写真を破られても歌い続けた親父の、切ない本当の理由『のど自慢』
うちの親父の写真は、ある日突然、この世から消えました。
お袋がアルバムからひっぺがし、ビリビリに破り捨てたからです。
「さあ、あんたたちも破りなさい」と、ぼくと妹も共犯者にさせられて。
原因は、親父の底抜けの明るさでした。
御柱祭だ、びんずるだと聞けば、仕事や家族なんて放り出してお祭り男の血が騒ぐ。両足が攣るまで踊り狂う。
夜な夜なカラオケバーに通っては、上機嫌で帰ってくる。
そんな親父の自由さが、生活を守るお袋には許せなかったのでしょう。
写真が紙吹雪みたいに舞ったあの日、ぼくたちの家から「親父の笑顔」は消えたはずでした。
ところが、親父はめげません。
写真なんてなくたって、俺はここにいるぞと言わんばかりに、またカラオケバーに通い詰めました。
ある日、酔っ払った顔で帰ってきた親父が、とんでもないことを言い出しました。
「NHKののど自慢に出るぞ」
行きつけの店のママに、「あら、お父さん上手ねえ」なんておだてられたのを、真に受けたらしいのです。
お袋は、もう呆れて膨れっ面。
「いい恥さらしだよ」なんて毒づいていました。
結果は、案の定の予選落ち。
NHKの鐘は、親父のためには鳴ってくれませんでした。
でも、物語はここでは終わりません。
転んでもただでは起きないのが、うちの親父です。
今度は地元の深夜テレビのカラオケ番組に出場することになったのです。
放送日の夜、ぼくたちは眠い目をこすりながら、テレビの前に座らされました。
画面の向こうには、いつもより少し緊張した面持ちで、マイクを握りしめる親父の姿がありました。
曲は、森進一の『おふくろさん』。
イントロが流れ、親父が歌い出しました。
ぼくたちは、初めて親父の「本気の歌声」を聴きました。
正直、上手いのかどうかはわかりません。
でも、その声には、ただの酔っ払いの鼻歌とは違う、何か切実な響きがありました。
そういえば、親父はよく田舎に残してきた自分のお母さんの話をしていました。
若い頃に家を出て、苦労をかけたこと。
もう二度と会えないかもしれないこと。
浮ついたお祭り男だと思っていた親父の胸の奥には、誰にも見せない「後悔」や「慕情」が、ずっと渦巻いていたのかもしれません。
コンクールに落ちても、お袋に写真を破られても、決してめげずに歌い続ける姿。
誰に理解されなくても、自分の思いを大切にして、声を張り上げる姿。
ぼくは画面の中の親父を見て、「まんざら、悪い男でもないな」と少しだけ見直していました。
ふと横を見ると、お袋がいました。
さっきまで「恥ずかしいから見ない」と言っていたのに、じっとテレビを見つめています。
その顔は、少し赤らんでいて、なんだか照れくさそうでした。
「……ま、ちょっとは歌が上手いんだよね、この人」
お袋はぼそりと、ぼくたちに言い訳するように呟きました。
破り捨てた写真の代わりにはならないけれど、その言葉は、親父にとっての一等賞だったのかもしれません。
明日の11日は、そんな親父の15回目の命日です。
15年経っても、親父はあの調子で、向こうの世界のカラオケバーでマイクを握っている気がします。
両足が攣るまで踊って、誰かに写真を破られそうになって、それでもガハハと笑って。
ねえ親父。
今夜は夢の中でいいから、もう一度あの『おふくろさん』を聴かせてくれないか。
今ならぼくも、お袋も、素直に拍手を送れると思うんだ。
もうソウ太郎
