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「忘れたくない」という気持ちと、「苦しみたくない」という気持ちの間で

ある日、久しぶりに笑っている自分に気づくことがあります。

友人との会話で笑った。

テレビを見て思わず笑顔になった。

「おいしいね。」

そう思いながら食事ができた。


そんな何気ない出来事のあと、急に胸が苦しくなることがあります。

「私は、このままあの人を忘れてしまうのではないだろうか。」

そう思ってしまうのです。


私はこれまで、多くの方のお話を伺ってきました。

その中で、

「苦しいのは嫌なんです。でも、この苦しさがなくなったら、

あの人までいなくなってしまう気がするんです。」

そう話された方がおられました。


私は、この言葉をこれまで何度も伺ってきました。

大切な人を亡くした悲しみは、できることなら少しでも楽になりたい。

けれど、

苦しさが和らぐことが、その人を忘れることのように感じてしまう。

心は、その二つの気持ちの間で揺れ続けます。


写真を開こうとして閉じる日があります。

想い出の場所へ向かおうとして、足が止まることもあります。

好きだった歌が流れ、慌てて音を消したことがある方もおられるでしょう。

反対に、今日は写真を見ても涙が出なかった。

好きだった曲を最後まで聴くことができた。

そんな日は、

「私は薄情になってしまったのではないか。」

と、自分を責めてしまうことがあります。


けれど、私はそうではないと思っています。

年月が過ぎても、その人を想い出す場面は、

暮らしの中にたくさんあります。


季節の花が咲いた時。

スーパーで好きだったお菓子を見つけた時。

テレビで同じ野球チームを応援している姿を見た時。

何気ない出来事が、その人を想い出させてくれます。

想い出そうとしなくても、その人との時間は、

今も暮らしの中に息づいているのです。

だから、

忘れないために苦しみ続ける必要はないのではないかと、

私は思っています。


涙が出る日があってもいい。

穏やかに過ごせる日があってもいい。

今日は話しかけたくなる日もあれば、

静かに手を合わせるだけの日があってもいい。

そのどれもが、大切な人との時間が確かに存在していた証だからです。


悲しみが和らぐことと、その人を忘れることは、同じではありません。

月日が流れると、悲しみの表れ方は少しずつ変わっていきます。

涙があふれる日もあれば、

懐かしい想い出に、そっと笑顔になれる日もあるでしょう。

けれど、それは大切な人が遠くなったということではありません。


その人との時間が、

今もあなたの人生の中に生き続けているということなのだと、

私は思っています。


だから、

「忘れたくない。」

「でも、苦しみ続けるのもつらい。」

もし今、その二つの気持ちの間で揺れているなら、

どうか、そのままの自分を責めないでください。


苦しさが少し和らいだからといって、

大切な人への想いまで薄れてしまうわけではありません。

悲しみは、終わらせるものではありません。

その人とのつながりを抱きながら、

これからの暮らしを生きていくものだと、私は思っています。


そして、そのつながりは、涙だけで守られているものではありません。

季節が巡るたびに想い出すこと。

ふと名前を口にすること。

「今日はこんな一日だったよ。」

と、心の中で話しかけること。

その一つひとつに、

大切な人と過ごした時間は、今も静かに息づいています。


だから今日、

少しだけ心が穏やかだったとしても、戸惑わなくていいのです。

それは、その人を忘れてしまったからではありません。

これからも、その人との時間はあなたの暮らしの中にあり続けます。


そのことを、

日々の何気ない出来事が、これからもそっと教えてくれるのだと、

私は思っています。

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