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沖縄が生んだ安室奈美恵

その昔、世間を賑わせていた沖縄アクターズスクールというのがありました。その昔と言っても1990年代のことです。まず最初かと思われるのはSUPER  MONKEYSといって、現在引退してしまった安室奈美恵とMAXの5人編成のダンスグループだったような。私が知ってる彼女たちの楽曲は「愛してマスカット」というタイトルだけです。そうこうしているうちに5人がデビューしてすぐ、安室奈美恵とMAXの4人に枝分かれしてしまいた。なぜそんなことが起こったのか私にはまったくわかりませんでした。
 
なので調べてみたところ、かなり複雑な事情があったようで、私にはなぜ安室奈美恵とMAXが別れてしまったのか、詳しくお伝えできる能力がありません。申し訳ない限りです。よーく熟読すれば理解できるのかもしれませんが、私もそこまで暇ではないのでごめんなさいとしか言えません。

そして、安室奈美恵についてですが、彼女のデビュー曲はてっきり「BODY  FEELS EXIST」だと思っていたのですが、「太陽のSEASON」という私も聞きなじみのない曲だったのでした。それからあの小室哲哉プロデュースにより、彼女の出す曲出す曲が飛ぶように売れ(当時はCDだったため)、安室奈美恵にあやかって彼女の服装や髪型をまねた「アムラー」と呼ばれる若い女子たちが新宿や渋谷を闊歩(かっぽ)していたのです。

「アムラー」と言う言葉は当時流行語大賞にもなり、社会現象にもなっていた記憶があります。そして彼女は芸能界入りして数年経った後、これも小室哲哉プロデュースのtrfの一員でダンサーのSAMと結婚。確かできちゃった婚だったと思うのですが、結婚発表の会見のときにあむろちゃんが着ていたバーバリーのチェック柄のスカートが激売れして、カルティエの結婚指輪も大バスりしたのです。
 
そして彼女は子育てのためにいったん歌手活動を休止し、2、3年後かに結婚式の定番曲「Can  you  celebrate」で芸能界に戻り活動を再開。その後も順調に曲をリリースしていましたが、しばらくして突然のSAMとの離婚発表。おそらくSAMはあむろちゃんに家庭のほうを重視してほしいと思っていて、でも彼女は自分の仕事にも力を入れていきたいという、両者の意向の食い違いで離婚に至ったのだというのが私の見立てです。2人の子供の親権はSAMでした。

そしてフリーになった安室奈美恵は、小室哲哉ばかりでなく他の音楽家からプロデュースされることも増え、数々の名曲を残しました。でも私はこんなにも安室奈美恵の過去を記しているくせに、特にファンでもないし小室ファミリーの中でいえばちょっとは好感を持っていただけの一般市民なのです。なのになぜ私は安室奈美恵の記事を書いているのか自分でもわかりません。しかも親しげにあむろちゃんなんて書いてるし。

どうしてだろう、と考えてみたところやはり安室奈美恵という存在はカリスマ要素を持っていたからだと思います。海外でライブをしていた草分け的な人物だったからというのもあるし。彼女も日本の芸能界、特に音楽界を彩った女性のレジェンドなのだと思います。



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