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【 ストレイシープ 1 】

血縁けつえんとは、なんだろう?」直人(柴田直人しばたなおと)はタバコを吸いながら、夕暮れが迫った街並みを眺めていた。自宅は十階建てマンションの五階、直人がいるベランダでは北風が吹き荒れている。
 舞い散る粉雪を見て「彼らは寒くないのだろうか?」そんなことを思ったりした。横澤(横澤和哉よこざわかずや)の苦悩に充ちた顔を思い出す。

「柴田さん、実は私の子どもが…… 違うかもしれないんです」
「違うって、何が?」
「私には、『普通にセックスしても子どもはできない』と言われました」

 突然、こんなことを言われて、楽しい人はいないだろうが…… その理由は、子どもとの血縁とは別のところにあるだろう。ざっくり言ってしまえば『女に不貞ふていがあったのか?』という疑いだ。なぜなら、女は自分の腹の中から出てくるのだから、子どもとの血縁は疑いようがない。しかし男には、本当のところがわかっていない。つまり男は、自分の子どもだと信じることしかできないのだ。
「だが、横澤さんの場合は……」そんなことを考えながら、昨夜のことを思い出してみる。
「頼まれたわけでもないだろうに、余計なことをして……」自分の心に怒りの感情が渦巻くのを、直人は感じていた。

  昨日の夜、直人は編集者との打合せを兼ねた食事をと、久しぶりに国分町こくぶんちょうにきていた。新年のゴタゴタが終わり、小正月が始まる一月十五日のことだった。
 直人は三六歳、自称「小説家」である。ただ、書いてはいるものの売れてはおらず、出版にさえ辿たどり着けていない。ということで収入源は別なところにあった。主な収入源は、ちまたでよく聞く「ゴースト・ライター」だった。他には「心理カウンセラー」や「コンサルティング」などもしている。
 そんな直人は職業柄、服装はカジュアルなものが多い。昨夜はウールコートにダークなパンツ、首に大判マフラーを大きく巻いていた。

 打合せが終わると、直人は一人「Boot」に向かった。このカクテルバーは、定禅寺通りじょうぜんじどおりに近いビルの地下にある。会員制のその店を、直人は仲のいい出版社の及川おいかわに紹介してもらった。
 少し動作の重いドアを引くと、静かにバラードが聴こえてきた。バーテンダーに軽く手を上げる。
「柴田さん、お久しぶりですね。こちらにどうぞ」
「やぁ、久しぶり。お変わりありませんか?」馴染みのバーテンダーは笑顔で直人をむかえた。

 この店にBOX席はない。楕円形だえんけいを半分にしたようなカウンターがあり、座り心地のいい椅子が並んでいる。音楽は流れているが、意識しないと聴こえないくらい店内は静かだ。照明は明るすぎず、暗すぎず、『丁度ちょうどよい』とはこういう時に使う言葉だと、この店に通うようになって直人は初めて気づいた。
 バーテンダーを含めて、この店のスタッフは全員男性だ。それも俗にいうイケメン揃いだ。だからといって女性向けというスタンスではない。事実、客は圧倒的に男性ばかりだ。たまに見かける女性客は、必ずといっていいほど常連客の連れだ。
 直人が通いだしてもうすぐ二年になるが、女性だけで訪れていた客を見かけたのは、わずか数回しかない。酒と女はセットだと考えていた直人の価値観は、根底こんていからくつがえされた。だが、その価値観は誰かから植え付けられたもので、直人自身はこの店の雰囲気の方が好みだと気づいた。

 私たちは不知不識しらずしらずのうちに、いろんな価値観を誰かに植え付けられている。親からだったり、学校の先生や友人、先輩やその他諸々の大人たち、そして報道の自由を楯に、一方的に流される様々なテレビ番組やCM、週刊誌などがその巨悪の根源きょあくのこんげんだったりしている。こうして植え付けられた価値観を、自分の価値観だと勘違いしていることがとても多い。
 つまり、ただなんとなく『これはこういうものなんだ』と思い込まされていることが、とても多いということだ。

