生きていくことが、あの人を置いていくように感じる。
ある日、
「こんなことがあったよ。」
そう伝えたくなる出来事がありました。
庭に咲いた花のこと。
思わず笑ってしまった出来事。
久しぶりに食べた好きな料理。
そんな何気ないことほど、
真っ先に伝えたくなります。
けれど、その相手はもういません。
話したいと思ったその瞬間に、
「もう伝えられない。」
という現実に引き戻されます。
そして、
「私だけが、この先の時間を生きている。」
そんな思いが込み上げてくることがあります。
私はこれまで、多くの死別の悲しみに触れてきました。
その中で、
「生きていることが、あの人を置いていくようで苦しい。」
そう打ち明けてくださる方がおられました。
悲しみが消えないから苦しいのではありません。
自分だけが年を重ね、
季節を迎え、
亡くなった人が見ることのできなかった景色を見ながら暮らしている。
そのことが、つらくなるのです。
命日を迎えるたびに、
「あれから一年になる。」
そう数える方もおられます。
自分は一年分の時間を生きた。
けれど、大切な人の時間は、あの日のまま止まっています。
その現実が、
生きている自分を責める理由になってしまうことがあります。
一年が過ぎ、
二年が過ぎ、
自分の意思とは関係なく、時間は流れていきます。
仕事へ行き、
買い物をし、
友人と話し、
笑顔になる日もあります。
新しい予定が入り、
行ったことのない場所へ出かけることもあります。
そんな一日を過ごした夜、
「こんなふうに過ごしてしまってよかったのだろうか。」
「私だけが、あの人を置いてきてしまった。」
そう思ってしまうことがあります。
それは、
亡くなった人を忘れたからではありません。
前を向こうとしているからでもありません。
大切な人が生きられなかった時間を、
自分だけが生きている。
その事実を受け止めきれないほど、
その人が大切な存在だったのです。
私自身も、母を亡くしたあと、
季節が巡るたびに立ち止まりました。
桜を見るたびに、
「母は今年の桜を見ることはなかった。」
夏の日差しの中では、
「あの暑さを感じることもない。」
秋の風が吹けば、
「母なら、この景色を喜んだだろう。」
そんなことを思っていました。
季節がひとつ変わるたびに、
母との距離が少しずつ広がっていくようで、
寂しさを感じたのです。
けれど、その頃から気づいたことがあります。
亡くなった人とは、
同じ時間を過ごすことはできません。
それでも、
その人を思う時間までなくなるわけではありません。
朝、手を合わせること。
好きだった花を見つけて足を止めること。
食卓で、
「あの人も、これが好きだった。」
と思い出すこと。
テレビを見ながら、
「きっと笑っただろうな。」
と想像すること。
うれしい出来事があった時、
真っ先に伝えたい相手として思い浮かぶこと。
悲しい日には、
「あの人なら何と言ってくれただろう。」
と心の中で問いかけること。
そうした時間は、
大切な人が今も自分の暮らしの中にいてくれることを感じる時間でもあります。
だから私は、
生きていくことは、
大切な人を置いていくことではないのかもしれないと思うのです。
一緒に過ごす時間の形は変わりました。
けれど、
その人を思う時間まで終わってしまったわけではありません。
もし今、
生きていくことが、
あの人を置いていくように感じている方がおられるなら、
その苦しさは、
大切な人と過ごした時間が、
あなたにとって、それほどかけがえのないものだったからこそ
生まれる思いなのではないでしょうか。
その思いを抱きながら今日を生きていることもまた、
大切な人との時間の続きなのかもしれないと、私は思っています。
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