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ホリガー/ケルンWDR交響楽団によるシューマン/管弦楽作品全集 VOL. Ⅴ


ホリガー/ケルンWDR交響楽団によるシューマン・プロジェクト第5集。ウェーバー以来のコンツェルトシュテュック (協奏的作品) を4曲収録している。前作VOL.Ⅳでも登場したコパチンスカヤ (vn) にアレクサンダー・ロンクィッヒ (pf) が加わり、4人の選ばれし勇者たち (4horns) がラストを飾る。ロンクィッヒはECMレーベルに「シューマン/クライスレリアーナ&ホリガー/パルティータ」の録音を残していて、当プロジェクトに適任のピアニストといえる。



教則本で有名なブルグミュラーの弟ノルベルトの交響曲第2番をロンクィッヒは取り上げている。26歳で夭逝した彼をシューマンは心から悼み、この未完の交響曲を補筆完成したそうだ。

メンデルスゾーン/葬送行進曲イ短調Op.103。ノルベルトに捧げられている。

ロンクィッヒによるシューマン/クライスレリアーナ&ホリガー/パルティータより。後者はアンドラーシュ・シフに献呈されている。


シューマンにおけるピアノやチェロ、ヴァイオリンの3つの主要な協奏曲の影に隠れてしまいそうな、これらの協奏的作品の魅力に改めて気づかされる当アルバムだが、その点でジャケットの絵画が示唆的なのだ。

赤い服の女性が何かしら指差している。その方向は道の外れ、その先は「崖」にも見える。よく見ると小さな赤い花たちが咲いている。普段は気づかない。少し危険な場所だ (女性の左手はしっかりと木を掴んでいる) 。「そこでしか」見られないものがある―シューマンの作品もそうなのだ。幸い、僕たちは危険を冒さずに済みそうだが。

ちなみにこのフリードリヒの絵画を調べてみた―全体画がこれである。

フリードリヒ/「リューゲン島の白亜岩 (1818-19)」。やはり「崖」だった―ジャケットが左側の女性にクローズアップしていたことがよくわかる。



アルバム1曲目は「ピアノとオーケストラのための序奏と演奏会用アレグロ ニ短調Op.134」。1853年に作曲され、妻クララの誕生日 (共に祝った最後の時となった) に捧げられたこのコンサート・ピースをクララは「ロベルトが書いた最も輝かしい作品の一つ」と評したといわれているが、同じ年の秋、運命的ともいえるブラームスとの出会いがあったことから、彼に献呈されることとなった。この作品がブラームスにどんな影響を与えたかは定かではないが、彼の最初のピアノ協奏曲は同じニ短調であったことはよく知られた事実である―そして未完に終わったシューマン最初のピアノ協奏曲 (1839) も「ニ短調」であった―。シューマンの死後、この作品を演奏しなくなったクララとは異なり、ブラームスは「 Op.131とともに私が最も愛する彼の協奏曲」と愛着を隠さず表明し、自ら演奏し続けたという。後の自身の2曲のピアノ協奏曲に少なからず影響を与えたことに間違いはないだろう。

シューマン/ピアノ協奏曲ニ短調断章。図らずも小協奏曲の姿で遺されている。

1847年に手がけたものの、未完に終わったクララ・シューマン/ピアノ協奏曲ヘ短調断章。


Op.134は後期シューマンの重厚さと渋さが際立つ作品で、後述するOp.92より後に書かれたにも関わらず古臭さを感じるが、不思議な親しみやすさが同居する作品でもある。序奏では弦のピツィカートに導かれてピアノが静かに弾き始める―実にいい雰囲気だ (ライナーノーツでは「セレナーデのようだ」と紹介されている)。オーケストラが高揚してアレグロ部分に入り、暫くすると日本人なら誰もが知っているフレーズが登場する―山田耕作氏本人に聞かせてあげたいくらいのメロディだ。これが「親しみやすさ」の要因か-。しかも何度も繰り返し登場するので、強く印象に残る (シューマンがどうやってこの楽想を得たのか、本人に聴いてみたい) 。後半には全曲の4分の1を占める長いカデンツァが用意され、木管&金管による穏やかなコラール風の経過部を経て、スケールの大きなコーダへと至る―この曲設計もまた伝統や古典性を感じさせる理由かもしれない。シューマンの他の協奏的作品とは異なり、管弦楽との融合ではなくピアノの方に比重が置かれているのは、逆説的に当時の一般的なピアノ協奏曲の印象そのものであった。

ソロを担当するロンクィッヒのピアノはしっとりとした感触で、ハイセンスな印象。地味な作品の中で一際キラリと輝く存在となっている。オーケストラもじっくり誠実に取り組んでいるのが伝わってきて、ホリガーのシューマニアーナぶりを感じさせる熱演となっている。

