【受賞御礼】『ピンボケの幸福論〔解説〕』の裏側にある、父の本当の願い。
おかげさまで、私のエッセイ『ピンボケの幸福論』が、このたび賞をいただくことになりました。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
この作品は、進行性の目の病を患いながらも、なぜか執拗に家族写真を撮りたがった、亡き父との思い出を綴ったものです。
記事への「スキ」や温かいコメントをいただくたびに、天国の父も照れくさそうに、でもきっと「ピンボケした笑顔」で喜んでいるのではないかと思います。
今日は、受賞の御礼として、このエッセイには書ききれなかった「父の真実」について、少しだけお話しさせてください。
カメラは「写す道具」ではなかった
作中で私は、運動会で走る私の真横まで入り込んでくる父に対し、「自分は特別な存在だ」と子供心に勘違いしていたと書きました。
しかし、大人になった今、あれはあながち勘違いではなかったのかもしれない、と思うのです。
父の写真は、ほとんどがピンボケでした。
現像された写真に写っているのは、判別できないほどボヤけた誰かの姿。
「記録」としての価値は…。
けれど、父が本当にしたかったことは、「記録」ではなかったのだと、ようやく気づきました。
カメラを構えると、人は立ち止まります。
「こっちを向いて」と言えば、散らばっていた家族や友人が、父のもとへ集まってきます。
そして、レンズの向こうの父に向かって、みんなが笑顔を向けるのです。
父にとってカメラは、景色を切り取るための機械ではなく、愛する人々を一箇所に集め、魂を通わせるための「魔法の道具」だったのではないでしょうか。
目が悪くなり、物理的な距離感がつかめなくなっていた父にとって、ファインダーを覗くその瞬間だけが、大好きな人たちの視線を一身に集め、その息遣いを間近に感じられる、確かな「焦点」だったのかもしれません。
「ガンになってよかった」と言える強さ
父は、自分に降りかかる不運や障害を、嘆く人ではありませんでした。むしろ、それを独自の解釈でプラスの力に変えてしまう名人でした。
目の病気が進行し、視界が奪われていく中でも、父はカメラという武器を使って、私たちとの距離を縮めました。
見えないからこそ、近づく。
ピントが合わないからこそ、心の距離を合わせる。
そうやって、父は障害を「不幸」ではなく、「新しい関わり方のきっかけ」へと変換していったのです。
晩年、父はガンを患いました。
闘病生活は決して楽なものではありませんでしたが、それでも父は、私の前で何度もこう言いました。
「ガンになってよかったよ」
強がりでもなんでもなく、本心からの言葉でした。
病気になったからこそ、家族と過ごす時間の尊さを知れた。
会いに来てくれる人の優しさに触れられた。
父は、失うことの恐怖よりも、その状況だからこそ得られる「温かさ」に目を向けていたのです。
ピントの合わない幸福論
私たちはつい、人生において「鮮明な正解」や「ハッキリとした結果」を求めがちです。
失敗しないように、道に迷わないように、きれいにピントを合わせようと必死になります。
けれど、父の生き様が教えてくれるのは、「少しくらいボケていても、人生は十分に幸福である」ということです。
上手くいかないことや、思いがけない不運、身体的なハンデキャップ。
それらは時として、私たちを苦しめます。
しかし父のように、それを「人を集めるきっかけ」や「愛を知る機会」だと捉え直すことができたなら、ピンボケの写真は、どんな高画質の写真よりも雄弁に、愛を語り始めるのです。
私が書いた『ピンボケの幸福論』。
それは、父がその生涯をかけて私に残してくれた、不器用で、最強の生きる知恵でした。
このエッセイが、今、何かに悩み、視界がぼやけてしまっている誰かにとって、小さな「光」となれば幸いです。
これからも、父の遺したこの「幸福論」を胸に、言葉を紡いでいきたいと思います。
このたびは、本当にありがとうございました。
もうソウ太郎
noteコンクールで受賞した作品
『ピンボケの幸福論1〜8』その他
