ポケモンで感じる工芸
はじめに
ポケモン×工芸展が近くで開催されているらしい。
その響きだけで、興味がそそられた。
実は、私は展示会によく足を運ぶが、美術や芸術に特別な心得があるわけではない。
ただ、大学時代の研究室の教授がArtを好む人で、その影響から私も興味を抱くようになった。
そして、ポケモン。
1996年にゲーム「ポケットモンスター 赤・緑」が発売されて以来、ポケモンはあらゆる国・世代で愛されるコンテンツとなった。
例に漏れず、私も好きだ。ポケモンとは同い年ということもあり、どこか誇らしさを感じている。
ポケモン×工芸
土曜日の一番遅い時間に向かった。
来場者は思った以上に多かった。
外国人、子供連れ、お年寄り、カップル、オタク、高校生など、実にさまざまな人たちが訪れていた。
会場は、ポケモンと工芸がどんな化学反応を起こすのか──そんな興味を抱いた人たちで溢れていた。
ポケモンをかたち作る
ポケモンは、もしかすると本当に存在するかもしれない。
そんな気にさせるリアルさが、そこには“ある”。
トップバッターは、イーブイと進化形であるシャワーズ、サンダース、ブースターの4体。
それぞれが金工によって作られた銅像として並んでいた。
銅によって毛皮や鱗、さらには表情までが緻密に表現されており、
1枚1枚がポケモンの特徴や個性を捉えた素材で構成されていた。
どこか野性的で、現実に存在していそうなリアルさを感じさせる造形だった。
制作は吉田泰一郎。

ポケモンというものがたり
ものがたりというのは、目には見えないけれど、たしかに“ある”。
印象に残っているのは、田中信行の《無題》。
暗い展示室の中に、漆黒の物体。「……何だこれは?」と思った。
それは、ポケモンの技「かげうち」を表現した作品だった。
ゴーストタイプの先制攻撃。背後から黒い影がにじみ出るような、その一瞬のエフェクト。
その不定形を漆で表現している。
見る人、見る角度、そのときの気持ちによって印象が変わる。
“目に見えない仮想世界”を、現実の工芸で立ち上げる。
その超絶技巧を、私はたしかに目の当たりにした。

※写真取れていなかった..
https://kogei.pokemon.co.jp/
工芸はくらしと共に
ポケモンが、暮らしに溶け込む。
ポケモンが“ある”生活。
印象的だったのは、リザードンと壺が融合した信楽焼(作:桝本佳子)。
その異形に、思わず衝撃を受けた。
色合い、表情、そして形。
そこには、ほのおタイプの力強さと、壺という日常的なユーモアが同居していた。
ポケモンの世界では、人々はポケモンとともに生きている。
移動も、火を灯すのも、一緒に眠るのも──すべてがポケモンとともにある生活。
でも、現実ではどうだろう。ポケモンはいない。
ぬいぐるみやフィギュアを飾っても、「ポケモンと暮らしている」と言えるのだろうか。
…だけど、この壺は違った。
これは、たしかに生活の中に“ある”。
ポケモンとともに生きる、という感覚が、静かに息づいていた。

美とわざに、何を思う
今回はごく一部の作品を紹介させてもらったが、他にもさまざまな表現で形づくられた素晴らしい作品が数多くある。
ぜひ実際に足を運び、目にしてほしい。
ここまでいくつか言葉にしてきたが、展示を見ながら心に浮かんでいたのは、たった一つの問いだった。
彼らは何を想い、何を感じて、この作品を仕上げたのだろう。
今回、私は初めて工芸家たちの作品を見た。名前も知らなかった人ばかりだ。
彼らがどんな歴史を歩み、どんな想いで技術を磨き、ポケモンという存在とどう向き合ったのか。
それを想像しようとしても、作品を前に出てきたのは
「すごい」「きれい」「面白い」といった、ごく月並みな感想だった。
でも、それが今の自分なのだと、はっきり感じた。
だからこそ、作品からほんの1%でも「魂」を感じ取れるような感性を、これから育てていきたいと思う。
