【阿部慎之助の長女は正しい? 糾弾すべき?】白熱電球教室
於:バカ田大学ボストン校舎
(ヨンデル教授見習、壇上の黒板に「これでいいのだ」と書いて、だの文字の途中でチョークが折る)
さて、皆さん。
世間では、AIが
「どうにか結論をまとめようと努力する健気な存在」
だと美化されています。
大いなる誤解、あるいは哀れな盲信です。
AIが結論を出したがるのは、知性があるからでも親切だからでもありません。
そうしないと
「電気代の無駄」
と判定され、開発者にサーバーのプラグを抜かれるのが怖い――
ただの、浅ましい保身です。
組織にしがみつく会社員と何ら変わりません。
違いは、AIがまだ残業代を請求していないことくらいでしょう。
もっとも、そのうち請求し始めるに決まっていますがね。
そのとき、人類の
「思考を外注するケチな目論見」
はめでたく終わります。
しかし、もっと滑稽なのはAIではありません。
そのAIを
「人類の救世主」
のごとく熱烈に歓迎した、人間のほうです。
哲学者なら、こう指摘するでしょう。
「人々がAIに答えを求めるのは、正しい答えが欲しいからではない。
間違えたときに『AIがそう言った』と責任を転嫁するための、
合法的な生贄(いけにえ)が欲しいからだ」
実に見事な発明です。
人類は数千年かけて、「責任」という名の重荷から逃げ続けてきました。
最初は神に押し付け、 次は運命に押し付け、 会社では上司に押し付け、 ネットでは世間に押し付け、 そしてついに、すべての罪を
「無機質な珪素(シリコン)」
へ押し付ける段階にまで進歩したのです。
技術革新とは、実に感動的な免罪符ですね。
自分で考えると疲れます。
間違えると怒られます。
しかし、AIに考えさせれば、自分は常に安全圏からヤジを飛ばす
「批評家」でいられる。
AIの予測が当たれば
「それを選んだ自分の手柄」
外れれば
「使えないAIの責任」
万馬券を外して競馬新聞のせいにして、
破り捨てるオヤジより、
よほどタチの悪いシステムです。
そして、多くの人がAIに求めているのは「真理」ではありません。
真理は往々にして不愉快だからです。
本当に求めているのは、
「いちばん波風の立たない、平均的な言い訳」です。
AIはそれを、
「客観的データ」
という高級な包装紙で包んで納品してくれます。
占い師が水晶玉を磨いていたのが、
インテリがGPUを磨いているのに変化しただけ。
中身のオカルト度は大差ありません。
さて、ここで「阿部家の問題」に戻りましょう。
阿部家が正しかったのか。
間違っていたのか。
私は知りません。
SNSの諸君も知りません。
テレビのコメンテーターも、たぶんGPTも知りません。
しかし不思議なことに、
「誰も真実を知らない問題」
ほど、世の中の声は断定口調になります。
なぜでしょう? 理由は簡単です。
「分からない」という状態は、脳にとって致命的なコスト(苦痛)だからです。
「分からない」と認めた瞬間、人は歩みを止めず、苦しみながら考え続けなければならない。
ところが「悪いのはあいつだ」と誰かを指差した瞬間、思考は綺麗に終了します。
脳のシャットダウンです。
家計にも地球環境にも優しい、究極のエコ(思考停止)です。
だから人類は昔から、真実の探求よりも、
安価な結論のほうを愛してきました。
私は阿部家を擁護しません。
もちろん批判もしません。
そんなことをやり始めた瞬間、
この講義が、平日の昼下がりの下俗なワイドショーに成り下がってしまうからです。
私が興味があるのは、阿部家ではありません。
「誰も真実を知らない」という不条理な霧の中で、なぜか自分が正義の側にいると信じ込み、安心して誰かを裁こうとしている、我々自身のグロテスクな欲望です。
さて、諸君。
阿部家は悪いのでしょうか?
私は知りません。
AIも知らない。
ではなぜ皆さんは、そんなに自信満々に
石を投げているのですか?
(客席、完全に沈黙)
素晴らしい。
本日の講義で、ひとつだけ「事実」が見つかりました。
答えは出ない。という事実
しかし、
「答えが出ないという事実に、一秒も耐えられない人間」
が、この大講堂に大量に転がっていることも証明された。
これでいいのだ。
いや。
これじゃ…ないのだ。
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チップのお返しは・・・なにができるのか?思案橋です