悲しみとともに生きる365日 #004最後の会話を、何度も思い返してしまう
大切な人が亡くなったあと、
最後に交わした言葉を何度も思い返すことがあります。
「あの日、何を話しただろう」
「私は、どんな返事をしたのだろう」
記憶をたどりながら、その人の声や表情まで想い出そうとします。
けれど、最後の会話は、特別なものではなかったかもしれません。
「また明日ね」
「気をつけて帰ってね」
「薬は飲んだ?」
いつもと変わらない言葉を交わしただけで、
それが最後になるとは考えていなかった方もおられます。
もし、これが最後だと分かっていたなら、もっと優しく話したかった。
「ありがとう」と伝えたかった。
一緒に過ごせたことが、どれほど幸せだったのかを話したかった。
そう思うほど、あの日の言葉が足りなかったように感じてしまいます。
忙しさや疲れから、そっけない返事をしてしまった方もいらっしゃいます。
意見が合わず、少し強い口調になったまま、
次に会うことがかなわなかった方もおられます。
最後の一場面だけが繰り返し浮かび、
「なぜ、あんな言い方をしてしまったのだろう」
と、長い間、後悔を抱えることがあります。
けれど、その人との関係は、
最後の数分だけでつくられたものではありません。
一緒に食事をした日。
体調を気遣ったこと。
何気ない話に笑った時間。
腹を立てたり、言葉がすれ違ったりしながらも、そばにいた年月。
言葉にしなくても、相手を想ってしてきたこと。
そのすべてが、二人の間にありました。
最後に交わした言葉だけを取り出して、
それまで共に過ごした時間まで否定しなくてもよいのではないかと、
私は思っています。
何度もあの日を振り返るのは、
過去にとらわれているからではないのでしょう。
もう一度、声を聞きたい。
今度こそ、伝えられなかった思いを届けたい。
あの会話の続きをしたい。
その願いが残っているからなのかもしれません。
返事を聞くことはできなくても、今から話しかけることはできます。
写真の前でも、お墓の前でも、眠れない夜の静かな部屋でも。
「あの時は、うまく言えなくてごめんね」
「本当は、ありがとうと伝えたかった」
「あなたと過ごせて、うれしかったよ」
あの日には言えなかったことを、
時間がたった今だからこそ言葉にできることもあります。
最後の会話を変えることはできません。
けれど、その人に伝えたい思いまで、
あの日で終わったわけではないのだと思います。
浮かんできた言葉を、そのたびに少しずつ伝えていく。
亡くなったあとも、その人との会話は途切れたのではなく、
返事を待たない語りかけへと形を変えながら、
これからも続いていくのかもしれません。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!