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悲しみは、季節とともに姿をかえていく

悲しみは、いつまでも同じ形ではありません。

時間がたてば消えてしまうものでもなく、

昨日と同じ苦しさが続くものでもありません。


私はこれまで、多くの方のお話を伺う中で、

そのことを何度も感じてきました。

悲しみは、季節が巡るたびに、

その表情を少しずつ変えていくように思うのです。


春になると、桜が咲き始めます。

新しい制服を着た子どもたちや、新社会人の姿を見かける季節です。

その光景を見ながら、

「去年は一緒に歩いた道だった。」

「桜を見ながら写真を撮った。」

そんな記憶が、ふいによみがえることがあります。


周囲は新しい生活へ進んでいるように見えるのに、

自分だけが取り残されたような気持ちになる方もおられます。

けれど、その胸の痛みは、春という季節が、

大切な人と過ごした時間を静かに連れてきたからなのだと思います。


夏になると、記憶は景色だけではなく、匂いや音とともによみがえります。

蝉の声。

照り返しの強い道。

冷蔵庫で冷やした麦茶。

夕暮れの花火。

何気ない夏の日常が、その人と過ごした一場面を思い出させます。

「暑くなると、あの頃を思い出すんです。」

そう話してくださる方は少なくありません。


人は頭だけで記憶しているのではなく、

身体もまた季節を覚えているのかもしれません。

だから、理由もなく涙があふれる日があっても、

不思議なことではないのです。


秋になると、少しずつ静かな時間が増えていきます。

風が涼しくなり、日暮れが早くなる頃、

「今日は寒いね。」

そんな何気ない会話を交わしていた夕暮れを思い出すことがあります。

食卓に立ち上る湯気。

並んで歩いた散歩道。

一緒に見上げた夕焼け。


季節が深まるにつれて、

その人の不在をあらためて感じる方もおられるでしょう。


冬は、人が集まる機会が続きます。

クリスマス。

年末年始。

誕生日。

家族で囲んでいた食卓。

毎年交わしていた挨拶。

笑い声が響いていた部屋。


以前は当たり前だった景色が、今は少し違って見えることがあります。

楽しいはずの季節が、なぜか苦しく感じられることもあります。


私は、それを乗り越えられていないからだとは思いません。

その季節には、大切な人と過ごした時間が重なっているからです。

季節が巡るたびに、

その記憶が静かによみがえることは、ごく自然なことなのだと思います。


春に込み上げる涙も。

夏によみがえる想い出も。

秋の静かな寂しさも。

冬に感じる空白も。

その一つひとつに、大切な人と過ごした日々が、

今も暮らしの中に息づいているように思うのです。


私は、悲しみは終わらせるものではなく、

その人とのつながりを抱きながら生きていくものだと思っています。


だから、去年より涙が少なくても、自分を責めなくていい。

反対に、何年たっても涙が止まらない日があっても、

不思議ではありません。

季節を迎えるたびに心の動きが変わるのは、

それだけ暮らしを重ねてきたということです。


穏やかに過ごせる日もあれば、

何気ない出来事に胸がいっぱいになる日もあります。

それは前へ進めていないからではありません。


季節が移り変わるように、

心もまた少しずつ形を変えながら、

その人との時間を自分の人生の中へ受け入れていくのだと思います。


四季は毎年巡ってきます。

けれど、同じ春も、同じ夏もありません。

私たちの心も、それと同じではないでしょうか。


だから、自分の悲しみを昨日や去年と比べる必要はありません。

季節が巡るたび、その人を思い出す日がある。

そのたびに心が揺れることがあってもいい。


私は、その積み重ねの中で、

人は亡くなった人との新しい関係を育みながら、

生きていくのだと思っています。

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