『夜のトンネルに響く汽笛-2』
昨日の第一章では、薫が8年前の「不思議な夜」を思い出したところまでを描きました。今夜お届けする第二章は、その夜の続き。十数年ぶりに逢った由美と薫、二人は何を話したのか……。
ー 第二章 ー
「薫…… あの時、あそこの船のところに隠れてたでしょ」
「あの時って?」
「バカ、知ってたんだよ、私。だって、ヒロが一人で来れるわけ無いもの」
「知ってたのか……」
「うん、知ってた。でも、すぐ帰ったでしょ」
「居られなかったんだ、ここに」
「・・・・」
「だから、その時になにがあったかは知らない」
「うん」
「ちゃんと告白したんだろう、ヒロは」
「うん」
「じゃ、良かったじゃない」
「よくない、ぜんぜんよくない」
「なに、怒ってんのよ」
「・・・・」
由美は何も話さなくなった。薫も黙ったままだ。二人はただ、波の音を聴いていた。
「歩こう、薫」
そう言うと由美は立ち上がり、左手を薫に差し出した。
「うん」
由美の左手を右手で握るように掴むと、薫も立ち上がる。二人は歩幅を合わせて歩き出した。いつのまにか月は雲に隠れ、闇が強くなっていた。
「どこに行くの?」
「駅」
「駅って、松丘駅?」
「そう、汽車に乗ろう」
「でも、もう汽車なんか走ってないよ。だって……」
「そんなことない、走ってるよ、いまでも!」
そういうと由美は薫をまっすぐ見つめた。その瞳からは、大粒の涙がこぼれていた。
「走ってるんだよ、薫。だから乗ろう、ねぇ、一緒に乗って、私と一緒に……」
頬を流れる涙を拭きながら、由美は訴える。薫は困惑したように黙っていた。
薫はある疑いを持って由美と歩いていた。由美の手は、氷のように冷たかったのだ。
「なぁ由美、博之は元気?」
「うん、元気だよ。毎日娘の海花に振り回されているよ」
「そうか、そりゃよかった。で、あなたは今、なにか仕事してんの?」
「今はなにもしてない」
「家にいるの?」
「どうでもいいでしょ、そんなこと。なんでそんなことばかり聞くのよ」
急に由美が怒り出した。
「もういいわ、やっぱり私一人で行く。もうついてこないで」
「え、なにをそんなに怒ってるの?」
薫の手を振り払って、走り出す由美。薫はその場に取り残された。
由美がトンネルの中に消えると、薫は抜け殻のようになって、ただ、トンネルの先の漆黒の闇を見つめた。
「追いかければ間に合う?」
(ダメよ、もうわかってるんでしょ)
「でも」
(いい、行くんじゃないわよ。わかった)
「・・・・」
自問自答を繰り返す薫の目の前に、由美の姿が現れた。
「ごめん、薫。やっぱり一緒に来て、一人で行く勇気がないんだ」
由美が薫の右手を強く握って言った。
(だめよ、振り払って。行っちゃダメ)
もう一人の自分が怒り狂って叫ぶ。
「ごめん、私、由美を一人にできない」
(ダメよ、行くな、行っちゃダメ)
「世話になったね、じゃ、行くね」
(行っちゃダメよ、バカ!、行っちゃダメだってば!)
脳裏で叫ぶ自分の声を振り切るように、薫は由美の手を強く握り返した。
二人はホームに立っていた。
「列車はどこに行くの」薫が由美に聞く。
「遠いところ、私にもよくわからないけど、遠いところなんだって」
「そうか、でも由美と一緒だったら、どこでも行くよ」
そう言って薫はホームを見た。一人、また一人と、存在の薄い人影が現れ始めていた。
「薫さ、あの日……」
「あの日って」
「わかってるくせに! あの日よ、ヒロが……」
薫はわかっていた。由美がいう「あの日」のことは、忘れたことがなかった。薫の心に、あの海の記憶がよみがえってきた。
「薫、オレさ、由美が好きなんだ」
「そうか、それで?」
「実はさ、今夜呼んであるんだ、由美を。もうすぐここに来る」
「なんだって!」
「オレは告白する、由美に今夜、オレは『好きだ!』って言うんだ。だから由美が来るまで、一緒にいてくれ」
「なんでだ、やだぞ、私は」
「そんなこと言わねぇで、頼むよ、薫。一緒がだめなら、近くにいてくれ。オレ、怖いんだ。本当に由美が来るかどうかわかんねぇし、来ても『嫌い』って言われたら、どうすればいいか……」
そういう博之の足は、ガタガタと震えていた。
「こいつ! 女にすがる気か」そう考えた薫だったが、必死に腕にしがみついてくる博之を、見殺しには出来なかった。
