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崇徳院の願いは叶うのか――『保元物語』が現代に問いかけるもの

※本稿は『保元物語』の一節を手掛かりに、現代の皇位継承論を歴史的・文学的な視点から考えるエッセイです。

『保元物語』には、崇徳院が配流の地・讃岐で怨念を抱き、

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし、民を皇となさん」

と誓ったと記されている。

もちろん、現代の我々がこれを史実として受け止める必要はない。しかし、八百年以上を経た今、この一節を思い出さずにはいられない出来事がある。

その一つが、現在国会で議論されている皇室典範改正である。

今国会では、約八十年前に臣籍降下して一般国民となった旧十一宮家の男系男子を、天皇陛下及び皇嗣殿下を除く宮家へ養子として迎えることを骨子とする制度改正が議論されている。

制度論として議論すること自体は当然である。皇室典範は法律であり、社会の変化に応じた制度設計は避けて通れない。

しかし、その議論を見ていると、時として皇室への敬意を欠く発言や、人気取りを優先したような議論が散見されることに、一抹の危うさを覚える。

さらに気になるのは、男系継承の維持については熱心に論じられる一方で、道鏡事件の際、和気清麻呂が宇佐八幡宮の神託として伝えた

「我が国は開闢以来、君臣定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり」

という、もう一つの国体護持の重要な原則については、一顧だにされていないように私には映ることである。

そう考えながら改正案を読み返すたび、私は崇徳院のあの言葉を思い出す。

「皇を取って民とし、民を皇となさん」

皮肉なことに、現下の改正案だけを見れば、後半の「民を皇となさん」の部分だけは、一定の条件のもとで現実味を帯びているようにも読める。もちろん、ここでいう「民」とは一般国民全体ではなく、特定の旧11宮家男系男子を念頭に置いた制度論である。

もちろん、崇徳院がそのような制度設計を念頭に置いていたはずもない。これは『保元物語』の一節を現代の制度論に重ね合わせた、一つの思考実験にすぎない。

それでも、歴史とは時として、不思議な符合を見せるものである。

だからこそ私は思う。

皇室制度については、制度論として冷静に議論すればよい。

しかし、その議論の前提には、皇室への敬意と、歴史の中で培われてきた原則への畏敬がなければならない。

崇徳院の怨霊が実在するかどうかは分からない。

けれども、これ以上この国があらぬ方向へ進まぬよう、久しぶりに京都・白峯神宮へ参拝し、崇徳院の御霊を鎮め、皇室の弥栄と我が国の安寧を祈りたいと思う。

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