ピンボケが本物を超える? 腕立て伏せ先生が教えてくれた幸福論
「正解」を写しとることだけが、世界のすべてだと思っていた。
でも、その先生はアトリエの隅っこで黙々と腕立て伏せをしながら、
僕のそのちっぽけな信仰を、
ドリルで空けた「ただの穴」から軽々と吹き飛ばしてしまったんだ。
これは、僕が「ピンボケ」の本当の凄さを知った、ある夜の話。
田舎から出てきたばかりの僕は、いま思うと完全に洗脳されていた。
「藝大に入ることこそが、アーティストとしての唯一のスタートラインだ」と。
来る日も来る日も、石膏像やヌードモデルと睨めっこ。
いかに本物そっくりに描くか。
いかに「正しく」写し取るか。
僕らは、その競争に明け暮れていた。
それが美術の基礎だと信じて疑わなかったし、その窮屈な世界観に、ある種の快感さえ覚えていたんだと思う。
けれど、結果は正直だ。
僕のデッサン力は劇的な伸びを見せることもなく、手に入れたのは藝大の合格通知ではなく、
ある美大への「補欠合格」という
切符だった。
でも、そこで僕は出会ってしまった。
僕の「正しさ」を根底から揺さぶる、とてつもない光に。
大学の講師だった『市川平』という男。
講義の時間だというのに、
学生には自分の好きな映画の話ばかりして、飽きるとアトリエの隅っこでフーフー言いながら腕立て伏せを始める。
「アーティストには体力がいるから」
なんて言って。
そんな、つかみどころのない先生が作った作品を見たとき、僕は言葉を失った。
無数の三角形の鉄板を、荒々しく溶接で繋ぎ合わせた巨大な物体。
その鉄の塊には、ドリルで空けられた無数の穴があり、そこからエメラルドグリーンの光が漏れ出していた。
水銀灯の強烈な光が、鉄の重さを消し去り、そこにはSF映画のような、あるいはプラネタリウムのような、見たこともない「夜空」が広がっていたんだ。

一人で作ったとは信じがたい労力と、鉄の冷たさ。
それなのに、そこから漏れる光は、なぜか泣きたくなるほど温かい。
僕は、腕立て伏せを終えた先生に恐る恐る聞いてみた。
「先生、あの穴の配置は、なんの星座なんですか?」
僕の頭の中には、まだ「正解(星座)」を写し取ることへの執着があった。
先生は汗を拭きながら、あっけらかんと言った。
「星座? 知らないよそんなの。ただランダムに空けただけ」
ガーン、と頭を殴られたような気がした。
僕は必死に、空にある星の配置を「模写」しようとしていた。
でも、この人は、適当に、ランダムに、自分の感覚だけでドリルを突き立てて、本物の夜空よりも美しい宇宙をここに作り出してしまった。
僕が信じていた「リアル」って、一体なんだったんだろう。
正確に写すことよりも、ピントがずれていても、ぼんやりしていても、人間の「認知」の奥底にあるスイッチをパチンと押してしまう。
そんな「ピンボケのイメージ」のほうが、よっぽど本質を突いていることがある。
市川先生の作品が放つ光の中で、
僕は自分の脳みそが、少しずつ、
でも確実にアップデートされていく音を聞いた気がした。
正確さなんて、
カメラに任せておけばいい。
僕たちがやるべきなのは、嘘でもいいから、誰かの心に本物以上の光を届けることなんだ。
あの夜のエメラルドグリーンの光は、
今も僕の「ピンボケの幸福論」の原点として、心の奥で静かに輝き続けている。
もうソウ太郎


