実は『ひらやすみ』の奥にあった、廃棄された「自分」の顔を29年後に掘り起こした奇妙な話。
NHKの夜ドラ『ひらやすみ』を、何気なく観ていた。

すると画面の端に、ふっと、見覚えのある空間が映った。
あ。
声になる前に、心臓の奥が小さく反応した。
29年前、僕が通っていた美大の校舎だった。

それだけのはずなのに、
記憶の底に沈めていた「重たいもの」が、ゆっくり浮かび上がってきた。
◇
僕は、卒業制作で「顔」を作った。

当時の僕にとって、それはほとんど通過儀礼だった。
テーマは、「自我の膨張」。
僕が作ったのは、
巨大な、人の「顔」だった。
モデルは特別な誰かじゃない。
地方から出てきた、
どこにでもいる、若い男の顔。
つまり、僕自身だ。

発泡スチロールを削り、
ペンキを塗り込み、
輪郭を整えながら、
「普通」であることから、必死に逃げようとしていた。
この顔は、
内側から、どんどん膨らむ。
自意識で、自己顕示欲で、
「自分は特別だ」という願望で。
そして最後には、
耐えきれなくなって、破裂する。

スーパーミラクル桃尻ファイヤー
救いはない。
成長もしない。
ただ、壊れて終わる。

今思えば、
若さ特有の「自意識」という猛毒を、
そのまま物質に変換しただけの作品だった。
✴︎✴︎
誰にも見られず終わった。
※大雪で客足が極端に少なかった
講評会では、ブリーフ一枚で作品を壊す(すでに壊れていたが)パフォーマンスをやったが色んな意味で寒がられた。(痛い)

評価も、話題も、影響力もない。
巨大だったはずの「顔」は、
役目を終えた途端、
ただの「GOMI」になった。
文字通り、
僕の自我は、ゴミ捨て場に運ばれた。
あれほど「自分」を詰め込んだのに、
世界は、何も変わらなかった。
✴︎✴︎
「脳化社会」で勝手に破裂しただけ。
※養老孟司(参)
結局、自爆。
当時の僕は
「ああすれば、こうなる」という
分かりやすい成功ルートを信じすぎて、勝手に限界を迎えただけなのだと思う。
「小さな喜び」や
「何でもない日常」を、
僕はただの「負け」だと思っていた。

(2000年8月)
だから、
自分を巨大化させるしかなかった。
◇◇
何も起こらなかった、その後。
卒業制作のあと、
僕の人生に、劇的な出来事は起こらなかった。
大成功も、大逆転もない。
ただ、
仕事をして、
家庭を持ち、
日常が続いていった。
それは、
あの巨大な顔が、
一番、拒否していた未来だ。


✴︎✴︎
廃棄された自分へ
今でも僕は、
自分を少し冷めた目で眺めてしまう。
「ああ、また自意識が膨らみかけてるな」
なんて。
でも、それでいいのだと思う。
あの巨大な顔が、
誰にも記憶されず、
何の意味も残さなかったからこそ、
今の僕は、
「何でもない日常」を、
ちゃんと生きていられる。


『ひらやすみ』の背景に映った母校を見て、
心が温かくなったのは、
あの破裂した顔も、
あの廃棄された自分も、
まるごと含めて
「それでよかった」と
言われた気がしたからだ。
✴︎✴︎
もし、
あなたの過去にも
「今思い出すと、少し痛い作品」や
「黒歴史みたいな自分」がいるなら、
たぶん、それは
ちゃんと生きてきた証拠です。
巨大じゃなくていい。
意味なんてなくていい。
膨らんで、
壊れて、
残らなかったものたちが、
今の私たちを支えている。

🌱草の根クリエイター
もうソウ太郎
