【道行き1-2】
【第一章『翠』-2】
女性をバックヤードに案内すると、女性店員はお茶の用意をしながら言った。
「よろしかったら、お名前教えてください。私は『下月 茉由』といいます」
「下月さんですか、私は『吉田』といいます。『吉田 翠』です」
「吉田さんですね、寒くないですか?」
「はい、少し楽になりました。ご迷惑をおかけしました」
「それはよかった。先ほどの男性が車のロックを外してくれるそうですから、その間お茶でも飲みながら待ちましょう」茉由は翠の前に湯飲みを置き、微笑みながら言った。
「ありがとうございます」翠は茉由に礼を言ってから両手で湯呑みを持ち、ゆっくりとお茶を飲んだ。
「温まります」そう言う翠の表情に、少しだけ笑みが現れた。
「少しお話、いいですか?」茉由は翠の向かいに座り、お茶を飲みながら聞いた。
「はい」
翠は冷静さを取り戻し、真っ直ぐ茉由を見ている。そんな翠に茉由はゆっくり話し始めた。
「先ほどのお孫さんのお話ですけどね、もう少しくわしく事情を伺ってもよろしいですか?」
「もう少しくわしくと言われても……」
冷静になった翠は、「さっきは気が動転していただけ、誰が好き好んで身内の恥を話すか」と、考えていた。
「話したがらないか…… でもこのままじゃ、不幸になるのはこの人の方だし……」茉由はそんなことを考えながら会話の糸口になるような話を探し始めたが、そんなに都合よくうまい話は思い当たらない。一か八か、茉由はズバリと聞いてみた。
「先ほどお孫さんが警察に捕まった。と言われてましたが」
「そうなんです、孫が女性の方に怪我をさせたようで…… そんなことをするような子ではないのですが」
「あら、それは大変ですね。でも、なぜそのことがわかったのですか、どなたからか連絡があったのですか?」
「はい、何とか警察署の刑事さんから電話があったのです。名前はなんと言ったかしら? メモしてあったのですが、それも車の中で」
意外にも、すんなり翠は話し出した。これには茉由以上に翠自身が驚いた。
「あら、私ったら」自分自身に驚いた翠が、右手で口を塞ぐような仕草をして黙り込んだ。
翠は息子夫婦と同居している。夫はすでに他界しており、息子夫婦は仕事を持っていて、翠は日中の留守を任されていた。息子夫婦には子どもが一人いる。大学生の息子「勉」である。今、問題を起こしたとされるのは、この勉だった。
「私は寂しかった。夫はもういないし、息子夫婦と孫は、同じ家の中に自分達だけの世界を作っている。他人は入り込めないその結界の主は嫁だし、その他人の中には私も含まれている」今の自分をふり返って、翠はそんなことを考えていた。
「あの人が生きていた時は、この家は私たち夫婦のものだったのに……」かつて自分が主だった自宅の中で、翠の陣地は六畳ほどの広さしかない奥の和室一部屋だけになっていた。
「あの電話があったとき、すぐに息子に電話すればよかったんだ」という後悔だけが、今の翠に重くのしかかっていた。
「なんでこの問題をひとりで解決しようとしたんだ」
懐かしい夫の声が聞こえたように感じた。
「だって、勉が私を頼ってきたから……」
「勉を助けて、自分の存在を嫁に思い知らせたかったのか?」
「だって……」
「困ったやつだ、それがお前の悪い癖だと言っただろう」
妄想の中で夫に叱られた翠は、俯いて黙り込んでしまった。
翠のような行動に出る高齢者はとても多い。高齢者を狙う詐欺グループはこういう高齢者の心理を知りつくし、そこをあの手、この手と言葉巧みに突いてくる。自分ひとりでそれに対抗することは、至難の技なのだ。翠もこの手法に引っ掛かったのだが、まだ本当の自分の過ちに気づいていない。
だが、「自分ひとりの手に負えないかもしれない」、「誰かに相談したい。力を貸して欲しい」と思い始めていた翠は、この打ち明け話の相手に、眼の前でやさしく微笑んでいる茉由を選んでいたのだった。
「吉田さん、大丈夫ですか? お茶を温かいのに替えましょうね」
俯いている翠をいたわるように言うと、茉由は立ち上がり、お茶を入れ替えた。
「警察から連絡があったら、誰だって驚きますよ。それで、お孫さんとは話されましたか?」探っているような素振りを隠して、茉由は話を再開した。
「はい、孫が刑事さんの後に電話に出まして、もうただ『おばぁちゃん、助けて』と、泣きじゃくっていまして……」
「そうだったのですか…… お孫さん、かわいそうですよね。一人でどんなに心細いか」
「そうなんです。だから私、何とか孫を助けてあげたくて」
自分の話の一つひとつに共感するように話す茉由の話術に、嫁との間ではけっして得られない心地よさを翠は感じていた。
「かわいいお孫さんのためですものね、当たり前のことですよ。それでお金を?」
「はい、弁護士さんから言われたのです。『今なら相手方とお金で示談できる。そうすれば告訴は取り下げられるから、お孫さんは警察から解放されて自由になれる』と」
「それは何よりでしたね、告訴なんかされたら大変なことになりますよ。それで今、そのためのお金を持って家に帰る途中だったのですね」
「そうなんです。でも私、おトイレが近くて…… あ、ちょっとおトイレお借りしていいですか?」
「どうぞ、お使いください」
翠をトイレに案内すると、茉由は八雲の様子を見るため駐車場に向う。駐車場に出ると、八雲は小雨に濡れながらドアのロックと格闘していた。運転席のドアとガラスの隙間に伸ばしたハンガーを挿し込み、何かを確かめるようにゆっくりと上下に動かしている。
「開きそう?」茉由は八雲の後から傘を差し掛けて聞いた。その時「カチャ」と音がして、八雲の口元がにやりとした。
「開いたの?」
「あぁ、ちょっと手こずったけど、やっとね」そう言って、八雲は軽自動車のドアを開ける。
「凄いね」
「旧式の車で良かった、今の車なら無理だったよ」車のキーを抜き取りながら、八雲は言った。
「寒いでしょう、早く店に入って。風邪ひくわ」ずぶ濡れに近い八雲を心配するように茉由が言うと、
「ありがとうそうするよ。で、そっちはどう、何か聞けた?」ブルゾンの袖で顔に流れる雨の滴を拭きながら、八雲は茉由に聞く。
「うん、色々とね。やっぱりそうだと思うわ」持ってきたタオルを八雲に差しだしながら、茉由は答えた。
「あ、ありがとう」
茉由が話すことの顚末を聞きながら、八雲は店内に戻った。翠はバックヤードの扉の前に立って、茉由の帰りを待っていた。その翠に八雲が話しかける。
「車のドアは開きました、これキーです」
「本当ですか、ありがとうございます」礼を言いながら頭を下げる翠に、車のキーを渡しながら八雲は言った。
「話は彼女から聞きました」
「中で話しましょう」八雲の話しを止めて、茉由はバックヤードの扉を開ける。その時、赤色灯を回転させたパトカーがコンビニの駐車場に停まった。
「あ、やっと来たか」そう言いながら八雲が店の入り口に目をやると、制服の警察官が二人、コンビニの店内に入って来た。
「下月さん、いったいなんの騒ぎですか?」レジ打ちをしていたアルバイトの青年が、茉由に声をかけてきた。
「ちょっと込み入ったことになったの。後で詳しく話すから今は私に任せて、お願い」
「いいですけど、ちゃんとお願いしますよ」そう言って青年はレジに戻った。
ーー続くーー

