【つぶやき】 今の時間
いま、九大病院に来ています。
妻、カーナさんの定期検診の為です。
症状はある程度落ち着いてきたものの、ステロイドの副作用など悩みは尽きません。
週明けの月曜日。
本日の外来予定数は2,820名と表示されています。
日によっては3,000名を超えることもあるそうで、1階の会計待ちエリアには老若男女、さまざまな人が行き交っています。
待ち合いのソファで、ふと周囲をウォッチしていました。
特に印象的だったのは、元気いっぱいの小さな男の子と、それを叱るお母さんの姿です。
お母さん自身の受診らしく、退屈した男の子は病院内を1階から5階まで探検して叱られた様子。
もしお母さんが健康なら、今頃は友達とゲームでもしていたのでしょう。
自分の時間を削ってここにいる子のソワソワした気持ちも、どこか理解できます。
これまでは「付き添う人はみんな、患者を心配して思いを一つにここにいる」と思っていました。
けれど、じっくり観察してみると決してそればかりではありません。
仕方なく付き添っている様子の人、付き添われながらも気まずそうな人。
この病院だけでも2,820名の数だけ、病気との向き合い方や「時間を共有する理由」があるのだと気づかされます。
今日は妻の容態が比較的落ち着いているからこそ、こうしてnoteに向き合い、病院という場所のドラマに思いを馳せることができています。
私達は当たり前のように
病気になれば病院へ
お腹が空けば飲食店へと向かいます。
そこに携わる人々の情熱や思いに助けられて成立している社会に身を置いているのだと改めて気付かされます。
今の時間。
こうしている今も。
隣にいるひと(身近な人々、見知らぬ誰か)が費やしている時間に私たちは支えられている。
同じ空気を吸っている。
アナタの為に汗をかいている。
とも言えるでしょうか。
社会を回しているこの時間は
地震が起きた 混乱の度合いを報道で見るたびに
自宅の被害を愁い避難している方々を想像する度に
今、こうして静かに流れる時間を生きている。
私は 今の、この時間の使い方は
本当にこれで良いのだろうか――と、深く逡巡してしまうのです。
( ¯−¯ ) 無糖 缶 2026.0803
