Photo by
tomoka_takeura
悲しみとともに生きる365日 #009写真を見られる日と、見られない日がある
ふと、スマートフォンの写真を開くことがあります。
目的があって探していたわけではありません。
何枚も画面を送っているうちに、その人の笑顔が目に入ります。
「あ、この時だったね。」
そんなふうに、しばらく眺めていられる日があります。
その時の景色まで思い出せることもあります。
風の匂い。
食事をしたお店。
隣で聞こえた笑い声。
写真の一枚一枚が、遠い記憶を静かに連れてきてくれます。
けれど、同じ写真なのに、今日は見続けることができない日もあります。
胸が詰まり、画面を閉じる。
アルバムを開いても、数ページで閉じてしまう。
そんなことは、決して珍しいことではありません。
写真は、
その人の姿だけを残しているわけではないからです。
写真には、
一緒に過ごした時間が写っています。
何気ない会話。
その日の空気。
笑ったことも、黙って歩いた道も、その一枚の向こう側に残っています。
だからこそ、心がその日に戻ろうとすると、苦しくなることがあります。
今日は見られる。
今日は見られない。
その繰り返しの中で、悲しみは少しずつ形を変えていくのかもしれません。
無理に写真を開く必要はありません。
今日閉じたとしても、また別の日があります。
写真は急ぐことなく、いつもそこで待っていてくれます。
そして、ある日ふと手に取った一枚を見ながら、
「こんなことがあったね。」
そう笑いかけられる日が訪れるかもしれません。
涙がこぼれる日もあるでしょう。
懐かしさに包まれる日もあるでしょう。
どちらの日も、
大切な人との時間が
あなたの中に生き続けているからこそ生まれるものです。
だから、今日は写真を閉じる日でもいい。
見られる日もあれば、見られない日もある。
その揺れを繰り返しながら、
人はこれからも、
大切な人との時間を心に抱いて暮らしていくのだと、
私は思っています。
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