"今日は静かですね。"その一言を、私は今でも後悔しています。
デイサービスには、必ず一人はいます。
朝から職員より先に挨拶をしてくれる人。
レクリエーションでは誰よりも盛り上げ役。
冗談を言って周りを笑わせ、初めて来た利用者様にも気さくに話しかけてくれる。
そんな「ムードメーカー」の利用者様がいました。
送迎車から降りると、決まってこう言います。
「今日も一日よろしく!」
職員も自然と笑顔になります。
「○○さんが来るとデイが明るくなるね。」
みんながそう思っていました。
でも、その日だけは違いました。
送迎車から降りても笑顔がありません。
挨拶も小さな声。
いつもなら真っ先に新聞を広げるのに、その日は椅子に座ったまま窓の外を見つめていました。
職員が声を掛けます。
「○○さん、今日は静かですね。」
すると、その方は少しだけ笑って、
「そんな日もあるよ。」
そう答えました。
レクリエーションも控えめ。
昼食も半分ほど残されました。
体調を確認しても、
「大丈夫。」
血圧も熱も普段と大きな変化はありません。
だから私たちは、
「今日は疲れているのかな。」
そのくらいに考えてしまいました。
帰りの送迎でも、車内は静かでした。
家に到着すると、その方は車を降りる前に職員へ向かって言いました。
「今日もありがとう。」
たったそれだけ。
いつもなら冗談を言って笑わせてくれるのに、その日は深々と頭を下げて家へ入っていきました。
翌朝。
一本の電話が入りました。
「昨夜、急変して救急搬送されました。」
数日後、その方は静かに旅立たれました。
事務所は静まり返りました。
みんな口をそろえて言いました。
「何か気付けなかったのかな。」
「もっと話を聞けばよかった。」
「いつもと違うって分かっていたのに。」
介護の現場では、「元気な人」はつい安心してしまいます。
手が掛からない。
いつも笑っている。
だから後回しになってしまうことがあります。
でも、本当に注意しなければならないのは、「いつもと違う」その小さな変化なのかもしれません。
高齢者は、体調が悪くても「大丈夫」と言うことがあります。
周りに心配を掛けたくない。
迷惑を掛けたくない。
そんな思いから、本当のつらさを隠してしまう方も少なくありません。
だからこそ、私たちが見るべきなのは数値だけではありません。
血圧や体温だけでは分からない変化があります。
表情。
声の大きさ。
歩く速さ。
食事の量。
笑う回数。
そして、「いつもとの違い」。
介護は、変化に気付く仕事。
あの日の「今日は静かですね。」
あの何気ない一言を、私は今でも忘れることができません。
もし時間を戻せるなら、こう聞きたかった。
「○○さん、何かありましたか?」
「今日はゆっくりお話ししませんか?」
その数分が、その方にとって最後の会話になるとは、誰も思っていなかったのです。
今日もデイサービスには、たくさんの笑顔があります。
でも、その笑顔を「いつも通り」と決めつけないこと。
それが、介護職として大切な"気付き"なのだと、私はあの日から学びました。
