【1話読切】ハレー彗星が落とした見栄と嘘『ピンボケの幸福論10』
ぼくが小学校5年生だったあの頃、日本中がちょっとした熱に浮かされていました。
百貨店に行けば双眼鏡や望遠鏡が飛ぶように売れていて、コンビニやスーパーでは「ビックリマンチョコ」が社会問題になるほど売れていた。
チョコを近所の川に捨ててシールだけ集めるような悪いやつもいたし、公園に行けば、エアガン片手に『あぶない刑事』のタカとユージになりきって撃ち合うやつらで溢れていました。
そんなふうに、目先のキラキラしたものに夢中だったぼくたちが、めずらしく夜空を見上げていた時期でもあります。
ハレー彗星が、地球にやってくる。
76年に一度の奇跡だなんて言われて、大人も子供も、空を見上げてはソワソワしていました。
うちの親父はカメラが好きで、「俺は星の写真も撮れるんだ」なんて、ふだんから豪語していました。
でも、ぼくは薄々気づいていたんです。
親父の言葉には、いつも少しだけ「見栄」が混じっていることに。
ある日、友だちに「お前のお父さん、大学出てるの?」と聞かれたことがありました。
「大学?」
意味がわからなくて、家に帰ってそのまま親父に聞いたんです。お父さんって大学出てるの、って。
すると親父は、当たり前だろ、という顔をして言いました。
「もちろん、ふたつ出てるよ。ラーメン大学と、パチンコ大学かなあ」
ぼくはそれを本気にして、しばらく友だちに自慢げに話していました。「うちの親父は大学をふたつも出てるんだぞ」って。
友だちがなんでケラケラ笑っていたのか、その意味を知ったのはずいぶん後のこと。
お袋がこっそり教えてくれたんです。「お父さんは定時制高校の出身だよ」って。
あの冗談は、学歴偏重の社会で息苦しく生きてきた親父なりの、精一杯の強がりだったのかもしれません。
そんな親父が、「ハレー彗星を撮りに行くぞ」と言い出しました。
近所の公園に三脚を立てて、一眼レフを据える。
いよいよ親父の凄腕が見られるのかとワクワクしていたら、彼は急に照れくさそうに頭をかいて、こう言ったんです。
「父さんは子供の頃から星なんて見たことないから、どこに星があるかもわからんし、ハレー彗星がなんなのかも知らん。お前に撮り方を教えるから、お前がやってみろ」
ズコッとなりましたが、教えられた通りにやってみることにしました。
シャッタースピードを遅くして、じっと待つ。
暗闇の中で、親父と二人、白い息を吐きながら。
数日後、現像された写真を見て、ぼくは「おっ」と思いました。
星やハレー彗星が、夜空をまたぐように、光の線となって写っていたからです。
動いている星を捉えた、すごい写真だと思いました。
意気揚々と学校へ持っていきました。
ところが、です。
同じようにハレー彗星を撮ってきた友だちの写真を見て、ぼくは言葉を失いました。
そこには、図鑑で見るような、くっきりと止まった美しい彗星が写っていたんです。
見比べると、ぼくの写真はただの手ブレ写真みたいで、どうしようもなく酷いものに見えました。
ぼくは、そのとき、とっさに嘘をつきました。
「これ、うちの親父が撮ったんだよ。下手くそだろ?」
当時、ぼくはレアなビックリマンシールを持っていたり、近所で誰も入っていないサッカークラブに入っていたりして、仲間内ではちょっと「イケてる」ポジションにいたんです。
そのちっぽけなプライドを守るために、ぼくは親父を売ったのでした。
親父は、見栄っ張りでした。
でも、今になって思えば、ぼくも正真正銘、その親父の息子だったわけです。
ハレー彗星は、ぼくたちのそんなちっぽけな見栄や、小さな嘘なんてどこ吹く風で、さらりと地球のそばを通り過ぎて行きました。
あの光の帯がぼくたちに届けたのは、珍しい天体ショーの記憶なんかじゃなくて、
「お前も、弱い人間に育ったなあ」という、どうしようもない事実だったのかもしれません。
次にハレー彗星が来る頃、ぼくはもうおじいさんになっています。
そのとき、ぼくは誰と空を見上げているんでしょうか。
もし、隣に誰かがいたら、今度は見栄を張らずに言いたいものです。
「昔、親父とこれを撮って最高な思い出になったけど、写真はもう何処かにいっちゃたんだよな」って。
あの下手くそなピンボケ写真が、今は妙に見たくなるのです。
もうソウ太郎