 直人はあまり酒が強くない、そのため酒の席は苦手な方だった。この店は酒を飲むというよりは、酒を楽しむことを目的として通っている客が大半だったため、酒が弱い直人にとっては、数少ないとても居心地いごこちの良い店だった。 クリエーター的な職業を生業なりわいとしている客が多いのも、この店の雰囲気を作っているのだろう。
 そんな中、一風変わった客もたまにはいる。横澤はそんな一人だった。直人をいつも先生と呼ぶ横澤は、一応地方公務員になる。児童養護施設に勤務している三十代前半の男性だ。
 そんな彼はいつもスーツだった。色は黒や紺系の地味なものが多い。飲んでいる時はネクタイを外しているため、メタボなお腹も目立ち、あまりスマートとは言えない。
 焼き鳥店や居酒屋などでは気にならないだろうが、やはりこの店では浮いてしまうのだった。

 昨夜、横澤は酷く酔っていた。
「先生、こんばんは。ご無沙汰でした」
「あ、横澤さん、こんばんは。お久しぶりでした」酒がすこぶる強いはずの横澤が、こんなに酔っているところを直人は初めて見た。
「今日、先生に会えて良かった。お会いしたくて通い詰めていたんですよ」
「そうだったんですか、それは失礼しました。何か私に?」
「実は先生にちょっとご相談がありまして……」
「横澤さん、ずいぶん飲まれているようですけど」
「はい、酔ってますよ。酒を飲んだから、酔いましたよ」
「大丈夫ですか?」
「はい、酔ってしまいましたが大丈夫です。それより、話を聞いてくださいますか?」
「わかりました、お聞きします。ここでいいのですか? それとも場所を……」直人の話が終わるのを待ちきれないように横澤が言った。
「場所を変えていいですか? あ、でも先生は今来たばかりだから、ゆっくりしたいですよね。どうしようかな……」

 呂律ろれつの回らない横澤は、話しながらバーテンダーをチラリと見た。いつものジンジャエールを直人の前に出しながら、バーテンダーが直人に耳打ちする。
「横澤さん、今日は特に酔いが酷いです。お願いします」バーテンダーの「連れ出してもらうと助かる」という意図を感じた直人は、ジンジャエールを一口飲んでから横澤に言った。
「いいですよ。お付き合いしますから出ましょう」
「いいんですか、ありがとうございます。さすが先生だ話が早い」
 横澤はまるで酔いが醒めたような顔になり、直人がジンジャエールを飲み干す間に自分の会計を済ませている。
「こういうところはさすがだな〜」と思いながら、直人は横澤を見ていた。
「それじゃ、私も」と言いながら直人が財布を取り出すと、バーテンダーがそれを手で制した。
「柴田さんの分はこちらで……」と、小声でバーテンダーは言った。
「いいのか?」
「大丈夫です、お願いしたのはこちらですから」
「ありがとう。じゃ今度、埋め合わせするよ」
「わかりました、お待ちしています。ありがとうございました」

 会計を済ませた横澤が、しっかりとした足取りで直人の隣に立った。
「先生、行きましょう」
「はい、わかりました」直人は立ち上がり、バーテンダーに軽く会釈して店を出た。
「どうします? 飲みながら話しますか?」直人の問いかけに、横澤は少し困ったような顔で何かを考えていた。
「先生、これから何かご予定は?」横澤の態度は、先程直人に見せた酔っ払いのものではなくなっていた。
「予定はないので大丈夫です。それよりどうします? これから」聞きながら直人は時間を確かめた。編集者との食事は早めに切り上げたので、まだ二十二時を過ぎたばかりだった。

「これは…… 今日は長期戦覚悟か」と直人は思った。
「先生、静かでゆっくり話のできるところ、ありませんか?」
「おい! 場所を変えようと言ったのはお前じゃないか。それなのに行くあて無しか!」
 寒さのせいもあり少し苛立っていた直人は、喉まで出かかったこの台詞を、やっとの思いで飲み込んだ。

「珈琲店ならありますが、酒はありませんよ」
「今夜はもう飲みません、それよりこんな時間にやってますか?」
「大丈夫だと思います、ダメだったらファミレスにでも行きましょう」
「さすがだな~ 先生は」
「じゃ、行きましょう。少し歩きますよ」

   - つづく -

Facebook公開日 3/8 2021



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