマン」だった。
バブルの狂乱で儲け話に乗れず、弾けた後の不景気を地道に生きる、くたびれた背中。
僕の父は進行性の視覚障害があり会社でリストラの噂に怯えながら、毎晩のように保護者会のノートを広げていた。
そんな彼らが、子供たちのためにある壮大な計画を企てていた。
■ 父たちが作った
「勝てるシナリオ」
「ないなら、作ればいい」
父たちは、僕ら弱小チームが勝てる大会を自分たちで立ち上げた。
その名も『川島カップ』。
地域のチームを集め、ホスト側である僕たちをシード枠に入れ、なんとか優勝させようという、涙ぐましいほど露骨な「子供騙し」だ。
父たちは仕事の合間を縫って企業を回り、頭を下げて協賛金を集めた。
足りない分は、安くない自腹を切った。
すべては、僕たちにメダルをかけるためだ。
さらに、父たちの情熱は止まらない。
その年の初夏、とんでもないビッグニュースが飛び込んできた。
「長野冬季オリンピック誘致成功記念の聖火リレーに、ウチのチームが選ばれた?」
万年一回戦負けの僕らが?
なぜ?
からくりはこうだ。
父たちが保護者会で緻密な作戦を練り、行政に何度も足を運び、土下座せんばかりの勢いでプレゼンしたらしい。
極めつけは、子供たちから集めたお小遣い「一九九八円(長野五輪の年号)」を、当時の長野市長に直接手渡すというパフォーマンスまで敢行した。
「子供の夢」を盾にした、見事な大人の政治力。
それは、父たちが社会で揉まれる中で身につけた、泥臭い生存戦略だった。
バブル崩壊後の閉塞感で、華やかな成功を掴めなかった父たちにとって、この計画は子供のためというより、自分たちの「リベンジ」の機会でもあったのかもしれない。
■ 幻の勝利と、本当の惨敗
聖火リレー当日。
僕たちは地域のヒーローになった。
お揃いのジャージでトーチを掲げて走る。
先導するのは、当時流行り始めたバカでかい携帯電話を肩から下げ、誇らしげに指示を飛ばす父たち。
沿道からの歓声は無かった。
保護者数台のカメラのフラッシュ。
地元メディアでの報道。
川島カップの開会式では、手紙をつけた風船を束にし一斉に空へ飛ばすセレモニーまで行われた。
まるで、僕たちが王者になったかのような錯覚。
「やったな、お前ら! 最高だぞ!」
父たちの顔は、僕ら以上に輝いていた。
地元新聞の記事に小さく掲載されただけで大喜びだった父たち。
今思えば、あれは子供のため半分、バブルで華やかな成功を掴めなかった自分たちの「リベンジ」半分だったのかもしれない。
僕たちはどう受け止めて笑ったらいいのか戸惑っていた。
嬉しいような嬉しくないような…。
子供というスクリーンに、自分たちの夢を投影して興奮する。
それは少し歪で、けれど痛いほど純粋な情熱だった。
だが、そんな幻のような勝利の余韻が冷めやらぬうちに、現実は僕たちを待っていた。
翌日に行われた、父たち肝入りの『川島カップ』決勝トーナメント。
シード権まで用意してもらったのに。
僕たちは、あっけなく惨敗した。
聖火の熱狂が嘘のように冷え切ったロッカールーム。
うなだれる僕たち。
お膳立てをした父たちの落胆は、計り知れないはずだった。
けれど、父は静かに言った。
「下を向くな。君たちが今日勝ったのは、サッカーじゃない。『聖火リレー』だ」
子供たちは意味がわからず白けていた。
父は、僕の肩を叩いて笑った。
「目の前の勝ち負けより、貴重な経験ってあるんだぞ!」
■ ピンボケな情熱が照らすもの
その時は、父の言葉が負け惜しみにしか聞こえなかった。
聖火リレーはサッカーじゃないし、僕は試合に勝ってみたかった。
けれど、四半世紀が過ぎ、当時の父たちと同じ年齢になった今、あの言葉が胸に刺さる。
父たちが僕らにくれたのは、勝ち星という結果ではなかった。
「自分たちは特別な存在なんだ」という、一瞬の、けれど強烈なライトだ。
朝四時半のヘッドライト。
市長が微笑んだ一九九八円の募金。
空へ飛んでいった束の風船。
あれは、バブル崩壊後の閉塞感の中で、父たちが懸命にかき集めた「光」だったのだ。
できの悪い子供たちにも、そしてパッとしない自分たちの人生にも、スポットライトを当てたい。
その手段が、たまたまサッカーで、たまたま聖火リレーだっただけだ。
それが「子供のための愛」だったのか、「親の自己満足」だったのか。
今となっては区別がつかないし、どっちでもいいと思う。
あの朝焼けのグラウンドで、僕らがボールを追いかけた記憶は、確かに輝いているからだ。
父たちが無理やり灯してくれた聖火の炎は、四半世紀経った今も、僕の心の中で小さく、けれど仄かに燃え続けている。
たとえそれが、少しピンボケした幸福だったとしても。
もうソウ太郎