当盤音源より。15分強かけて、じっくり丁寧に取り組んでいる。

かてぃんによる「赤とんぼ」のジャズ・ヴァージョン。渋谷Living Roomライブでの演奏。

桂三枝の創作落語「赤トンボ」。お後がよろしいようで―。



2曲目は「ヴァイオリンとオーケストラのための幻想曲ハ長調Op.131」。Op.134の完成後すぐに作曲に取り組んだそうで、イ短調による序奏とハ長調による主部に分かれている点でも似た形式を持つ。ヨアヒムに献呈されたこの作品は、あの遺作のヴァイオリン協奏曲ニ短調とは異なり、歓迎と好評を博したと伝えられている―ヨアヒム自身もヴァイオリン協奏曲の演奏は諦めてしまったが、この幻想曲は演奏し続けたようだ。

シューマンが書く「幻想曲」は (幻想小曲集も含めて)「イ短調-ハ長調」の調性が遥かに多い。それは言うまでもなく「クララ」の調性であるからだろうが、この作品に関してはシューベルトの姿が思い出される―さすらい人幻想曲やヴァイオリン&ピアノのための幻想曲は「ハ長調」である―。小協奏曲の類に入る作品ながら、この曲だけ「幻想曲」と命名したのにはシューマンなりの思い入れがあるのかもしれない。

演奏はまさに幻想的で憂いのあるオーケストラの開始ののち、コパチンスカヤの個性的なソロが切り込んでくるが、ヴァイオリン協奏曲での演奏よりもおとなしめに感じる。途中でヴァイオリン協奏曲の各楽章を思わせるフレーズが出てくるのは興味深い。長調のフレーズは晩年の彼の作品によく聞かれる「曇りがかった青空」のような明るさと不可思議な躍動感を感じる。気まぐれに思いついたかのような印象の音楽が続いてゆくが、何かしら構成が存在するのだと思う (一応ソナタ形式らしい) 。終盤には―ヴァイオリン協奏曲にはなかった―カデンツァが用意され、思いのほか力感がこもるコーダへと至る。

当盤音源より。オーケストラの幽玄な伴奏とソロの繊細さが絶妙だ。

こちらはヴァイオリン&ピアノ版。よりシューベルト作品への接近を感じる。

シューベルト/幻想曲ハ長調D934。シューマンは知っていたのだろうか?



3曲目は「ピアノとオーケストラのための序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調Op.92」。ドレスデン時代の1849年に作曲、Op.86と同時期の作品となる―ある評者によると、シューマンの協奏曲作曲の周期は4年おきだという。4年前にはピアノ協奏曲Op.54が、そしてOp.92の4年後にはOp.131&134が作曲されているのである。彼独自の生体リズムなのだろうか?大変興味深い―。この作品では序奏がト長調でまさに牧歌的で穏やかなメロディがあふれている (ホルンが印象的)が、主部はホ短調となり、荒々しい情熱が迸る―ライナーノーツでは前年の「4つの行進曲Op.76」との関連 (つまりドイツ革命) が指摘されている。ここでもやはりホルンの扱いが印象に残り、ブラームス/ピアノ協奏曲への接近を感じさせる。前2曲にはカデンツァが備えられていたが、Op.92には用意されていない。

当演奏では再びロンクィッヒがソリストとして登場。やはり冒頭、しっとりとしたピアノで分散和音を奏でるのが素敵だ。そこにホルンが応え、オーケストラが加わり、ロマン的な雰囲気が充満する。経過部を経て「Allegro appassionato」になると途端にオーケストラが情熱的に起動する-この時期シューマンは劇音楽「マンフレッド」を作曲中だった。暗い情熱の発端はそこかもしれない-。時折カデンツで共々疾駆する箇所はあるが、全体的には落ち着いて丁寧に叙情を紡いでゆく。弦楽セクションの立体的な刻みに気づかされる箇所があり、新鮮だ。Op.134より起伏が豊かでロマンティック、その分わかりやすいかもしれない。音色のパレットも豊富で、ソロとオケのパートも緊密に動く。時折ピアノ協奏曲のカップリングに選ばれることがあるが、この完成度からすれば当然かもしれない。

このアルバムでホリガーがあえて (地味な) Op.134を冒頭に取り上げ、丁寧な演奏で聞かせたのには強い拘りを感じる。そしてやはり地味なOp.131を経て、比較的知られているOp.92をこれまた丁寧な演奏で聞かせるホリガーに感服させられる。