「しかたねぇな~ 貸しだぞ! わかってるな」
「ありがとう、薫。やっぱりお前は親友だ」
「あっちの舟の影で見てるよ」
「お前は、悪友だよ」小声でそう呟きながら、薫は小舟の影に隠れた。
「ヒロくん、いるの?」
「来た!」薫は由美が来たのを見て、ゆっくりその場を去った。
「ヒロはいいやつだ! 従兄弟の私が保証するよ、由美」
先をこされた悔し涙をこらえて、薫は自転車のペダルを踏んだ。
「高校の時、どうして私に言ってくれなかったの? 私、本当は薫が⋯⋯」
「ごめん。私、臆病者でさ…… 勇気がなかったんだ。だって今のように『LGBT』なんて言葉もなかったんだよ。女の子の由美を、同じ女の子の私が『好き』なんて、口が裂けても言えなかった。私、由美に嫌われるのが、本当に怖かったんだ」
「私だって同じだったのに」
「え、なんて言ったの?」
「じゃ、今は? 今なら言えるの?」
由美が薫の顔をまっすぐに見ている。
「言えるよ、由美。私はずっと、あなたが好きだった。今だって、あなただけが好き」
「その言葉をあの時、ヒロじゃなくて、薫から聞きたかった。私は薫、あなただけが好きだったの、あなただけをいつも見ていたし、ずっと、ずっと、あなたと一緒に……」
「ボー」と汽車の汽笛が聞こえてきた。
「由美、もう泣かなくていい。これからは一緒だ、ずっと、私は由美のそばにいる」
「うん」
汽車が滑るようにホームに入ってきた。乗降口の扉が開くと、待っていた乗客がゆっくりと乗り込んで行く。
薫と由美は、一番最後に乗り込んだ。しかし、由美に足止めされ、薫は奥に進めない。二人は扉の前に立っていた。
「混んでないだろう、奥にいこうよ」
「うん、ちょっと待って」
そう言うと、由美が薫に抱きついた。
「どうしたんだよ、こんなとこで」
「薫、本当にありがとう。会えてうれしかったよ」
「なにいってんのよ」
「本当よ、薫が大好き。だから……」
「わかったって、もう由美を一人にしない」
「ちがうの! ねえ、聞いて、あなたを愛してる!」
「ピー」と長い発車の笛が鳴り、ゆっくりと扉が閉まり始める。
「さようなら、薫!」
そう言うと由美は、渾身の力を両腕に込めて、薫をホームに押し出した。
「え!」
ポツンとホームに一人立つ薫の目の前で、汽車の扉が閉まった。扉の奥で、目を涙でいっぱいにした由美が、精一杯の笑顔で手を振るのが見える。ディーゼルエンジンの音が大きくなる。汽車はゆっくりと走りだした。
「え! え! どういうこと。待って、停まって! 誰か汽車を、汽車を停めて! 停めてよ! 由美!」
大声で叫びながら汽車を追いかける薫、だが、汽車は停まらない。どんどんスピードを上げている。
ホームの先端で薫は立ち尽くした。二両編成の汽車は汽笛を鳴らして、真っ暗なトンネルに吸い込まれるように姿を消した。
由美に押された感触だけが、薫の胸に残っている。なぜか、そこだけがほんのりと温かかった。
「由美!」
両膝をたたみ、自分の胸を両腕で抱くようにして、薫は大声で泣いた。
「スナック蜃気楼」の扉を開けたのは、博之だった。
「あれ、誰もいない。ママ、薫は?」
「あら、ヒロちゃん、いらっしゃい。薫さんって誰?」
「薫、来てないの? あいつの車が停まってるから、てっきり」
「そういえば、仙台ナンバーの車があるわね。それが薫さんのなの?」
「あるわねって、違法駐車だって思わなかったの」
「あんまり気にしないの、私。で、水割りでいい」
「変だな~ 薫のやつ、こんなとこに車停めてどこ行ったんだ」
「わかんないけど…… とりあえず座ったら、はい」
ママの沙知絵は、そう言うと博之の前にグラスを置いた。
また、スナックの扉が開いた。
「いらっしゃい、西さん」
「寒いね、ママ」
薄着の西田は、手をこすりながらカウンターに座る。お通しと温かいおしぼりを西田の前に置いて、沙知絵は水割りを作る。
「ダメだ、ちょっとトイレ」そう言って、西田はトイレに向かう。
「あら、使ってるわよ」という沙知絵の声を無視して、西田はトイレの扉を開けた。
「誰もいなかったぞ」
そう言いながら、西田はカウンターに戻ってきた。
沙知絵はグラスを拭きながら、じっとトイレのドアを見つめている。
「そう、連れていかれちゃったかな……」
ゆっくり目を閉じると、呟くようにそう言った。
ー続くー

