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創作をとめる「何か」

大好きな推しの瀬戸内note研究所さんがXでこうつぶやいていた。


お金なんて稼がなくても、好きな創作を好きなカタチでつくり続けられる世界がいいなぁって思ってますが、中々それだけだと話を聞いてくれない状況でもあります。

Xポストより一部抜粋

「好きな創作を好きなカタチでつくり続けられる世界」って言葉が、本当に推しらしくて良いなと思っている🌸

これには続きがあったのだけれど、その辺りも読みながら、自分の中にふとした疑問が生まれた。

「好きな創作を好きなカタチでつくり続けられる世界」にできない要因の一つとして、推しは今回のポストでは「資金的な制限」を掲げていて、
それも確かに多くの人にとっての制限の一つなのかもしれない。

でも、私はどうだっただろうか?

仕事が大好きで、収入もあって、その状況で、
「好きな創作を好きなカタチでつくり続けていなかった」のは、なぜなんだろうか。
今はこうして「好きな創作を好きなカタチで」つくっているのに。
何が違うのだろうか?

その部分を、無視してはいけないのだと思い、ちょっとだけ深く考えてみた。


さて、自己紹介から失礼します✨

瀬戸内note研究所】さんを通して「かく」楽しさを知り
検証ニキ|瀬戸内note研究所を研究します】さんに背中を押していただき、初めの一歩を踏み出した。
運命的に出逢った【とくさん@note】さんに交流すること・読まれることの喜びを教えていただき
一畳半の書斎(daisk3)】さんから、noteに小さな「ありがとう」を置く大切さを学んだ。
そして、今、【engawa】のメンバー【にこらこ】さんと【ポンタパパ】さん
たくさんの人に恵まれて、noteを書き続けている

分析ママ|0→1note研究所

です!🌸😌はじめまして⭐️
自己紹介のnoteをまだきちんと作っていないので、こちらをぜひご覧ください▼

私の推しは「瀬戸内note研究所」の「やまだくにあき」さんです。

活動理念はこちら▼(はじめてのnote先生ありがとうございます🌸)



最初の問いを真剣に考えてみる。現時点での自分の考え。

まず、「時間的な制約」があったことは間違いない。
教員という仕事をしていて、毎日、朝から晩まで働き、体調を崩すわけにもいかなかったから、無理をするようなことはできなかった。
その点において「時間」の制約があったことは間違いない。

でも、今も、「時間」の制約はあっても、無理をしてでも、それでも何かをカタチにしたいという強い想いがある。
家族だからちょっとばかり自分勝手なことも許される間柄だから、「自分の創作に没頭できる時間」があるというのはあるけれど、でも間違いなく、働いていた時とは違う感覚がある。

これはなぜなのか。

薄ぼんやりとあったのは、「イメージ」
教員という「イメージ」に対する責任感みたいなものがあった。
「芸術」は自己の思考や内面を外に強烈に発する。
そこには信条や理念みたいなものも当然含まれる。

公立学校の教師は、法律等にも記載があるように、「宗教」に関する内容についても正しい理解と行動が必要であると徹底して教えられた。

大前提としてこういった感覚があったから、「宗教」的な何かでなくても、「一個人の強い主義思想の垣間見えるもの」が、生徒や保護者の方々の目に触れた時、メリットだけでない多くのデメリットがあると感じていた。
実際には、そうではない場面も多いのだけれど、少なくとも当時の私は、そう感じていたと思う。
なので、そのデメリットが、「制作したい」という気持ちを超えることがなかったのだ。

大学の先生からはよく、「自分の作品を生徒に見せるのが良い」と言われていたが、少なくとも私が生徒に「自分の作品」を見せるときは、その作品をみた生徒が「何を感じ、どう成長するか」をしっかりと意識して制作した作品だった。つまりは、当時の私にとっての「作品」は「生徒の成長を促進するツール」の一つでしかなかったのだ。

そして、「作家」や「アーティスト」と名乗ることへの抵抗感があった。
「作家」として生きている人たちは、「教師」をして、お金を稼ぎながら制作を続ける人を下に見ている人もいた。
「その世界に身を置いていない人間」「覚悟のない人間」が「作家」を名乗るな!とでも言われているかのように感じたこともしばしばあった。

それに、魂が震えるような作品に出会ったときは、そんなこと言われなくても、全身全霊を込めて自分の人生の全てを賭けて作品を作れていない以上、軽々しく「作家」などと名乗るな!と自分が自分自身に言っていたと思う。

では、授業で、私は子どもたちを見てどう思っていたのか。

私自身は間違いなく、生徒一人一人を「作家」だと思っていた。


この矛盾を、どうすれば良かったのだろう。
当時を振り返ってみて、やっと少しずつ自分の中の感覚が見えてきた。

そんなことを今日、ぼんやりと考えていた。
そんな時に、この記事に出会った。

「個人がメディア化する」時代

上記noteより

まず、「個人がメディア化する」時代という言葉が、「誰でもクリエイターになれる」と思っていることや、教師をしていたとき、生徒一人一人が「作家」だと感じていたことと、非常に一致した。
さらには、記事の中にある動画から一部資料を抜粋させていただくと、以下の内容が非常に興味深かった。

ぜひ記事の中の動画を見てください!

メタバースという空間における、人類の革命について論じられていた。
私は、特に、この2つ目の「年齢・性別・肩書にとらわれない本質的なコミュニケーション」という点に、可能性を感じたのだと思う。

今noteで「分析ママ」という名前で活動していることによって、私は、ありとあらゆるしがらみからも解放されているのかもしれない。
「他者評価」との切り離しができるようになったのも、そういったことが原因の一つなのかもしれない。
だからこそ、「作家」と名乗るためのハードルを軽々とこえ、自分が「作家」と名乗れるようになったのかもしれない。
これまでと全く違う「かく」世界にきたばかりなのに、
本を出したいなんて、軽々しく言えるのかもしれない。

でも、この「軽々しく言える」のが、実はとても心地良かったりする。
これは、本当に、一個人の中にある、「創造の種子(たね)」が、何にも囚われることなく、それぞれのタイミングで好きに育てていけるような、そんな未来がもう目の前なのかもしれない。

まだまだ、勉強不足なので、とりあえず、この方の出されている書籍を買った。届くのが楽しみ🌸

今日も今日とて、楽しいな🌸

さて、今日は、狂気ちゃんを、テキスタイルとかポップアートっぽくした🌸
かわいい🌸

お気に入りの配色🌸ママピンクも残す。
ちょいと大人
パキッとするね
並ぶとまたかわいい

では🌸

SUZURIの狂気ちゃんグッズ🌸なかなかにかわいくできてよき⭐️


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分析ママ   |『Atelier mom.』 ありがとうございます!よろしければ今後も応援よろしくお願いいたします✨いただいたチップはGIF制作の費用に充させていただきます🌷