こちらも当盤音源から。16分かけ、じっくりと。

4つの行進曲Op.76~第2番ト短調。リヒテル盤で。




4曲目最後は「4つのホルンとオーケストラのためのコンツェルトシュテュック ヘ長調Op.86」。シューマン自身「非常に奇妙な作品」と述べたという―それだけ創作意欲が旺盛だったというべきか。同時に「私の最高傑作の1つ」とも語っていたという。同時期にこの作品と関連のあると思われる、ホルンとピアノのための「アダージョとアレグロ」Op.70やホルン四重奏と男声合唱のための『ラウベの「狩の日記」から5つの歌』Op.137も手掛けていることから、作曲の周到さを感じる-ホルンを巡る一連の作品の先には (ナチュラル&ヴァルブホルンをそれぞれ2本ずつ計4本用いた) 交響曲第3番「ライン」が待っている-。音楽学者によれば、Op.86作曲の2年前にバッハがヴィヴァルディ作品を編曲した「4台のチェンバロのための協奏曲」を研究していたとのことなので、その影響ではないかともいわれることがある。だからだろうか、ピアノ協奏曲版も存在するそうだが、インパクトは無論こちらの方が上で、非常に聞き応えがあると思う。

事実このアルバムで取り上げられたどの作品よりも一番規模も構想も大きい。全3楽章形式で演奏タイムも20分に迫る。だから何故シューマンが「協奏曲」と考えなかったのかが不思議なくらいだ (規模や特徴からして同時期のチェロ協奏曲に近い印象)。19世紀当時、複数のソリストによる協奏曲作品は極めて稀であり、むしろ時代に逆行するものだっただろう―バロック時代の合奏協奏曲や古典派の協奏交響曲を思わせる―。しかも、4人のホルン奏者が一堂に会する作品は類例がなく、それだけでも存在価値は高い。そして演奏の難易度もべらぼうに高く、演奏可能音域ギリギリまで迫る音が要求されているのだ-特に第1ホルンがそうで、2人で分担することもあったらしい。当時最新のヴァルブホルンの使用が念頭に置かれている―。当アルバムではケルンWDR交響楽団の中から4人の奏者が選ばれ、一糸乱れぬ吹奏を見事にこなし、完璧なハーモニーを聞かせてくれる (初演当時もゲヴァントハウス管弦楽団在籍の4人のホルン奏者たちが演奏したという) 。ちなみに第1ホルンは首席ホルン奏者が務めている-ライナーノーツには感謝の表明であろうか、4人の顔写真とプロフィールが載せられている。

同じメンバーによるライヴ。データからすると当盤録音から1ヶ月後のライヴのようだ。この種の音楽は映像で観るとなおのこと感銘深いものがある。


オーケストラによる2つの和音を合図に始まる第1楽章-その直後の4本のホルンによる圧巻のファンファーレからしてワクワクさせられるが、直ぐに奥ゆかしい音楽となるのがシューマンらしい。それでも展開部に相当する箇所ではオーケストラとホルンたちが対峙&応答する場面があり、協奏曲の醍醐味を味わわせてくれる。数々のコンツェルトシュテュックを取り上げた当盤の最後にこの曲を配置する選曲の妙!まさにアルバムのクライマックスを飾るに相応しい。

アタッカで繋がる第2楽章ロマンツェではニ短調となり、第4交響曲のロマンツェを思わせるシューマン特有のほの暗い叙情が周りを支配する。あるいはメンデルスゾーンの「イタリア」か (こちらも交響曲第4番)-そう思うと、2年前に急逝した彼へのオマージュにも感じられる。ホルンたちがとてもロマンティックかつメランコリックで、哀愁のコラールのようだ。フィナーレへの短いブリッジ部分ではトランペットが信号を発し、オーケストラを憂いから目覚めさせる。

アタッカで第3楽章に繋がると、俄然躍動感がみなぎり、音楽が疾駆し始める。第4交響曲フィナーレに似ているという指摘があるが、途中どこかで聞いたことのあるフレーズに気づく―それは (メンデルスゾーンが初演した) 第2交響曲のスケルツォ楽章のテーマだ。「こんなところでお会いできるとは」とついつい声をかけたくなる。これもまた「亡友」との思い出のひとこまか-。4つのホルンのオーケストラとの掛け合いや融合が聞いてて楽しい。コーダに向かって音楽は歩みを速め、ホルンたちは最後まで超絶技巧を駆使することになるが、一斉に咆哮するような派手さはなく、音楽に寄り添って終わりを迎える。

5つの歌Op.137~第4曲「朝」。ホルンと合唱は意外と相性が良い。

バッハ/4台のチェンバロのための協奏曲BWV1065。実に豪華。ミニマルな音の動きを楽しめる第2楽章が好きだ。

Op.86の珍しいピアノ協奏曲版をフランクル盤で。こちらが先だという説も。違和感どころか、実に聴かせる瞑想的な音楽となっている。ミニマル風のフレーズが引き立ち、ウェーバー作品への先祖返りを果たしているかのよう。



作曲年代を遡るかたちでシューマンの比較的珍しい協奏的作品を取り上げた、このアルバム―オーケストラの充実、ソリストの多彩さ、作品の奥深さを垣間見ることができて、十分満足できたCDであった。もしかするとツィクルスの中で一番かもしれない。

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